みきまよ

今こそ伝えたい「平穏死」の素晴らしさ。 生活様式が変わり生活の場から追いやられた「老い…

みきまよ

今こそ伝えたい「平穏死」の素晴らしさ。 生活様式が変わり生活の場から追いやられた「老い」と「死」。でも死は、普通で自然な事。死を明るく捉え、お年寄りをあたたかくお見送りする中で、旅立たれた方と、ご家族から学んだことをお伝えします。https://www.mankikai.org/

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亡くなりゆく方から教わったこと・・・

私は看護師です。訪問看護の経験が長いです。 理由あって、今、特別養護老人ホームで仕事をし10年経ちました。今まで、たくさんの高齢者の方のお看取りをさせていただきました。 誰一人同じ亡くなり方は無く、それぞれの方からたくさん学ばせていただいてます。施設での看取りで目指すのは「平穏死」高齢者の自然な営みを妨げず、無用な苦痛を与えることなく、日々を大切に、最期の瞬間まで、「生き切る」お手伝いをしています。 日本には「死」の教育が無いと言われています。 超高齢、多死社会の現代、「死

    • 「平穏死」看取りは介護の仕事

      特別養護老人ホームでの、自然なお看取りは、実はあまり知られていません。わが施設ではお看取りのことを「結いけあ」と言い、高齢者の「平穏死」を自然な事だと受け止め、日々ケアに当たっています。 実は医療従事者もあまり経験の無い「平穏死」 私たちは、そのお手本になりたいと考えています。 平穏死の経過① 食事を欲しがらなくなります。 その状態に委ねます・・・ 放っておくのではありません。普通の食事が欲しくないのなら、何だったら食べられるのか、どんなものなら食べたいか、そんな気持ちに

      • 「平穏死」叶わなかったYさん

        たくさんの高齢者の方を、自然な形でお見送りしていると「平穏死」はやはり素敵だな・・・と思います。 しかし、それが叶わなかった方も居ます。 今回はYさんの事を振り返りたいと思います。 Y さんの事 Yさんは94歳の男性でした。 心臓に疾患を抱え、いつ急変しても、急死してもおかしくない状態でした。 緑内障の悪化で、目が見えず生活の全てに介助を要しました。 認知症もあり、昼夜逆転、妄想もありました。 ナースコールを常に握って、不安になるとスタッフを呼んでいました。 いつも「あり

        • 「平穏死」その妨げになった者・・・

           特養で高齢者の自然な旅立ちをお支えしたい、との思いで、社会福祉法人に就職して10年。今ではやっと、思いを共有し同じ方向を向いてケアに当たって下さる仲間が増えました。 一筋縄ではいきませんでした・・・その10年の中での一つの大きな山場を振り返りたいと思います。 何故、特養の看護師になったのか  訪問看護を長年している時、老衰の方が自宅で亡くなる事が出来ませんでした。介護者が先に参ってしまうからです。 在宅でお世話していた高齢者の方が、ショートステイを利用するようになり、老

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        亡くなりゆく方から教わったこと・・・

          「死ぬこと」ってそんなに悪いこと? (高齢者)

          看護師と言う同じ資格を持ち仕事をしていても、「死」に対する感覚が全く違う方の話を聞いて、考えさせられました・・・ 面接に来られた看護師さんの話 「私は、目の前の患者さんが、死にそうになったら、何が何でも助けます。 それが、私たちの使命であるし、そう教わってきました。 ご本人や家族が、延命を望まなくても、救命はします。 そして救急搬送します。」 「自分の目の前では死なせません・・・・・」 と面接に来られた看護師さんは言いました。 おっと・・・ 「特養では、それをしてもらっ

          「死ぬこと」ってそんなに悪いこと? (高齢者)

