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Вадим Зеланд(ヴァヂム・ゼランド)氏の最新インタビュー④
③からの続きです。
どこまで続くのか、そろそろ終われるのか…。
「Дух(スピリット)」とは?というお話しが展開されます。
Вы говорите, что Трансерфинг основывается на тех идеях, которыми владели жители древних цивилизаций (например, Атлантиды). Но как читатель может понять, что эти знания достоверны, а не объекты художественного вымысла автора? (Если всё, что осталось от Атлантиды – разрозненные теории о ее возможном существовании, не подкрепленные научными фактами.)
Я такого не говорил, что прямо «основывается на тех идеях». Откуда мне знать, какие там были идеи? Я лишь предполагаю, что подобными знаниями в совершенстве владели древние развитые цивилизации: во-первых, потому что они были развитыми, а во-вторых, потому что ничто не ново под этой луной. Всё когда-то было, есть и еще не раз будет.
トランサーフィンは、古代文明(例えばアトランティス)の住民が持っていた考えに基づいているとおっしゃっていますね。しかし、読者はどのようにしてこの知識が信頼できるものであり、著者のフィクションではないことを理解できるのでしょうか?(アトランティスに関して残っているのが、科学的事実に裏付けられていない、その存在の可能性についての散在する理論だけであるとすれば。)
私は直接的に「それらの考えに基づいた」と言ったことはありません。彼の地にどんな考えがあったのかをどうやって知ることができるでしょうか?私は、古代の高度な文明がそのような知識を完全に持っていたと推測するだけです。第一に、それらは高度だったからであり、第二に、この月の下には何も新しいものがないからです。すべてのものは、かつて存在し、現在も存在し、そしてこれからも存在し続けるでしょう。
художественный вымысел:フィクション
художественный:芸術の・美術の/芸術的な
вымысел:①空想,虚構 ②作り事,嘘
→ 芸術的な空想・嘘=フィクション
ничто не ново под этой луной:この月の下、新しきものは何もない
慣用句辞典によると、ロシアでよく知られているラテン語の表現
「Nil novi sub luna(月の下には新しいものはない)」
の、ロシア語訳であり、帝政ロシアの時代の有名な歴史家・小説家・詩人カラムジン(1766-1826)が、自身の詩の中でこの表現(Ничто не ново под луною)を使っていることでも有名。
更にその元になっているのは、旧約聖書の中の「伝道の書」第1章9-10節の言葉だそう。
«Что было, то и будет; и что делалось, то и будет делаться, и нет ничего нового под солнцем.»
(かつてあったものはこれからもある、なされたものはこれからもなされるだろう、太陽の下では新しいものは何もない)
バリエーション空間あるいは「(睡眠の)夢」の世界には、過去にあったこと、現在あること、未来にあること、あったかもしれないことのすべてがある(там есть все, что было, есть, будет, и могло бы быть)という、トランサーフィンでもタフティでも繰り返し語られていることですね。
参照記事:
Что такое Дух человека, на ваш взгляд?
Наш изначальный Дух – это наше высшее Я, то, что создано «по образу и подобию». Душа – есть воплощение Духа в этой жизни. Тело, душа и разум – это наша реализация, «релиз» Духа в виде аватара. А Дух – это тот, кто «смотрит» из аватара.
Когда мы просыпаемся в обычном сновидении, то есть понимаем, что это сон, мы осознаём себя как того, кто смотрит этот сон. А если проснуться в сновидении наяву, в качестве кого мы себя осозна́ем? Того, кто «смотрит сон этой жизни».
Мы самоидентифицировали себя со своим телом и разумом, своим аватаром. Но мы есть нечто большее, чем привыкли считать. Это наш Дух, который всегда находится рядом с нами – позади нас и над нами. Буквально точка доступа к Духу расположена за и над затылком. Это своего рода интерфейс к Духу. Попробуйте протянуть воображаемый луч или некое облако из затылка назад и вверх под углом 45 градусов. Обратите внимание на свои ощущения. Если что-то почувствовали, первый шаг сделан. Если ощущений пока нет, придется прочитать книгу и попрактиковаться. Не всем дается сразу.
あなたの考えでは、人間の精神(スピリット)とは何でしょうか?
