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人の不幸に対するコメントについて思うこと。

これってすごく難しいなぁと思います。

たとえば今回子どもが交通事故にあいましたが、「胸が締め付けられて苦しいです」って書いてくれた人がいたとして(本当にそう書いてくれた人がいたらすみません。たとえばの例として書いています)同じような気持ちになってくれて嬉しいのですが、その人のSNSを見にいったら「今日も幸せでした」「今日もとってもいいことがありました」とか書いてあるわけです(笑)

すると、おいおい「胸が締め付けられて苦しいです」はどこへ行ったんだよと思ってわたしの場合、その人のことがちょっと嫌いになります。

大変な思いをしている人と同じ気持ちになることは難しいです。想像はできるけど同じ気持ちには到底なれません。

だから、「なにかあったら手伝うから言ってね!」でいいのではないのかなぁと思います。実際にわたしが泣いても、同じように泣いてもらっても怪我は治りません。それより、いい病院やいいリハビリの情報をいただけるほうが嬉しいです💗

人にもよるかと思いますが、わたしの場合は明るい人のほうが救われます。

一番こころがホッとするのは、「わたしも同じ経験しています」という同じ経験をした人の声しかないですから。

SNSでつながっている人たちもだんだん大人になり、身内の不幸など体験している投稿もお見かけします。その人の同じ辛さにはなれません。だから、わたしの場合は、父が亡くなったときの気持ちを書きます。それは本当のことだから。

コメントをいただけるだけでありがたいことで感謝しろよと思われるかもしれませんが、ちょっと思ったことを書いてみました。

わたしのリアル友達は、そっとしていてくれているか「欲しいものない?」と明るいです。さすがだなぁと思います。ありがとう!

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有田みかん
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