          最期に過ごす場所は自分で選びたい S様

          Sさんは 80歳の男性。定年退職後、地域の自治会の会長を長年務め、私たちの社会福祉法人の理事も長年して下さっていました。 77歳の時に、胆管癌を発症し、転移もあり、緩和治療を受けておられました。 余命わずかと医師に告げられた時、最期の時を千鶴園で過ごしたいと希望され入居されました。 Sさんの人柄・家族のこと Sさんは「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の言葉がぴったりの方でした。謙虚でいて、いつも丁寧で、優しく、真面目で、施設で働く職員のことをいつも心配し見守って下さっていまし

          最期に過ごす場所は自分で選びたい S様

          特養での看取り…Uさんの場合

          Uさんは80歳の男性、独身で家族の無い方でした。隣の市には弟さんが居ましたが、そんなに付き合いは無かったようです。 長年一人暮らしをしていましたが、認知症を患ってから、数々の問題行動があった様子で精神科の病院に入院されていました。 精神科の生活相談員の方からの紹介で、当施設に入所することになりました。 出会った時の様子 精神科病院の、精神保健福祉士の方からお電話をいただきました。 「お看取りの時期です。病院ではもう、する事も無く、最期の時を過ごすために施設入所をお勧めした

          特養での看取り…Uさんの場合

          「平穏死」Fさんの場合・・・不思議がいっぱい💛息子さんに会ってからの旅立ち

          桜が満開になるころ、毎年Fさんのお看取りの事を思い出します。 Fさんは88歳の女性で、15年以上前から認知症を患っておられました。 Fさんは元々眼科医で、当時はずいぶん苦労して医師になったのだと伺っていました。 ご主人も医師で、実は当老人ホームの嘱託医師を担ってくださっていました。一男二女を儲け、息子さんは、訪問診療をされる、在宅の緩和ケアの医師で、他県で開業されてました。 Fさんの様子 認知症を患って数年はご自宅で生活していました。認知症初期の頃には、ご主人と一緒にスイ

          「平穏死」Fさんの場合・・・不思議がいっぱい💛息子さんに会ってからの旅立ち

          私は、この方のように亡くなりたい  Mさんからの学び(訪問看護編)

          大腸がんを患ったMさん(72歳)、緩和治療後、自宅に戻り、彼がどのように過ごしたのか。そして、最期どう締めくくったのか。 Mさんの最期に関わらせていただき、「わたしも、こんな風に死にたい」そう思うお看取りでした。 病気がわかるまで Mさんは、奥さんと二人暮らし 二人の娘さんはそれぞれ独立し、家庭を持っておられました。 お孫さんは一人 ご自身は定年退職後、友人と趣味のゴルフや釣りをして過ごしていました。クラッシックが好きでコンサートにも出かけていました。 地域の役員も積極的

          私は、この方のように亡くなりたい  Mさんからの学び(訪問看護編)

          「平穏死」Yさんの場合~命を使い切るってどういうこと?~

           Yさんは100歳の女性でした。 98歳まで一人暮らしをし、ほとんど自立した生活を送っていました。 水墨画が趣味で立派な絵がたくさん自宅で保存されていました。 ある日自宅で、急に倒れて、救急搬送された病院で急性膵炎がわかり、入院治療され、4週間後リハビリ目的で転院しましたが、その後自宅に帰ることは出来なくなり、施設入所となりました。 Yさんの日常生活 Yさんは食べることが大好きでした。 施設で月に一回開催される「パンの日」には、大好きなパンをたくさん買って、ご自身の部屋に

          「平穏死」Yさんの場合~命を使い切るってどういうこと?~

          「平穏死」Fさんの場合~終末期の点滴、する?しない? ご家族の意見が合わない時・・・

           Fさんは96歳の女性でした。 とっても気が強く、はきはきと物を言い、イエス、ノーをはっきりと伝えてくださる方でした。 アルツハイマー型認知症で10年ほど前から要介護状態で、足の筋力も衰えて車いすでの生活でした。  ご主人はだいぶ前に亡くなり、子どもは長男、次男、長女の3人、次男は独身で長い間母親と生活していました。 自宅での介護が難しくなり、施設に入居されました。 Fさんの施設での生活  陽気で明るい性格のFさんは、歌が大好き。 いつも歌をうたい、ノリが良く、周りの人を

