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大洗の外国人@水戸-大洗地域研究備忘録vol.2 京都大大学院生 許 大星(ほ でそん)

執筆者(入居者):京都大大学院生 許 大星(ほ でそん)
1998年福岡県宗像市生まれ。2021年京都大学農学部資源生物科学科卒業。同年京都大学大学院ASAFAS東南アジア地域研究専攻に進学、在学。学部時代は有人宇宙学実習1期生として京都大学宇宙ユニットの門と叩き、宇宙×農学をテーマに学びを進める。大学院では一転して、インドネシア人を中心に在日外国人のエスニシティ、主に民族的な帰属意識について、フィールド調査をもとに調査を行う。水戸宿泊交流場に3ヶ月滞在中。

▼note第一弾はこちらをご覧ください

“世の中は美しい本だが、それを読むことのできない者にはほとんど役に立たない。” ―カルロ・ゴルドーニ 「パメラ」

“本を読む”という行為には、多くの能力・知識が必要とされる。文字を認識することが出来る視覚や本に書かれてある文字を理解できる言語能力、前のページに書いてあることを覚えておける記憶力、本が読者に要求する最低限の背景知識も不可欠だろう。同様に、世界という本の美しい物語を理解し、味わうためには、様々な能力・知識が必要となる。この美しい本を読み解き、味わうことを少しでも手助けすることのできるモノを創り出すことが今回のフィールド調査のゴールといえる。
さて、前回は茨城県には多くの外国人が住んでいること、そして、彼らを対象として研究する意義について述べた。(詳しくは前回のnote参照)今回は、調査地である大洗町における外国人の歴史を聞き取りや文献をもとに概説していく。これらは大洗町の外国人という本を読み解いていく上で必須の知見であるため、是非とも最後まで目を通して頂きたい。

大洗町の外国人 戦後~1980年代

大洗町と外国人の歴史はいつから始まったか、詳しい時期は不明だが、1954年に磯浜町と大貫町が合併して大洗町となったときには、既に外国人が居住していた。当時、戦後の日本に広く居住していた朝鮮人が、大洗町にも居住していた。大洗町単位の正確な統計データはないものの、大洗地元住民が集うコミュニティ・ブックカフェ「本と焚火」に訪れた際、偶然にも当時を知る住民のK氏に話を聞くことができた。曰く、当時の磯浜町には朝鮮部落があり、朝鮮人差別の雰囲気がなんとなくあった感覚を覚えているとのことだ。また朝鮮人の末裔として、現在も町内で営業しているパチンコ・スロット店のオーナーがいる。このように、大洗町初期の外国人は大方朝鮮人とみて良いだろう。
 こうした”日本にいる外国人=朝鮮人”という日本中で広くみられた図式は、大洗町では1980年頃から少しずつ変化してきたと考えられる。いわゆるニューカマーの到来だ。目黒(2005)によると、1980 年代末には多くのイラン人不法就労者(在留資格が切れた後も働く不法滞在者)が大洗にいたという。今回私が行った聞き取り調査においても、複数人から同様の証言が得られた。ただ、最初のイラン人が大洗町を訪れた詳しい時期や契機に関する証言までは得られず、また不法滞在者であるため、公的な在留外国人記録としても残っていないため、大洗町イラン人の起源解明には至らなかった。とはいえ、1992 年にイランと日本との査証免除協定が停止されるまで、大洗には多くのイラン人が住んでいたことは大方間違いないと思われた。「大洗の外国人と聞いてイメージするのは何人か?」という質問に対して、40代~50代の町民はイラン人と答えるケースが複数あったが、これも当時のイラン人の多さを裏付けている。また、1985年頃からは、インドネシア人の不法滞在者も、近親者伝いで少しずつ流入してきたとの報告(目黒2005)がある。

明治29年創業の飯岡屋水産 大洗町内には多くの工場を持ち、多くの外国人が働いている。 写真建物の二階にイラン人が住んでいたという話を聞いた。

大洗町の外国人 1990年~

1992年にイランと日本との査証免除協定が停止されると、次第にイラン人に代わるようにして、東南アジアや中国からの労働者が、日本全国で増加していった。特に、国民10人に1人が海外に出稼ぎしていると言われるフィリピン人は、大洗町にも多く流入しており、現在もそこそこの人数が居住している。同じく、タイ人も同時期に流入しており、当時より、両国とも日本国内で売春を斡旋する強固なネットワークを持っていることが指摘されてきた。大洗町やその周辺でも、彼らの風俗産業がたびたび摘発されたようだ。

タイ・マッサージ店が入っていた建物。現在も建物を移して大洗町で営業している。 表には年季の入ったタイ・マッサージと書かれた看板がつるされていた。 茨城県は坂東に多くのタイ・マッサージ店があるが、風俗営業を行う店も少なくない。

こうした不法滞在者問題を受けて、96年より大洗町長に就任された小谷隆亮氏は解決に着手し始めた。当時、インドネシア―大洗間で水産加工品を輸入する仕事に携わっていた坂本裕保氏(現 茨城インドネシア協会 代表)に、大洗で合法的に就労できる日系インドネシア人を探すよう頼んだという。(坂本氏談)また、不法滞在者の摘発や逮捕に協力を促すポスターを町内に掲示するなど、町全体として、不法滞在問題を解決しようという雰囲気を作ろうとした。こうして、不法滞在者に代わって、定住資格を有する日系インドネシア人が増え、大洗の不法滞在問題は解決していくかに思えた。―しかし、2022年現在、未だに大洗町には200人もの不法滞在者がいると言われており、実際、私自身も多くの不法滞在者に出会った。なぜ、不法滞在者は減らないのか。今回は外国人の歴史という観点から大洗町をみてきた。次回は、外国人労働者をめぐる制度面と外国人の意思を中心に、不法滞在者が減らない原因を考えていく。

大洗のシンボルといわれる”大洗マリンタワー” 展望台からは大洗町が一望することができる。タワー2階にはアニメ”ガルパン”をテーマにした喫茶店があり、従業員は日本語学校に通う外国人。日本語は少したどたどしい。

 つづく



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