それから、を考えた「無駄な抵抗」【観劇感想文】
※ネタバレ有りの、とりとめのない感想文です。
・古代ギリシャ悲劇「オイディプス王」をモチーフにした物語
……とは聞いていたものの、話の筋書きは、呪いや運命など重いものを感じさせないものでした。
《……なぜか駅に電車が止まらなくなって半年が過ぎた町。寂れていくその町の住人たちの嘆きと諦めと苛立ちが交差して、やがて一人の元占い師・現カウンセラーが、相談者の女性と面談する。
ふたりは実は古い知り合いで、相談者の女性は言う。
私は昔、あなたに呪いの言葉をかけられたのだ、と……》
さて、「オイディプス王の呪いの言葉」といえば、演劇を長く親しみいろんなフィクションに触れてくれば、なんとなしに知っているもの。今回はそれにアレンジを加えて、「あなたはいつか人を殺す」、と告げられたと相談者の女性=芽衣は言いました。
なるほど、現代にアレンジすればそうなるかと。
それでも、それは生きていく上で枷になる言葉で、ましてや子供時代に投げかけられれば、錘のように心に沈んでも、やむを得ないだろうと思ったわけですが。
いや、とんでもなかった。
「人を殺す」という呪いの言葉をはねつけるために、
そして自分に降りかかった災厄を乗り越えるために、
芽衣が下した「殺さない」選択肢は、あまりに酷い枷と化し、彼女を苛みつづけた。哀しく酷い因果を生みつづけた。
それが明らかにされる終盤の、芽衣演じる池谷のぶえ氏の痛々しく野太い叫びは、劇場に重く幾重にも響き渡った。残酷というには軽い、種明かしというには下賤すぎる確かな悲痛がそこにあり、ひたすらに圧倒されました。
・そして、「それから」、を考えた
オイディプス王では呪いを知った後に、王は自害もしくは追放された、という通説が残されています。
この話では、どうでしょう。それから、どうなるのか。
芽衣は病床に横たわり自分に怯える叔父に、闘いを挑み切ることができるのか。
呪いの言葉が引き起こした芽衣の選択肢を知った桜は、ひとつの傷もつかずに、暮らしていけるのか、幻や夢に苛まれたり、しないのか。
芽衣の息子であるホストの理人は、真実を知ることがあるのか。
そもそも、芽衣は知っていなかったのか、あるいは?
そして、あの町に電車はまた止まることが、あるのだろうか?
いつの間にか通過し出した電車が、なんの妨害も抗議も意味をなさなかったのに、不意に、ある日から止まり出すことがあるんだろうか?
もしそんな日が来たら、そのときこそ、
町の住人達は過去の行為が「無駄な抵抗」だったことを、思い知るのでしょう。
・けれど、「無駄な抵抗」をつづけることが人間らしさでもある
だって、抵抗している間はその結果を知らないのです。
必ずしも無駄になるなんて、だれも思わない。だから、愚かしく見えても、その一生懸命さは生きている証でもある。そんな他人の生きる姿を、好ましく思って絆を育んだり、逆にうとましく感じて妨害したりする。
そういう、無駄と好き勝手で、良くも悪くも人間の運命が、人生が育まれていく。その中には酷いものも望んでいない物事も含まれていくんでしょう。けれど、その度に、人は抵抗できる。だれかのその悲しさに寄り添ったりはねつけたりもできる。可能性は無限なはずだ、そうでなくてはいけない。
人は、しぶとく、図太く、奇想天外で、自由気ままで思いがけない。
善にも悪にもブレにブレる。
そのさまは、まるであの大道芸人のようなおかしさだ。彼以外の登場人物たちからも、その愚かしく、だからこそ人間らしい生きざまを感じ取り、人間のこの無駄こそが大事なものなんだ、とも改めて感じたのでした。
・あいかわらず、わかりやすいようで、わかりにくい、でも「イキウメ」とはちょっと違った感覚を残していった物語
「無駄な抵抗」では最終盤に芽衣と桜が対話することで、明確に物語の「意味」が示されます。だから、「なんだかよくわからなかったな…」というイキウメ作品・前川氏脚本ぽい難解さは、今回はさほどなかったように思いました。
いわゆるイキウメ作品群にある、全体像に含まれた数々の示唆を組み合わせて物語そのものの含みをじっくりと考える、という方向性とはまた違う、という感覚を受けました。
この作品での「いつの間にか止まらなくなった電車」という設定も、タイトルの「無駄な抵抗」と合わせて考えれば、
明確な対抗手段がない不都合を甘んじて受け入れるしかない今現在の生きづらい社会のあれやこれやの示唆かと考えたりします。
一向に沈静化しない戦争と虐殺、上がりっぱなしの税金、上がりやしない賃金、流通も医療も福祉もカツカツな中で政治家はキックバックで何千万。キックを仕掛けたいのはこちらなんですがというやり場のない苛立ち。
でも、声をあげるなんてそれこそ無駄な抵抗なようで。
けれども、そうではないはず。変えられることがあるはず。
そんな、信じていたい力をくれたお話でした。
観られて、良かったです。