          「平穏死」Fさんの場合~終末期の点滴、する?しない? ご家族の意見が合わない時・・・

          「平穏死」Hさんの場合・・・・・・ 許し許され送られた最期

          Hさんは88歳の女性。 若い時にご主人を亡くし、小豆島で、女手一つで助産婦をしながら一人娘を育てました。娘さんは大学進学の際に、地元を離れ大阪に転居。その後からHさんは長年一人暮らしをしていました。 施設入居時の様子 Hさんは、10年前から認知症を患っていて、小豆島で一人暮らしが出来なくなり、一人娘さんが引き取って同居していましたが、誤嚥性肺炎で入退院を繰り返すたびに、認知症が悪化し、ご自宅での生活が出来なくなって、施設に入居されました。 実はHさんは、娘さんのご主人と折

          「平穏死」Hさんの場合・・・・・・ 許し許され送られた最期

          犬のおっちゃん③

          犬のおっちゃん①②の続きです。 季節は梅雨 だんだんMさんの言葉数は減ってきて、眠っているような日が続きました。 外の雨音はMさんにとっての子守歌の様に感じました。 その頃の様子 Mさんの交友関係は豊かで、ある時には有名企業にお勤めのお偉いさん。 ある時は宗教関係の方、昔からの知り合いの獣医さんも家族で訪ねて来てくれた。九州から、お姉さんも駆けつけてくれた。 もちろん、Kさんも毎日来てくれていた。にぎやかな毎日だったが、Mさんの家は鍵も無く、夜間は不用心。 Mさんは、自

          犬のおっちゃん③

          犬のおっちゃん②

          たくさんの犬を飼っていた、犬のおっちゃん①の続きです。 肺がん末期のMさんの自宅に訪問看護に行きはじめ、3週間ほどが経ちました。 ネズミとの遭遇 全ての動物を里親に託し、動物が居なくなったMさんの家には、いつの間にかネズミが住処にするようになった。 ネズミは賢い。 家の者以外が入ってくると、息をひそめて動きを止めて気配を消す。 でも、訪問が頻回になると、やがて「害のない人間」と認識するのか、どこからともなく「がさがさ」「がたごと」と音を立て、壁の中や屋根裏で自分たちの存在

          犬のおっちゃん②

          犬のおっちゃん①          ~訪問看護での経験~

          10年前、施設看護師になる前は、長い間 訪問看護をしていました。その中で忘れられない方のお話をまとめたいと思います。 地域で有名な犬のおっちゃん  Mさん 当時、私は病院での訪問看護に当たっていた。 「大変臭うございます」そう言いながら、Mさんは診察室に入ってきた。 ある年の3月はじめ、少しだけ暖かくなってきた穏やかな夕暮れ、ボロボロの服に、伸び放題のひげ・・・ ひどい身なりのMさんの訴えは 「右の胸がピリピリと痛み、だんだんひどくなっている」との事だった。 診察した

          犬のおっちゃん①          ~訪問看護での経験~

          「平穏死」Oさんの場合

           お見送りの決断までの道のり ご主人が悩んで悩んで、平穏死を選ばれた最期 Oさんについて Oさんは80歳の女性でした。主介護者であるご主人は88歳。お二人暮らしでした。ご長男を若い時に病気で亡くし、次男は学校の校長先生をされていました。 Oさんは16年前(64歳の時)にアルツハイマー型認知症を患い、徐々に進行し要介護5の状態となり施設入所されました。 全介助で食事も何とか全介助で食べられていましたが、だんだん口腔内にため込むようになり、口を開けてくれなくなりました。 私た

          「平穏死」Oさんの場合