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1000文字の写真論

3  写真の描写力

 「描写力」と大きく書きますと、すぐに新製品のカメラやレンズの性能、スペックを思い浮かべてしまう人は多いと思います。それはあながち間違っていません。写真は物理光学、あるいは化学の産物であるからです。描写力はそうした領域を突き詰め、より高性能、高画質なカメラやレンズへと導いていきます。

 さて、では「描写」とは根本的に何を指しているものか。写真は本来「忠実な描写」であるとされてきました。(しかし一方で「真を写すとは限らない」ともされていますが)物理の眼として考えていきますと、光があるから、それ (被写体)はレンズを通して画像として描写されていくことになります。そこにはとてもわかりやすい私たちの認識が自然に働いていきます。それはどんな「かたち」なのか、「色」はどうなのか、「明暗」は、「質感」はどんなものかなどです。そしてそれらが組み合わされ、二次元の「写真」として私たちも「それ」を手に取ることが可能となります。

 この「描写」は物理に関わるのだから、単なる表面的なものでしかないのかと思われがちですが、実はここをスタートラインとして被写体を取り巻く世界へと写真を見る人の感情や思考が走り出していきます。したがってこの描写、ないしは描写力といったものがまず大事であり、カメラレンズメーカーもよりしっかり写るように日夜努力を重ねているということにも繋がってきます。

 そして、私たち写真を撮る側は、写真の特性をよく理解し、描写を細かくコントロールする技術力と表現力を発揮していかねばなりません。例えばモノのかたちを描写しようとすると、ボケていては正確に形が伝わリません。シャープに写すための技術が必要です。また色はボケていても伝わりますが、それが正確な色かどうかという判断も加えるべきでしょう。さらに明暗の度合いや質感は光に委ねられますのでよく見極めたいものです。
 それらが結集され写った写真は、とりあえずしっかり写っているということにはなるのですが、(それが面白いかどうかはともかく)まだその先へは進めないかもしれません。写真につきものの、ちょっとした「制約」のようなものがさらに加わってくるからです。

 「制約」と書きましたが、ポジティブに考えますと「土壌」というものかもしれません。描写力が活かされ、ここからいかに写真表現が育まれていくかという大きな期待がそこにあるからです。


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大西みつぐ / 写真家
古くから様々な読者に支持されてきた「アサヒカメラ」も2020年休刊となり、カメラ(機材)はともかくとして、写真にまつわる話を書ける媒体が少なくなっています。写真は面白いですし、いいものです。撮る側として、あるいは見る側にもまわり、写真を考えていきたいと思っています。