私は、この方のように亡くなりたい Mさんからの学び(訪問看護編)
大腸がんを患ったMさん(72歳)、緩和治療後、自宅に戻り、彼がどのように過ごしたのか。そして、最期どう締めくくったのか。
Mさんの最期に関わらせていただき、「わたしも、こんな風に死にたい」そう思うお看取りでした。
病気がわかるまで
Mさんは、奥さんと二人暮らし
二人の娘さんはそれぞれ独立し、家庭を持っておられました。
お孫さんは一人
ご自身は定年退職後、友人と趣味のゴルフや釣りをして過ごしていました。クラッシックが好きでコンサートにも出かけていました。
地域の役員も積極的にされていて、活動的な老年期を過ごされていました。
ある年の前半・・・なんの症状もないまま、なぜか体重が7㎏減少しました、心配する妻は受診を促しましたが、本人は病院嫌いで拒否していたのです。
その後、夏のとある日、腹痛と嘔吐で救急搬送され、腸閉塞だとわかりました。検査の結果、大腸がんの末期・・・外科の医師からは、
「大腸全体が、劣化したホースのようになっていて、肝臓にも転移があり、手の施しようがない・・・余命は年内だと思います」
と言われてしまいました。
その後、緩和ケアの医師も加わり、緩和のための人工肛門を造設する事になりました。
便の出口ができて、体調はずいぶん楽になり、10月に自宅退院されました。
ご自宅での生活
退院後、Mさんが真っ先に行ったこと。
それは、外構の工事でした。
Mさんのご自宅は、田んぼや畑に囲まれた一軒家。
風通し、日当たりも良く、静かな環境でしたが、ご主人が亡くなった後は、妻一人になるため、物騒になってしまいます。
奥さんが安心して過ごせるように、Mさんは工事の依頼をしていたのです。
訪問看護に伺うたびに、外壁が出来上がり、カメラ付きのインターフォンになりました。
そして退院後は、好きな物を食べられるようになりました。
Mさんは鯖寿司が大好きで、好きなだけ召し上がってました。
又、友人と紅葉狩りにも行けました。
娘さんとは、交換日記をしていて、私にも見せてくれました。
イラスト付きで、面白いやり取りに、ほっこりさせていただきました。
一人コツコツと断捨離・・・
Mさんは、ご自身の荷物の整理をし、数点は孫や、子どもたち妻に残し、あとは全て処分していたのでした。タンスの中はほとんど空っぽになっていました。
又、会いたい人に会って、お礼とお別れを伝えていたそうです。
奥さんとは、葬儀の話もされていました。
その頃の妻の思い
入院していた時に比べ、とっても元気そうに見える状態に、奥さんは悩みました。
「今なら、抗がん剤が効くのかもしれない。」
「健康食品もがんに効くものがあるらしい」
もう少し、
もう少し、
もう少し長く生きられるのではないか・・・・
知り合いから、色々な情報が入ってきては、悩みました。
しかし、Mさんは一切受け入れず、ご自身の生を全うしようとされていました。
12月に入って・・・
だんだんと食が細くなって、食べられなくなりました。
癌による痛みは、ほとんどなく、軽い身体のだるさがあるのみでした。
人工肛門の便の始末は、全て自分で行い、妻には触らせることが無かったようです。
横になっている時間も少しずつ増えていきました。
黄疸も出て来て、顔色は黄色みがかっていました。
12月の中旬になると、水分しか入らなくなりました。
時々嘔吐もあり、身体が何も受け付けなくなってきていました。
お看取りの日
12月24日 クリスマスイブの日
意識レベルが下がり、目を開けることも無くなりました。
訪問看護で人工肛門のパウチ(便をためる袋)を交換させていただいたのは、この日の1回限りでした。
12月25日 クリスマス
朝から努力様の呼吸に変化しました。
ご家族から訪問看護ステーションに連絡をもらいました。
「そろそろだと思います、傍に居てあげてください・・・」と伝え
午前中の訪問看護2件を終え、すぐにMさんの家に向かいました。
穏やかな表情です。
枕もとでは、好きだったクラッシックのCDがかかっており、
静かな静かな時間が流れていました。
親戚も少しずつ集まってきて、みんなで見守る中・・・
お昼の12時半頃・・・
静かに息を引き取りました・・・
その時にかかっていた曲は「ショパンの別れの曲」です。
お看取りの後
二人の娘さんは
「お父さん、あっぱれ! あっぱれ!」
「お父さんらしく、選曲までして旅立った、お父さん、本当にすごい」
目には涙を浮かべていましたが、悲壮感は無く、父親の事を誇らしく思っておられるように感じました。
医師の死亡診断を受け、その後ご家族と一緒にお身体のケア(エンゼルケア)を行いました。
「あら、お父さん少しお顔が黄色味がかっているから、ファンデーションはこの色にしましょうね」と次女
「まぁ素敵!男前ですよ・・・」と長女
「もーーやだ・・・そんな顔の色おかしい、お父さんらしくない」と妻
みんなで、わいわいがやがや、エンゼルケアを行いました。
癌で亡くなるということ
急な告知で、さぞ驚いたことだったでしょう・・・
しかし、余命を告げられ受け入れたMさんは、家族や友人との最期の時間を大切にできました。
みんなに感謝の気持ちを伝えることができました。
自分の葬儀のことも考えられました。
残される家族のために、自分ができることを精一杯され、この世の人生を仕上げて旅立ちました。
準備ができる「死」・・・それが「癌」なのかもしれません。
後日、娘さんに伺うと・・・
「父の死にざまは私の理想です」とおっしゃってました。
私も、将来Mさんのように亡くなりたい・・・
そんな風に思いました。
Mさん、ご家族の皆さん、ありがとうございました。
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