超サイヤ人の金髪は「黒の塗りが面倒だから」じゃない。
「ドラゴンボール」で超サイヤ人の髪色が金色になった理由について、鳥山明先生曰く「髪を黒で塗る手間が省けるから」ということで、それが真実だということになっている。
しかし、これは鳥山先生の「照れ隠し」である。全部がウソとまでは言わないまでも、話半分で聞いておくのが正しいと考える。
デザイナー出身の鳥山先生は「わかりやすさ」を重んじる作家である。黒髪から金髪(漫画の誌面では白)になるのは「いつもと違う姿になったことをひと目で認識させるため」に他ならない。
■ドラゴンボールにおける「白と黒」
ドラゴンボールの原稿は、白と黒のコントラストを強く意識してデザインされている。
悟空が大人になったマジュニア戦では黒い道着を中に着ているが、これは昔のデザインそのままに成長させると白と黒のバランスが悪くなると考えた結果であろう。実際、「重い道着」という設定がなくなったベジータ戦以降も黒の部分はそのまま残っている。
超サイヤ人に変身する前、フリーザ戦を読んでいて「おや?」と思ったのが「悟空が黒の上着を脱がない」という点である。
マジュニア戦でもベジータ戦でも悟空は序盤で上半身がハダカになっていたのに、なぜフリーザ戦では黒い上着を着たままだったのか。
それは「後に超サイヤ人で髪が白くなるから」である。
「黒く塗るのが面倒」という理由が本当ならば、別にそれまでのように上着を脱がせても良かったはずである。
髪が白くなれば、黒く塗られる部分は帯とリストバンド、靴だけとなり、画面が真っ白になってしまう。そうした状況を避けるべく、そのまま上着を着せていたのである。
また、実際に漫画を描いたことがある人間であればわかると思うが、ベタ塗りはそんなに手間のかかる作業ではない。少女漫画のようにサラサラした髪を細かく塗り分けるならまだしも、ドラゴンボールは筆ペンで黒く塗り潰すだけ。髪を黒く塗る労力を省いたところで、描き文字など別の箇所で黒い部分が増えるだけである。
白と黒のバランスにこだわる鳥山先生が、そんな簡単に黒いスペースを放棄するというのは考え難いのである。
■「わかりやすさ」に対するこだわり
魔人ブウに対して超サイヤ人の変化を紹介する場面。
バビディは「たいしてかわっていないじゃん」とツッコミを入れるが、これはダイナミックな変化をつけることができなかった超サイヤ人2に対しての反省にも見える。そして超サイヤ人3ではより「わかりやすさ」を強調するため、大胆な長髪となる。
アニメ「ドラゴンボール超」での変身が髪色が変わる程度に抑えられているのは、単純に「アニメだから」であろう。
色がある前提のアニメであれば、色を変えるだけでその変化がすぐにわかる。大きくフォルムを変えてしまうと今度はキャラそのものの判別が難しくなる可能性が出てきてしまうのだ。
このように、発表されるメディアに合わせて「わかりやすさ」を使い分けているのである。
鳥山先生の話を聞いていると、「がんばってる自分を表に出すのが恥ずかしい」というシャイな性分がひしひしと伝わってくる。
根がギャグ漫画家だからか、泥くさい姿を見せるのがどうも苦手のようで、本当は誰よりこだわっているのに、あえてトボけて不真面目なフリをする。
キャラクターのネーミングがいちいちギャグっぽいのも「カッコイイ名前を一生懸命考えた自分」を想像されることに照れがあるのからではないだろうか。(作品で一番の美青年に「トランクス」なんてどうかしている!)
そんな鳥山先生が、「髪が白くなれば読者がすぐ変身したってわかるじゃないですか」なんてカッコイイ本音を話すとは到底思えない。
超サイヤ人ゴッドの髪を赤くしたのも「赤が強そうだから。金はもう使ったし、青だと弱そう」とのことだが、その後はしっかり青髪の超サイヤ人も登場している。鳥山先生の適当なコメントを真に受けてはいけないのである。
■鳥山先生が珍しく見せた「ホンネ」
最後に、「ジャンプ流!秘伝ガイド」巻末に掲載された鳥山先生のコメントを紹介する。
漫画家の技を伝授する企画でいつものように「適当にやってます」と語ることに引け目を感じたのか、鳥山先生が珍しく本音を語っている。「ちょっと格好つけて苦労を悟られないように」というのは超サイヤ人の髪色の話でも同じなのであろう。
鳥山明先生は、考えていないフリをしながら緻密な計算をする漫画家。神様が乗り移ったシェンである。
たとえ本人が「面倒だから」と語っていても、そこに真実があるとは限らない。表面的な言葉に惑わされてはならないのである。