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「ワタシタチはモノガタリ」【観劇感想文】

※ネタバレあり感想文です。

「ワタシタチはモノガタリ」、人生賛歌なラブコメとして絶品でした。

「ファンタジックなラブコメディ」とコピーにある通りの、かわいらしさとポップさに全振りしたカラーを前面に出しつつ、人生道半ばの「いい大人」を応援する人生賛歌でもあって、とても楽しめました。

主人公の富子は「誰にでもできる」しがないウェブライターの女性。彼女は、自分が15年に渡って続けた文通をもとにしたウェブ小説をネットを発表すると、バズってトントン拍子に映画化の話まで舞い込む。

浮かれる富子だったものの、文通相手の男性・徳人は事の次第を知らされるが、映画化を承服しようとしない。家庭を持つ彼にとってはそれは当たり前の話。ふたりの諍いは、イマジナリー下の文通を交わしていた青春時代の「私と彼」をも巻き込んで、ヒートアップしていくが。

この、イマジナリーな青春時代の彼女と彼の存在がすごく面白い。それは富子の美化された思い出なのか、抱いていた淡い想いの発露なのか、うだつのあがらない今の自分を消し去るための理想化なのか。そのどれもであってどれかではない、その微妙な匙加減の取り方、あえてコレだと答えを示さない描写が巧いなと思ったのです。

そしてラブコメと銘打ってはいるものの、過去さえも恋愛だったと確定させない主人公男女の関係性の描きかたも良かった。今の富子と徳人は、まったく別の道を歩んでいて、徳人は妻子を持っている。

富子はそれに不満があるわけでは、きっとない。今もなお恋焦がれているのです、なんて秘密の暴露はない。そういう話では、ないのです。

彼女は、今の自分の人生にやりきれなさを感じていたところに、過去を脚色した文通が思いがけず世間に支持され、自分が認められたと感じて舞い上がっているだけ。

それでよいはずがないだろう、と徳人は諫めてくる。
あの文通を、ハッピーエンドとする安易で平凡なモノガタリとして騙るのは、彼女らしさではないだろう。15年も続けてきた文通相手だったのは、手紙がただ楽しかったから、文章が良かったから。そこに騙りがなかったから、確かな彼女の才能が感じられたから。

それを彼女は見失っている。だから徳人は導く、編集者として、長き古き友人として、もしかしたら過去の想い人としても。今はただ、彼女の才をただしく導く、寄り添う奔走者として。

その、一個人が必死に歩んできた人生の「現在」を誤ったものとしない、あくまで惑っているだけだとする、歩みを肯定する描きかたが好きでした。社会を必死に生きる人たちへの「人生賛歌」として、自分は感じられました。

富子と徳人だけでなく、ショージや丁子も、登場人物皆に対して、やさしさに満ちた、とっても素敵な「モノガタリ」でした。

上質な台詞劇、かつ洗練された演出がまた利いていて良き

この富子と徳人を演じる江口のりこ氏と松尾諭氏の喧々諤々、飄々とした関西弁のやりとりがめちゃくちゃ良かったです。ときに早口に、ときにのんびりとの抑揚の付け方が絶妙で、ふっと気持ちが軽くなるような笑いを何度も起こさせてくれました。

理想化されたファンタジーな存在を演じる千葉雄大氏や、コケティッシュな十代とキツめの自我を放つ俳優を自在に演じる松岡茉優氏、柔軟な声の張りが心地よい入野自由氏、皆さん適度にユーモアを備え、シリアス味も交えての演じ方が巧かったです。

そして大胆かつ洗練されたセットの斬新さと、過剰すぎない映像の演出もファンタジックな設定とマッチしていてとても素敵でした。シンプルな仕掛けながら、使い方でこうも目新しく映えるんだな、とリアルな演劇ならではの面白味を感じました。

最後に

この作品を観たきっかけは「う蝕」が面白かったからでした。同じ脚本家の横山拓也氏なので、観てみようと思ったのでした。「う蝕」とはまったく違った手触りの作品でしたが、会話劇と虚実の織り交ぜ方が巧く、好みだなあと改めて感じたので、同じ作家さんの違う作品も追いたいなと思いました。

楽しい観劇でした!

パンフのデザインも世界観が統一されていて素敵
江口さんのコメントや座談会での発言での、
役と自分自身との関係性や演じ方の考えに、どことなくらしさを感じて良かったです。

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