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あだ名のゆくえ。
私には、ちょっと変わったニックネームがある。
それはずばり「コンテナ姐さん」だ。
あだ名とは程遠い「コンテナ」というワード。
あまり女性につけるようなものでもない。
アネゴ気質だからという理由で「姐さん」まで付けられて、これまた散々である。
まあ、大学1年生の飲み会でのノリだったのだから、仕方がないといえば仕方がない。
私の通っていた大学は少人数のクラス制だったため、4年間同じ仲間と学ぶ。
「4年間一緒なんだから飲み会で仲良くなろうぜ!」と一部の男の子たちに言われて、男女合わせて10人少々で集まったのだった。
一人ひとり自己紹介をし、それをもとにみんなであだ名を考えることに。
私は旧姓が「稲葉」だったから、そこから連想ゲームが始まった。
「稲葉。いなば。イナバ……。」「あ、物置じゃん!」
「え、物置?物置は流石にかわいそうすぎる!あだ名でもないし笑」
「英語にしたらコンテナじゃね?」
「あ、コンテナいいじゃん!」「アネゴっぽいからコンテナ姐さんって呼ぶわ(笑)」
……酒の入った男子大学生たちなんてこんなものである。
おかげで、いまだに大学時代のごく一部の男子にはそう呼ばれるからたまったものじゃない。
もう結婚して苗字も変わったというのに。
だから、このあだ名に対し「いいじゃん!」と言い、会議を終結に向かわせた友人に、
ガツンと文句を言ってやらないと気が済まないところではある。
どうしてくれるんだ。今となっては説明するのもダルいんだぞ。と。
だが、残念ながらそれは叶わない。
なぜなら、彼はもうこの世にはいないからだ。
今から7年ほど前、まだ33歳だった。
亡くなったのは、クリスマスの夜のことだった。
友人伝いに訃報が来たときはあまりの出来事に声が出なかった。
嘘だと思いたかった。
しかし彼の葬儀に参列して初めて、それが現実だと受け入れさせられた。
少し痩せたように見えたが、閉じられていてもわかるキリッとした目元は学生のころのまま。
棺にしがみついて泣き崩れるお母様の姿と、
「また、お父さんとお母さんのところに生まれてこいよ」と声を振るわせながら語りかけたお父様の姿が、今も目に焼き付いて離れない。
あんなに元気だったのに。
だって、その1年ほど前、32歳のときに「大学卒業10周年」を記念して、同窓会を開いたばかりだったのだ。
何を隠そう、その幹事をしたのが、私と、彼だった。
全国、なかには海外でそれぞれに活躍する同級生たちの連絡先をなんとか手に入れ、声をかけ、日程調整をし、店を決める。
なかなかに骨の折れる仕事だった。
しかし結果は、大成功。楽しい一夜となった。
その帰り道、彼からLINEが届いた。
「コンテナ姐さんと幹事やれてよかったよ〜!今度は40歳の節目でやりたいですな」
そのメッセージに私も、「やろやろー!40歳なんて、お互いもうオジサンとオバサンだよね笑 再会しても私だって気づいてよね笑」と返した。
「気づくっしょ笑 そのときはまた幹事よろしくー!」
それきり、彼と幹事をする約束は、果たせなくなってしまった。
幹事の約束どころか、変なあだ名をつけられた文句さえ言えない。
仕事の悩みも。「そろそろ彼女できたかー?」なんて軽口も言えない。
なんで死んじゃったんだ。
なんで死んじゃったんだよ。
……悔しいので、約束していた同窓会を、今年開催することにした。
約束の40歳になったからだ。果たせないままは、やっぱり嫌だった。
もちろん幹事は私。彼の一番の親友だった男性とタッグを組む。
彼とふざけながら話した40歳に、彼以外がなっている。
不思議な感覚だ。もう同じ時間や出来事を共有してはいないのだ。
私はすっかりオバサンになったけど、空から「コンテナ姐さん」だと気づいてくれるだろうか。
いつになるかわからないが、次会う時には、この文句を散々言ったあと、
どうか私の名誉のためにも別のあだ名をつけてもらいたい。
あだ名の行方は、それまでお預けだ。