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1月17日:私の💩大戦争

1991年(平成3年)1月17日:湾岸戦争開戦
イラクのクウェート侵攻を受け、国連の多国籍軍がイラクに対して武力行使を開始。この日、連合軍はイラクの空爆を実施し、湾岸戦争が勃発。おかげで大学の卒業旅行の計画はおじゃん(死語)に。

1995年(平成7年)1月17日:阪神・淡路大震災発生
午前5時46分。兵庫県淡路島北端を震源に、マグニチュード7.3の地震がゴゴゴゴ…と発生。この地震で6,400人以上が命を落とし、25万棟の家屋が崩れ落ちるという、戦後最大の規模の被害が発生。大きな出来事でしたが、そんな日の私たちは…なんと、看護学校のスキー研修に向かうバスの中。バス内では、「これ、もしや救助に行かなくていいの!?」と心配しつつも、スキー場に向かう看護学生達でありました。

2019年(平成31年)1月17日:💩大戦争
 
その日は娘が泊りで中学校のスキー研修にいっておりました。
本当に良かった。娘がいない時で本当に良かった。

そのうち書くと思いますが、当時私と娘は父の介護のため、実家に寝泊りしていたんですね。といっても、家から5分くらいのところなので、すぐそばなのですが、11月に母がなくなったばかりで、要介護の父を一人にしておくのはしのびなかったのです。
 そのころの私は手術室の管理者としてフル回転中。3日に1回はオンコールの当番があるような生活。仕事帰りの買い物中に呼び出しの電話が鳴ることもしばしば。スーパーの冷凍食品を手に持ったまま緊急呼び出しに駆けつけ、冷凍食品が悲惨な姿に変身したことも(笑)。さあ、これでわかるでしょ、私がどれだけ「スリリング」な日々を送っていたか…。

そして、病院って、冬って、マジで忙しいんです。インフルエンザ、ノロウイルス、そして現在のコロナウイルス!患者さんだけでなく、職員の家族が感染して欠勤することも。人手不足でギリギリなのに、気温が下がると脳卒中や心疾患、骨折などが次々に来る。手術室では連日の緊急手術で、もう体力的にヘトヘト。そんなこんなで仕事を終え、やっと実家にたどり着いたら、父が「ごめん、失敗してもうた~…(´;ω;`)」と力ない声。

背中を丸め、ソファーに横たわる父。背中が泣いている。

何が起こったかと周りをみると

あっちもこっちも💩と闘った名残が・・・・。

 ソファの周り、座布団、絨毯、廊下、トイレ、洗面所、キッチン、そしてキッチンマット…すべてがチョコレートで汚染。まさに内乱状態。「これは、どう見ても戦場やんけ!」というくらいに広がる💩の拭き跡。有機物の汚染って、なんでこう広がるかなあ~と。
 どうやら父は、腰椎圧迫骨折で痛む身源体で、なんとか失敗の後始末をしようとしたらしい。どこが汚染の発生源なのかすでに不明なくらい広がっている。
 私は、心の中で十字を切った。「娘がいなくて本当に良かった」と。だって、中二女子が帰ってきてこの惨状を目にしたら、絶望感と無力感しか感じないもん。神様、ありがとう、娘にこんな試練を与えないでくれて…ってお礼を言いました(笑)。仏教徒なのに、ね。

濯機vs手洗い:座布団との壮絶バトル

 その後、私は家の中で一人、必死に戦っていました。「頼むから、今日は緊急手術で呼び出さないでくれ」。心の中で必死に祈りました。せめて、後始末がつくまでは・・・。あっちもこっちも汚染されて、何から手を付けていいのやら。でも、まず最初にやらなければならなかったのは、汚染された衣類を洗濯機で洗うこと。とにかく手で下洗いして、ハイターにつけて、その後洗濯機に放り込むこと数回。
 ありがたいことに、私が年末に勇気を出して買った洗濯機はすごく便利で、ボタン一つで洗剤投入から乾燥まで一気にこなしてくれるのです。乾燥までできるおかげで、洗濯物を干さなくていいという優れもの。これ、30万以上も出して買った甲斐がありました。今回の事件は、この洗濯機なしには乗り越えられなかった!Panasonic製のため、「パンナコッタちゃん」と呼んで愛用していたこの洗濯機が、あの時の私を救ってくれた最大の救世主。洗濯機がぐるぐる回っている間に、私は家の中を走り回り、拭き掃除や消毒を繰り返していました。だって、家の中があちこち汚れまくっているんですもの。キッチンからリビングから廊下から、もう目に見えるものは全部拭き掃除!

でも、ここで最大の問題が発生します。そう、座布団です。普通、洗濯機にポンと入れておけばいいんですが、座布団は大きすぎて入りません。どう考えても洗濯機に収まるわけがない。冷静に考えれば、あの座布団を捨てればよかったんです。でもそのときの私はどうしても洗わなきゃ気が済まなかった。

仕方なく、座布団を風呂場に持っていき、手洗いすることに決定。体力的にもうヘトヘトだったけど、目の前には“やらなきゃならないこと”があったので、やるしかない!必死に手洗いしながら、「これさえ洗えば、何とかなる!」という謎の使命感で、ひたすらゴシゴシと座布団を洗いました。でも、どんなに洗っても、汚れが取れたようには見えないんですよね。むしろ広がっていく一方。さすがに気づきました、これ、無理だなって。

それでも、必死に洗い続けました。座布団を家の中に置くわけにはいかない!と思った私は、必死で洗っていたんです。でも冷静になった今、思えば、捨てればよかったんですよね。だって、あんなに広範囲に汚れている座布団を洗うのは無理だった。もしあの時、潔く捨てていたら、あんなに時間も体力も使わなくて済んだのに。

結局食事をしたのは夜中の3時頃でした。
でも、次の日も仕事があるのよね・・・😢

結局、その座布団は、冬の夜中に外に干されることになり、朝、凍った座布団が待っていました。「こんなことをしている場合じゃない!」と思いながらも、無駄に頑張ってしまった自分を少しだけ誇りに思っていたりして。

阪神・淡路大震災発生から30年。この日がくると、あの壮絶な、夕方から夜中までの💩大戦争を思い出すのです。

でもね、本当は、「失敗してもうた~(´;ω;`)」」と思ってから
どれくらい長い間、どんな気持ちで父は後始末をしていたのか、
それが功をなさず、私の目の前にさらさねばならなくなったとき
どれほど情けない気持ちだったのか
その永遠とも思えるような、悲しい時間の事を考えると
胸が締め付けられるような気がします。
その事が本当につらく思い出されるのです。


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