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嘘が嘘を呼ばない、不穏で平穏な「リムジン」【観劇感想文】
※ネタバレ有りのつれづれとした感想文です。
新型コロナの影響で全公演中止となった演目が、3年のときを超えてカムバック。待ちに待った演劇でした。
日常に始まり、日常に終わる、「それだけ」の物語
物語は、ソファを中央に置いた工場と家のパブリックスペースのみで展開します。
ひなびた小さな町で工場を経営する若い夫婦は、ちいさな心配事や気がかりを抱えつつも、おだやかな暮らしを送っている。
そんなある日、狩猟へ出かけた夫は、誤って地区の組合長を撃ってしまう。幸い怪我は軽傷で済んだものの、撃たれた本人も仲間たちの誰もその射手を特定できない。言い出せない夫はその事実に苛まれて、ついに妻へ告白する。妻は諭す。ぜったいに本当のことをいうべきだ、と。
かくして誰が射手だと憤る組合長を前にして、夫婦は、
真実を告げなかった。嘘をついた。
なぜなら、その事件より少し前に、組合長じきじきに後任の内示を受けていたから。
もしくは、夫婦ふたり子ひとりの穏やかな暮らしを守りたかったから。
あるいは、単に、気まずくて、言い出しにくくて、今更本当のことを言い出すのが怖くて、等々…。
どれもが理由として少しずつ入り交じり、夫と妻は互いに真実を言うべきだと思いながらもできないままに、嘘を含めた日々を送り続ける。
そうしてまた事件が……、特には起こらない。起きないのです。
誰かがその会話を聞いていたりして真実に気づいて糾弾するとか、
夫婦が徹底的な諍いを起こして決裂するとか、
会長が疑いの目を向けた仲間に激高して傷害事件に発展するとか
どこからかひょいと銃が出てくるとかなんとか、嘘が嘘を呼んで事態が泥沼になんてことは、なんにも起こらない。
ほんのわずかに嘘を二人の心の内にひそめたままの、穏やかな日々がただ続いていく。
ただ、
夫は自らが引き金を引いたのだという心の澱に沈ませた真実によって、いつもよりも心の揺らぎを大きくする。自由奔放な短期雇用の若者の態度に苛立ったり、物を乱暴に扱ったり。確かに、日常は揺らぎ続けている。
けれど誰も気づかない。妻だけが、そっと悟り、寄り添い、些細な共犯者として傍にいる、ずっと。崩壊は起こらなくとも、なくならない不安定さを抱えたまま、まるで平穏な日常が繰り返される。
たとえば、小さな棘が皮膚から抜けずにいると、どうなるか。
棘が心臓に至って刺すなんてことは、まず起こらない。ただ、不快な違和感がささやかに皮膚にあり続けるだけだろう。そのほうがずっと身近で、起こりうる。そんな身近な違和感を含めたままの日常がこの話では描かれていて、だから彼らの心理に寄り添えて感情を沿わせることのできた、そんな感覚のお話でした。
事件の立てたさざ波をいつまでも追うような、静かな余韻が後を引く
嘘が嘘を呼ぶ物語、
というのは結構定番といっていいほどあるもので、それはそれで、とても面白い。
けれど何気なく吐いたたったひとつの嘘、それが立てたさざ波をただ追っていく「だけ」のこのお話を、これほど滋味深く面白く描けるのか、と感心しました。
登場人物たちも特異なキャラクタが与えられているわけでなく、ちょっと欲張りで傲慢な、けれど悪人ではない組合長や、つかみどころのないいまどきの青年、謎めいた風ながら根は純粋な運転手など、個性はあれども奇矯とまではいかない、こんな人いるかもという親近感があります。だからこそ、この「普通の人々の物語」に、しっくりとハマる。
彼らは各々が好きなようにいつもの会話を交わし、それも喫茶店の隣の席で交わされているようないたってナチュラルな内容に尽きている。なのに飽きずにそれを聞けるし、ときに彼らに加わるように笑ったりもする。さりげなくテクニカルが混ざっていて、いつの間にか惹きつけてくるのです。そのさりげない巧さが、素晴らしかった。
もちろん、役者さんたちの台詞回しや細やかな所作といった技術の効果も加わってのことです。
役者がただただ普通の人を演じて、普通の人々の見本である観客を惹きつけるのって、結構難物だと思うからです。
この「リムジン」、言ってしまえば、とても地味な物語です。
けれど、このお芝居を思い返したときには、あの夫婦が過去の嘘でいつまでもいつまでも心の底を揺らし続けているように、静かにさざめくように響いた余韻を思い出すのだろうと思いました。
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