私たちの本来の「精神(スピリット)」は、私たちのより高い「自己」であり、「かたちに似せて」創造されたものです。「魂(душа)」はこの世において「精神(スピリット)」が具現化したものです。体(тело)、魂(душа)、知性(разум)は私たちの実体であり、アバター(化身)の形をとった「精神(スピリット)」の「解放(release)」です。そして、「精神(スピリット)」はアバターから「見る」者です。
通常の夢の中で目覚めたとき、つまりそれが夢であると理解したとき、私たちは自分がその夢を見ている人間であると認識します。では、現実の夢の中で目覚めたら、私たちは自分自身を誰として認識するのでしょうか?「この人生の夢を見ている」のは誰なのでしょう。
私たちは、自分の体(тело)と心(разум)、つまり自分のアバターと自分を同一視してきました。しかし、私たちは、自分で思っている以上の存在です。これは私たちの精神(スピリット)であり、常に私たちのすぐそば、私たちの背後の上方にあるものです。実際、精神(スピリット)へのアクセスポイントは、後頭部の後ろの上方にあります。それは精神(スピリット)への一種のインターフェース(接点)です。頭の後ろから上に向かって45度の角度で、想像上の光線または雲のようなものを伸ばすようにしてください。自分の感覚に注意を払ってください。何かを感じたら、最初の一歩を踏み出したことになります。まだ感覚がない場合は、本を読んで練習する必要があります。誰もがすぐに理解できるわけではありません。
«по образу и подобию»:~を手本にして
旧約聖書 創世記(第1章 第26節)からの表現です。
«И сказал Бог: сотворим человека по образу Нашему и подобию Нашему...»
神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。」
(日本語訳は<日本聖書協会『新共同訳約聖書』創世記1章>より)
Дух(ドゥーフ)、душа(ドゥシャー)、разум(ラーズゥム)
※読み方は「ー」の部分を長く強く読みます。
それぞれどう訳すのか、かなり悩むところです。
ここでは、辞書的な意味も紹介しつつ、トランサーフィンの中でどのような意味合いで使われているのか?というところを、考えてみたいと思います。
※日本語の翻訳版を読んでいないので、本の中でどの語に訳されているものが元のロシア語でどれに当たるのか、という照会はできないのですが…。
Дух
露和辞典によると、
дух:〔spirit, mind〕①精神,心 ②意気,士気,元気,勇気 ③霊魂,魂(душа) ④本質,真髄,精神;気風,風潮,流儀 ⑤精霊,霊
と、たくさんの意味が出てきます。そして〔〕で補足があるように、英語の「spirit, mind」と意味が重なるところが多そうです。③は「душа」と同じだともなっています。
しかしここでは、「Дух」と一貫して大文字始まりで記載されているので、固有名詞的にというか、この文脈の中での特定の意味に絞った使い方をするよ、ということを表しています。日本語で書くなら「」付けるか、太文字にするか、傍点を打つか、あるいは敢えてカタカナで書くとかになるでしょうか。
露露辞典でも、たくさんの意味の説明が出てきますが、この文脈で使われるものに一番近いと思われる定義を2つの辞典から引用します。
В религиозно-мистических представлениях(宗教・神秘主義的な観念に於いての):
бесплотное сверхъестественное существо(無形の超自然的存在)в идеалистической философии и религии(理想主義や宗教に於いての):
бессмертное нематериальное начало, лежащее в основе всех вещей и явлений(すべての事物と現象の根底にある不滅の非物質的要素)
душа
露和辞典では、
душа:〔soul, feeling, spirit〕①霊魂,魂 ②心,内心,胸中 ③気質,気立て,人柄 ④熱情,感情,心
派生した比喩的な意味を除くと、нематериальная составляющая личности, её внутренний мир(人格の非物質的要素、その内なる世界)ということに集約されるかと思います。
разум
разум:〔mind, intelligence〕①理性,判断力 ②知性,知力,知能
способность мыслить(考える能力)ということですね。
英語で〔mind, intelligence〕となっていますが、「mind」はこれはこれで、幅のある言葉なので、ややこしくなります。
体との対比だったなら、тело и разумは「体と心」と言うこともできると思うし、душа и разумなら「ココロとアタマ」ってなる。
душа и разумの対比のイメージ
感情と思考/右脳と左脳/潜在意識と顕在意識/ココロとアタマ/感覚と言葉
その存在を感じる場所としてどこにあるものと感じるか?で考えるとわかりやすいかも。あくまで、ゼランドさんの本を読み、インタビューを読んだ上での、私自身の感覚ですが、
разумは頭、душаは胸、Духは体の外の全部(アクセスポイントは後ろの上の方)、という感じです。
一個人を超えた存在であるДухが体・心・思考を持った人間の形をとって(アバターとして)ここに現れている、それを通してこの現実を「見ている」ということですね。
«релиз»は英語「release」からの借用語で、日本語でも外来語を読み方のままカタカナで表記するのと似ています。
Духが人を通してこの世に現れてくることを、解放する、自由にする、外に出す、解除する、公開するというような意味を持つ「リリース」を使って表現しています。
⑤に続きます。次で終われる予定ー
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