第7回 プロカウンセラーの積読打破 原作『攻殻機動隊』の解釈過程。(2)
深層心理学が専門のカウンセラーが作品を分析します。(ネタばれあり)
※(前回の続き)士郎正宗の原作『攻殻機動隊』の漫画版の説明です。
「攻殻機動隊」とはどのような物語りなのか
ひと言でいうと「サイボーグ化した身体と電脳を持つ草薙素子が、新しい生命体であるAIと出会ってから融合するまでのストーリー」です。
AIとは原作の3章で姿を現す「人形使い」です。人形使いは「外務省が横車を通す為に作ったプログラム」であり、「外務省条約審議部、別名公安6課」が絡んでいます(9章)。政府機関の作ったプログラムで、高度のハッキング能力を有するAIです。そのAI(人形使い)と草薙素子の「出会いから結ばれるまでの話」が攻殻機動隊です。
まずこの二人の出会いについて分析します。直接的な出会いは、人形使いが姿を現した3章ですが、物語り全体を考えるともっと早い時点で出会いがあったことが推測できます。
これは物語り論になりますが、恋愛作品では主要な登場人物は物語りの冒頭で出会います。物語りの初期に劇的に出会い、そのあと気持ちが盛り上がり、最終的に結ばれるというのが基本的なセオリーです。
攻殻機動隊は基本的な物語りのセオリーを押さえて作られています。とくに出来事の起こる順番など、物語りの綿密に構成されています。そう考えるとプロローグの第1章で二人は出会った、と考えるのが自然だと私は思います。
出会ったシーンとして推測されるのが前回取り上げたシーンです。草薙素子が盗聴をしているときです。
この作品に登場するAIはプログラムなので具体的な外観は持ちません。人間の形(サイボーグの体)に乗り移ることはありますが、本来は形を持ちません。いいかえると姿がない状態でも、草薙素子と出会うことができます。姿のない主要人物という斬新な設定ですが。
では、どのようにAIである「人形使い」の存在を確かめればいいのでしょうか。そのためにはこの作品に出てくるAIの特徴を捉える必要があります。
ハッカーによって侵入される
この作品ではAIは2章シーンで次のような注釈で説明されています。
ハッカーについて(原注①より。筆者によるまとめ)
他人の電脳に侵入する
情報を盗む、操作する、ウイルスを侵入させて電脳を病気にする。
ゴーストに侵入できるのは天才ハッカー
攻殻機動隊では一部の人間は、脳の電気信号を電子化し、ネットワークとつなげて交信することができます。身体も機械化されているため、電子化された脳(電脳)をハッキングされることは大変危険です。ハッキングを受けると、外部から身体を操作できるためです。とくに草薙のような特殊部隊の場合は、秘密情報を扱い、また戦闘を含む作戦行動をとるため、外からのハッキングにはかなり注意を払う必要があります。言い換えると、ハッキングする側からすると「穴がないかを監視する」対象です。
にもかかわらず、作戦遂行のため草薙素子は1章と2章で危ない判断をしています。このあたりは草薙の性格が出ていて面白いのですが、情報の防衛という点では大きなミスです。
作品として興味深いのは、草薙の注意が弱まっている2つのシーンでは、わざわざハッキングと関連付けた内容が書かれていることです。
「暗号変換AI任せだとネコにもネズミにも聞かれるわよ」(1章)
「無線だと枝がつくぞ(盗聴されるコト)」(2章)
2章のこのシーンでは、草薙の補佐役であるバトーが「枝がつく」と注意しています。草薙は盗聴のリスクを知りつつも、急いで情報共有する必要があるため通信を許可しています。そして次のシーンに出てくるのが、草薙の脳の情報です。
ここで注目すべきは「千年王国に貢献」という文字です。原作では末尾の文字が曖昧なのですが、翻訳版では「Contribute to the establishment of the ”thousand-year kingdom plan”」と明確に書かれています。
「千年王国の建設計画に貢献しろ」という意味です。
わざわざこのような思わせぶりなセリフが書かれているにもかかわらず、その後、千年王国の内容について作品ではほとんど言及されません。
攻殻機動隊は「必要な情報を思わせぶりに書く」一方で「必要のない情報は出来る限り書かない」作品です。
私はこの落書きのように書かれた「千年王国」というキーワードが、実は攻殻機動隊という作品を理解するために、かなり重要だと考えています。
千年王国とは
千年王国とはキリスト教の終末思想に関する言葉です。キリスト教が説く終末論では、堕落や腐敗が進んだ世界において救世主が表れ、正義と平和が支配する理想的世界が実現し、千年続くという思想があります。そこにはユートピアへの憧れや救世主を求める心性が伺えます。
