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温故知新(70)港川人 港川遺跡 サキタリ洞遺跡 ジェベル・イルード遺跡 波上宮 ニライカナイ 白保竿根田原洞穴遺跡 山下町第一洞穴遺跡 クスコ 金取遺跡 根堅遺跡 サーペント・マウンド
沖縄県島尻郡八重瀬町にある約2万2000年前の港川遺跡からは、旧石器時代の人骨(港川人)が発見されています。港川遺跡の約1.5km北にはサキタリ洞遺跡(沖縄県南城市)があり、那覇市には、日本最古とされる約3万2000年前の山下洞人の人骨や旧石器が出土した山下町第一洞穴遺跡があります。31万5000年前のホモ・サピエンスと見られる人骨が見つかったジェベル・イルード遺跡(Jebel Irhoud、Grotte ighoud, P2327, モロッコ)は、スカラ・ブレイ、聖ミカエルの山や、おのころ島神社、棚畑遺跡などとレイラインでつながっていますが、ジェベル・イルード遺跡と、沖縄の旧石器時代遺跡との関係を調べた結果、港川遺跡とジェベル・イルード遺跡を結ぶライン上にサキタリ洞遺跡がありました(図1)。サキタリ洞における人為活動は3万5000年前頃までさかのぼると考えられています。港川人や山下洞人は、ジェベル・イルード遺跡とつながっていることからアトランティスと関係があるかもしれません。このラインの近くには、波上宮(なみのうえぐう)があり(図1)、由緒によると、この地は、海神の国(ニライカナイ)の神々への祈りの聖地の一つとされています。
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約2万7千年前の人骨が発見され、国内で初めての旧石器時代の墓域が確認された沖縄県石垣市にある白保竿根田原洞穴遺跡(しらほさおねたばるどうけついせき)と南米ペルーの「へそ」という意味のクスコを結ぶラインは、山下町第一洞穴遺跡の近くを通ります(図2、3)。港川人や山下洞人の系統の民族(Y染色体ハプログループC系統)が、太平洋を経由して南アメリカ大陸に渡ったのではないかと思われます。
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縄文時代中期から後期のデーノタメ遺跡とアルメンドレスのクロムレックを結ぶラインの近くには、2.5万年以上前にさかのぼると考えられている旧石器時代の岩宿遺跡(群馬県みどり市)や約5,000年前の縄文時代中期に造られた火焔型土器(国宝)が出土している笹山遺跡(新潟県十日町市)があります(図4)。
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岩手県遠野市宮守町の金取遺跡(かねどりいせき)は、4万年前以前に遡る可能性がある石器が見つかっている中期旧石器時代に属するとされる遺跡です。静岡県浜松市の根堅遺跡(ねがたいせき)からは、約1万4000年前と1万8000年前と判定された旧石器時代の化石人骨(浜北人)が見つかっています。金取遺跡と根堅遺跡を結ぶラインは、デーノタメ遺跡とギョベクリ・テペを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図5、6)。デーノタメ遺跡とギョベクリ・テペを結ぶラインの近くには、縄文晩期の環状木柱列が見つかっている真脇遺跡があります(図6)。これらのラインから、旧石器時代人と縄文時代人はつながっていたと推定されます。デーノタメ遺跡と関係があると推定される猿田彦命のY染色体ハプログループは、港川人と同じC系統のC1a1(C-M8)と推定されています(古代研究:豊臣秀吉って猿田彦の子孫なの?)。
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根堅遺跡とサーペント・マウンド(Serpent Mound)を結ぶラインは、金取遺跡の近くを通ります(図7、8)。浜北人は、ベーリング海に沿って北アメリカ大陸に渡ったのではないかと思われます。
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デーノタメ遺跡と摩耶山を結ぶラインは、猿田彦大神の総本宮の椿大神社の奥宮とスカラ・ブレイを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図9)。このラインは、摩耶山が、猿田彦命が瓊瓊杵尊を出迎えた天孫降臨の地と推定されることと整合します。椿大神社 奥宮とスカラ・ブレイを結ぶラインの近くには、氣比神宮があります。木村鷹太郎は、カシオピア(橿日宮星座)の夫ケヒウス(ケフェウス)(氣比宮星座)は「氣比氏」とし、「氣比」は「吉備」としています1)。ケフェウスはアルゴナウタイの一人といわれ、氣比神宮の近くには、ブラウロン遺跡とつながっている気比の松原があります。
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レイラインは、時代が古くなるほど、また、距離が長くなるほど、地殻変動の影響を受けると考えられるので、この影響をコンピュータで補正できれば、より説得力のある結果が得られると思われます。
文献
1)木村鷹太郎 2001 復刻版 「星座とその神話」 八幡書店