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「本人らしく生きる」を選ぶということ ~ある102歳の患者さんとご家族の決断から~
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私は医療現場で、患者さんやご家族の選択の近くにいる仕事をしています。今日は、ある102歳の患者さんとご家族との関わりを通じて考えさせられたことをお話ししたいと思います。
この話は、「医療でできること」と「本人の望むこと」の間で、私たち誰もが直面するかもしれない選択についての物語です。
食べられなくなるということ
人は歳を重ねていく中で、少しずつ体の機能が変化していきます。その中でも特に大きな転換点となるのが、「食べられなくなる」という変化です。
102歳のAさんも、徐々に食事が取れなくなっていきました。病院に入院となり、栄養を確保するために鼻から胃にチューブを通す経管栄養(NGチューブ)を開始することになりました。
医療者として、私たちは「これで栄養が取れるようになる」「体力が回復するはず」と考えていました。実際、経管栄養を始めてからAさんの活動性は向上し、予想以上に回復されました。
「たすけてー!」という声
しかし、Aさんの様子は違いました。
「たすけてー!」
「これ抜いてー!」
「これ取って!」
「もうなんにもせんでいい!」
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チューブを抜こうとする行為は5回に及び、安全のために手を縛らざるを得ない状況となってしまいました。
その姿を見ているのは、とても辛いものでした。
医療者として「命を救うために必要」と行った処置は、Aさんにとってはむしろ苦痛でしかなかったのです。体力は確かに回復し、医学的には改善が見られました。でも、手を縛られ、チューブを入れられたまま過ごす日々は、本当にAさんの望む生活だったのでしょうか。
ご家族の決断と、その先にある生活
そんな中、ご家族から申し出がありました。
「食べられなくなったら、それでいいので、チューブを抜いてください。点滴もしなくていいです。」
この言葉には、Aさんの苦しむ姿を見続けてこられたご家族の深い思いが込められていました。「延命」よりも「本人らしく」あることを選択されたのです。
医師との話し合いを経て、経管栄養を中止することが決まりました。
予想以上にAさんの回復は良好で、むしろ次の生活の場を考える段階に入っています。医療の必要性が低くなれば、病院から次の療養先への移行を検討することになります。
「本人らしく」生きるための選択
この経験は、私たちに多くのことを考えさせてくれます。
医療の進歩により、私たちは多くの可能性を手にしました。栄養を補給する方法も、療養の場も、様々な選択肢が存在します。
しかし、同時に考えなければならないのは、その人らしい生き方、その人の望む生活の在り方です。
時に医療的な処置は、その人の望まない苦痛を伴うことがあります。医学的な「回復」が、必ずしもその人の望む生活には直結しないこともあるのです。
Aさんの「もうなんにもせんでいい!」という言葉は、医療者として私たちに重要な気づきを与えてくれました。処置に伴う制限や苦痛よりも、その人らしい生活を選択することの方が、時にはずっと大切なのかもしれません。
これからを見据えて
今、Aさんとご家族は新しい生活の場を探す段階に入っています。
この選択は、「終末期の決断」ではなく、「これからの生活をどう送るか」という前向きな選択となりました。時に私たちは「できることはすべてやるべき」と考えがちですが、本人の望む生活を第一に考えることで、新たな可能性が開けることもあるのです。
もし、あなたの大切な人が同じような状況に直面したら、どうされるでしょうか。
正解は一つではありません。その時、その場所で、その人とご家族にとってのベストな選択があるのだと思います。
ただ、この話を通じて、「本人が望むこと」「その人らしい生活とは」について、大切な人と話し合うきっかけになれば幸いです。
医療者にできることは、その選択に寄り添い、次の生活に向けた支援をすることなのかもしれません。Aさんとご家族から、私たちはそのことを教えていただいたのです。
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これからの生活について「大切なこと」
Aさんのように、病院から施設での生活に移る時、大切なのは「その先」のことも考えておくことです。
特に気をつけたいのは、施設で暮らし始めてから、また食事が取れなくなった時のことです。多くの施設では、お年寄りが食べられなくなると、「具合が悪くなった」として病院に運ぶことが一般的です。そうすると、また今回のように点滴や鼻からの栄養補給という話になるかもしれません。
でも、それは本人の望むことではないかもしれません。
どうすれば本人の願いを叶えられるでしょうか
まず、施設を選ぶ時に、こんなことを聞いておくとよいでしょう:
「食事が取れなくなった時は、どうしてくださいますか?」
「夜間に具合が悪くなった時は、どうされますか?」
「最期まで、この施設で過ごすことはできますか?」
「お医者さんや看護師さんは、いつもいらっしゃいますか?」
また、これだけは必ずお願いしておきましょう:
本人とご家族の希望を、書面に残すこと
かかりつけのお医者さんに、ご家族の考えを伝えること
施設の職員さん全員に、ご家族の思いを共有してもらうこと
時々、施設の方々と話し合いの場を持つこと
ご家族の中でも、こんな話し合いが必要です:
「もしもの時」の連絡先を決めておく
誰が中心になって決めごとをするのか、はっきりさせておく
ご家族みんなで話し合って、気持ちを一つにしておく
気持ちが揺れ動くことについて
こういった準備をしていても、いざという時に気持ちが揺れることはあります。
「このまま、でいいのかな?」
「病院に運んだ方が、いいのかな?」
そんな風に考えるのは、自然なことです。
だからこそ、普段から:
施設の方々と、よく話をする
本人の様子をよく見て、気づいたことを伝え合う
ご家族同士でも、よく話し合う
時々、みんなで本人の希望を確認し合う
ということが大切になります。
最後に
「本人らしく生きる」ということは、その時々で、小さな選択の積み重ねになります。
今回、Aさんとご家族が選んだ道は、その第一歩です。これからも迷うことはあるでしょう。でも、本人の願いを中心に、ご家族みんなで考えていけば、きっと良い選択ができると信じています。
この話が、同じような選択に迷っているご家族の参考になれば幸いです。
(この記事に登場する方々のプライバシー保護のため、一部脚色を加えていることをご了承ください)