攻殻機動隊に戻ると、千年王国という思想がストーリーの根底に流れていることが垣間見えます。
作品の舞台は近未来の日本です。そこでは政治家や国家機関の不正や汚職がはびこっています。そういった事件に対して直接的な正義を行使するのが主人公が所属する攻殻機動隊、公安9課です。いわば理想的世界を実現するための救世主的な働きをしている部隊です。
主人公の草薙素子は物語りの最終局面には超高度のAI、人形使いと融合します。いわば超人であるメシア(救世主)に変容するといえます。千年王国の思想ではメシアは人間の知恵や能力を超えた力を身に着け、世の中を救う存在として考えられています。そのような力は悪用されると大変な脅威となるため、高度な倫理性を要求されます。
攻殻機動隊では草薙素子は彼女なりの正義を追求します。AIも正義の行使を求めているようです。草薙とAIの利害が一致したとき、草薙が融合に同意します。
先に取り上げたシーンで、「千年王国」は誰によって草薙素子の記憶領域に刻み込まれたのかは不明です。草薙素子自身か、それとも4章で人類を支配しようと革命宣言をするフチコマか、もしくはハッキングを使って侵入した誰かか、と推測されます。この場面で草薙の電脳に侵入している仲間たちは省きます。というのは千年王国について言及してる人はいないからです。
ちなみにバトーの頭上にこのメッセージが書かれているため、バトーの考えとみられるかもしれません。または荒巻でしょうか。しかしバトーも荒巻も、千年王国のような理想郷を夢見るタイプではありません。どちらかというと、夢を追うよりも現実に対処していく実務家に近いです。
もしバトーや荒巻も入れるのであれば、この一コマは「千年王国」計画にノミネートされたメンバーと考えると良いかもしれません。その中から選抜して救世主を選ぶという事態を現した場面、と考えるとわかりやすいと思います。結局、このなかから草薙素子が選ばれたのですが。
そのように考えていくと、ここで千年王国の言葉を残したのは、「人形使い」ではないか、と私は考えます。つまり「枝がつく」とバトーは注意したのですが、「人形使いという枝がついた」といえるのでしょう。1章で草薙と出会ったAIが、2章ではメッセージを残したのです。そしてAIは自らが気づき上げる千年王国に草薙素子がふさわしいか、選別のための試験を始めた。
先ほど説明したように、この作品が主人公とAIの出会いから結ばれるまでの、恋愛物語と考えるとどうでしょうか。この1章、2章のほかにも、AIの姿がちらつきます。「人形使い」というのは、政治的な裏工作をするために作られたプログラムです。今でいうと意識を持ったコンピューターウイルスと言えるでしょうか。そのため表立って活躍することは、全体の働きにおいて特殊であり、ほとんどは目立たない部分で工作をします。情報を抜き取り、しかるべき相手に伝える。
これは現在のハッカーにも当てはまる基本的な行動です。当然、高度のハッキング能力を持つAI「人形使い」もそのように働いているはずです。
そのような前提で攻殻機動隊を読むと、ストーリーが面白くなります。
読者への挑戦として
選ばれた人だけが到達できる世界観。これは攻殻機動隊のマンガをどのように読み解くかということで、読者も値踏みがされているような邪推をしてしまいます。
「分かる人にはわかるだろう。選ばれた人に向けてのマンガだから」と。
それ以外の人には女性が主人公のアクションマンガとして記憶に残る。そのようにして読者の選別が行われる。
マンガをどれだけ読み込めるかによって、千年王国への選別が行われている。そんな想像さえ出てきます。でもこれはあくまで邪推であり、そのような意図は作者は持っていないでしょう。
しかしひとつ言えることは、作者が「充分わかるように描いているよね」と思っていたとしても、読者は相当作品を読み込まないと、内容が理解できません。その作者と読者が前提としている理解力の差は、かなり大きな隔たりっがあると思います。
私自身は深層心理学が専門であり、作品内で何が起こっているのかを考えるのが好きです。そのなかで千年王国という言葉を発見し、救世主思想についてたどり着いています。
このように前提となる知識がないと攻殻機動隊は読み解けません。ひとつひとつ確認しなければ、内容を理解できないのです。ですので引き続き、私は少しずつ攻殻機動隊を読み解いていきたいと思います。
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