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【読書記録】いけない/道尾秀介

この本を買ったきっかけは、自分の好きな芸能人がお勧めしていたから。

本当単純だけど、その紹介の仕方でとてつもなく惹かれて、ネットですぐにぽちっと買った。

そうしたら、約1年前に発売された本で、その時も話題に上がったようで、、その頃読書する余裕なんてほとんどなかったから、全然知らなかった。


この本の最大の特徴は、各章の最後の1Pに貼られた写真だ。

この写真が、今まで読んできた文章の意味を変えてしまったり、その写真の意味に気が付くことが出来たら、登場人物の行動や真意が見えてきてして、ぞっとしたりする。きっと気が付かない人は気が付かない。

別に気が付かなくても、話が破綻しているわけではない。辻褄が合わないわけでもない。ただ、伏線が回収されかったり、真相がちょっとぼやけて見えるだけだ。

イヤミス、とは違う、すっきりしないもやもや感。それが残る。

なので私は、1章ずつ1回読んで、もう1回読んで、3章だけ更にもう1回読んだ。

やっぱりもやもやするけど。結局明かされない真相が出てくるのだけど。でもこれは作者の手法らしく、読者の想像に委ねる、という余韻を敢えて残してくれているらしい。もやもやするけど。


なのでこの本は、後味悪くても良くて、ミステリーが好きで、謎解きゲームとかも好きで、あえて素直な人が読むととても面白いと思う。


このお話は、白澤市と蝦蟇倉市という2つの市境一帯で起きる複数の事件に関して4章に分けて描かれている連作短編だ。

繋がっているようで、繋がっていなくて、繋がっている。

同じ街に住んでいるから、何かしらつながっている。やっぱり世間ってせまい。でも別に密接ではない。

そんな事が各章読みながら頭の中をぐるぐるしていた。


今回の本はネタバレをここに書くつもりはないし、あらすじの書き方でネタバレになりかねないので、あらすじが気になる方はAmazonとか楽天Booksのあらすじ確認してほしいのだけど、各章のタイトルだけ書いておく。


1 弓投げの崖を見てはいけない
2 その話を聞かせてはいけない
3 絵の謎に気づいてはいけない
終 街の平和を信じてはいけない


この章タイトルのつけ方も秀逸で、読み終わって理解ができると、ああそういう事か、、と気が付く。で、またぞっとする。

やっぱり「いけない」なのだ。

第1章ではミスリードが鮮やかだった。そういう事か!と終盤で気が付いた。驚いた。その事実を知るだけで、今まで頭の中で作り上げた理論が崩れていく。この人だ、と思っていた相手が違ってくる。

やられた、と思って読み進めて、もやっとして終わった。

そして最後に、写真。意味がわからないけど、きっと最後のこの部分の真相を知る鍵かな?と思ってもう1回読んで気が付く。ああ、、、となる。


2章に移ったら、全然違う雰囲気になっていて、まず混乱。同じ街の事なのか?とその時は気が付かなかったけど、すぐに把握する。ホラーサスペンスみたいで、1章とは同じ街だけど別物の作品だな、と思って読み進める。

これは、、、、と思って読み終わる。写真を見る。ぞっとする。読み返す。

そういえば若いころって、、、と思い出し、何とか自分の中で着地点を見つける。けど、後味が悪くて、益々もやもやする。


そして問題の3章。ここでやっと、連作短編扱いか、と気が付く。ある事件の捜査を軸に話が進むのだけど、1回目では全く本質に気が付かない。真相もわからない。でもなぜか、そういう結末になってしまった。なんで?となり、写真を見る。

ハッとする。もう1回読む。でもやっぱり掴めない。気が付いたと思ったけど、読み終わった今思うと、全く気が付いていなかった。ますますもやもやが増殖した状態で、何とか自分の着地点を見つけて、とりあえず終章に進む。


終章で、書かれている事に関しての真相は全て把握する。そういう事か、、と気が付く。終章を最後まで読んで、章タイトルを読んで、再度ぞっとする。最後の写真の意味を考える前に、3章に戻る。

そして確信する。腑に落ちる。明確におかしい部分が5ページある(私は5ページ気がついた)。一挙手一投足注目して読み進めて、そのまま終章まで進めて、結局わからない真相がちらほらあったな、と思いながら、最後の写真の意味を自分なりに考えて、読了。

結局、もやもやは残ったし、すっきり解決!とはならなかったけど、これは知らなくて良い事だ、と結論づけた。そんなにはっきりさせてしまったら、途端につまらなくなりそうだったからだ。


現実世界でもそうだけど、結局目の前で起きている事実の真実が、正しいか正しくないかなんて誰にもわからない。真実って人の目を通すことで、その瞬間から歪みがちだからだ。そして大抵、歪んでいる事に気が付かないで、話は進んでいく。

だから今目の前にある人・物・事が平和だとか、幸せだとか、誠実だとか、優しいだとか、そんなのその人の主観でしかないし、それが隣にいる他人も同じことを思っているとは限らない。同じことを思っているかどうかを確かめることもできない。できる事としたら、同じことを思っていてほしい、と信じるしかできない。

このお話は、ずっと、目の前の「それ」は本当に「そう」なの?と聞かれているようだった。まさに『何を知っていて』『何を知らないのか』だ。

誰かにとっての「善人」が、誰かにとっての「悪人」である様に、その人が何を知っていて、何を信じていて、何を元に動いているのか、これからこの本を読む人は、それに注目しながら読むと面白いかもしれない。

私は、こんなの自分の身に降りかかったらたまったもんじゃないし、怒り狂いそうだけど、最後の彼の立場だったとしたら、同じことをするかもしれない、って思った。彼がラッキーでアンラッキーだったのは、その立場だと思う。

そして作者があの子にあの名前をつけたのも、名は体を表すじゃないけど、全部知っている人からしたら、そう言いたくなっちゃうかも。知らない事が「かわいそう」と思う人もいるかもしれないが。私は、良かったね、と思った。


なお、読み終わったらぜひカバーも取ってほしい。装丁がとても面白いものになっている。



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