季節感を深呼吸! いまにつながる江戸時代の暮らし「長崎歳時記手帖」
第一回 月見、菊見、花街
いまに伝わる年中行事や風俗習慣を、江戸後期の長崎で生まれた「絵」と「文」ふたつの歳時記を中心にご紹介していきます。
「絵」は、町絵師で出島出入り絵師の川原慶賀が描いた「長崎歳時記」のシリーズ。時に「シーボルトのカメラ」とも言われた慶賀さんの絵は、西洋人が日本人の生活を知るための依頼によって描かれていますので、当時の生活の様子を、まさに写真のように伝えてくれます。
作品は原則として長崎歴史文化博物館のウェブサイト内にある「川原慶賀が見た江戸時代の日本(I)」でご案内します。オランダのライデン国立民族学博物館と日本国内にあるコレクションのデータベースです。
「文」は、長崎の地役人であり、国学者でもあったという野口文龍による「長崎歳時記」。元旦から大晦日までの年中行事やならわしが、細かく記されています。鎖国時代において国際貿易港であった長崎には、日本全国に共通していた年中行事に加えて独特の文化や風習がありました。文龍さんはそれがとにかく面白く、書きとめずにはいられなかったようです。
ふたつの「長崎歳時記」をまとめた拙著「川原慶賀の『日本』画帳」をお手元に置いていただくのも、もちろん大歓迎でおすすめです!
コロナ禍で、お祭りや行事ごとが中止・縮小されがちないま、江戸時代の長崎の歳時記を通して、ほんのひとときでも、四季折々の風をお届けできたらうれしいです。
日々の生活の中で季節感を楽しんでいただくため、ちょっとだけ先の行事などをご紹介していきますね。記念すべき第一回目は、お月見。(今年の中秋の名月は、9月21日です!)
月を愛でる
では、慶賀さんの絵を見ていただきましょう。お月見は2パターンあります。まずは屋外でのお月見から。(画像はサイズの小さなものにしています。リンク先で大きな画像が見られます)
その1
その2
「郊外の家の庭に台を置いてお月見。女性がおいしそうなものを運んできている」
と、状況としてはおなじですけど、左右反転だったり、いろいろ違います。
慶賀さんが描いていたのは「一点ものの芸術作品!」ではなく、まさに写真がわりの記録ですから、オランダ商館員から頼まれれば「焼き増し」をします。筆のタッチも違ったりするので、現在では「川原慶賀」は何人もいる……その時々の注文なのか、工房的なものがあったのかはわかりませんが……複数の絵師の「集合体」であったと考えられています。
なので、この二枚もそういった「焼き増し」です。この先ご紹介していく絵のほとんどに、こうした複数のバージョンが存在します。
「まったく同じじゃつまんない」と思ったのかどうか、間違い探しのように、あちこち変わっているのがおもしろいです。
どちらにも萩が咲いていますが、2に紅葉はありません。
背景の山の感じは似ているけれど、もしおなじ場所なら2では海が埋め立てられている?
2は松が変なところから生えているというか、空中に浮いてるみたいだし、月の光もないし、なんだか……下手? 手抜き?……。
でも、それでもいいといえば、いいんです。この絵に求められているのは、芸術的に優れているかどうかではありません。「日本人は秋に月を見る習慣があり、それはどんなふうに行われているのか?」ということの記録なのです。
さて、このお月見、文龍さんの歳時記ではどう記されているでしょうか。
最初だけ、原文をお見せしておきます。
此夜を俗に豆名月といひ傳え家々膾をし通例琉球芋(から芋なり)南京芋(さといも)大豆を煮しめて近隣の婦女なと互いに打寄相賑ふ、尤騒客文人の輩ハまた名月の會など催す
「古文」としてはそんなに難しいものではありませんが、ストレスなく読める、というものでもないので、「長崎県史資料編4」に収録されているものを、全文、コツコツと「現代語訳」しました。以後はこれを使っていきます。
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