遠く遠く【A-style】地方創生って何よ?~シビックプライドをど真ん中に~
こんにちはAです。部下(ぶか)のYとの往復書簡として進めていくこのnote。地方創生をテーマにしよう、と決めたもののいきなりのボールが「ってかそもそも、地方創生って何ですか」…。実はこれっていきなりぶち込まれるとあばばばば…ってなてしまう質問なんですよね。
頭の中で浮かんできた曲は、またまた槇原敬之さんの曲「遠く遠く」。
遠く遠く離れていても…故郷を思う名曲ですね。
さて、地方創生。ウィキペディアとか広辞苑とか調べてもなにも定義なんかでてきません。そもそも「地方」ってなによ(馬鹿にしてるの?)、「地域活性化」と何が違うのよ、とまぁそうなるわけです。
「地方創生のゴール」って人口V字回復なの?
地方創生って何ですか?いろいろな機会で問いかけると、その答えは結構バラバラ。人口減少を止めること、少子化を止めること、移住者が増えること、商店街に人が歩いて昔の風景が戻るということ…といったようなものから、観光客が来ること、野菜が売れること…など様々です。すなわち、みんなの目指しているものがバラバラで、何が成功なのかという評価もできないということがまず一番大きな問題だと思います。
政府が掲げる地方創生施策、すなわち 「まち・ひと・しごと創生ビジョン」は日本全体で1億人の人口を維持することを目標に取り組みを進め、地方においても人口動向を指標として掲げています。
ただ実際、人口減少を本気で止めようと思ってもそれはそんなに簡単なことではないし(というか無理)、いつかはまた昔のようになんて思っていても実現することはないと思います。だから、「人口増」という数で定義をすることにはあまり意味がない。地方間の取り合いをしても意味ないじゃないですか。
だから、あばばばばば、ってなっちゃうわけです。
とてつもなく、とほうもなくどでかい実現不可能な目標だから。そして何かちょっと違うと思うから。
到達しようもない目標を掲げた瞬間に、多くの人はやる気を失うもの。むしろ誰も経験したことがない人口減少社会を是としながら、どうやって国と地域をアジャストさせていくかのほうが大事だと思うのです。
そしてその方が僕はワクワクします。
ちょうどよく回っていける状態が
「地方創生のゴール」なのでは。
僕はシンプルに地方創生の基本は「自慢できる」「つながっていたい」という感覚的なものでとらえています。今風に言うとシビックプライドをベースに街と人がつながっていて経済が回っているという状態だととらえています。
地域独自のやり方で経済が回っている状態を作っていく、要素の一つ一つが地方創生のアクションであり、そのアクションが持続的に経済的に自走できている環境が作りだされているというのが目指すべき地方のあり方…という認識です。
移住だ、少子化対策だ、産業誘致だ…そうして人口を戻すんだ…!という幻想ではなくて適正なサイズで、現実的に、という視点で「ちょうどよくまわる環境」を、官民を超えていろんな意図をもったいろんな人材=プレイヤーが関わり合いながらつくりあげていくという営み。これこそが地方創生なのではないかなと思います。
僕の「地方創生」の原点は京都人のシビックプライド
18歳まで茨城で育った僕は、進学をきっかけに京都に行きました。10代の最終盤から20代の半ばまで約7年にわたって、憧れの街で暮らすことができたこと、これが僕自身が故郷を考えるきっかけとなっています。
そもそも、茨城を出た僕は将来故郷に帰るなんて、ましてや戻って政治家になるなんて想定もしていませんでした。出たくて出たくて仕方がなかった田舎。親戚が多くて人間関係も濃くてめんどくさいし、そもそも刺激もやりたいこともない。同級生に聞いても「帰ってくる気はないよ」というのが普通で、もちろん僕もそんな一人でした。
京都での学生生活は、地元の行政や企業の皆さんと一緒にお祭りをつくることに明け暮れました。そこで出会った大人たちが口々に、いかに京都が好きかを語るわけです。もちろん歴史都市として守るべきものはたくさんあるし、太鼓判つきで自慢できるものもたくさんある。けれどもその上で、それを活かして新しいものを学生とともに作っていこうという気概にあふれていました。
「京都の1割は学生はん。その子らに京都を好きになってもらうことを、わしらは大事にしたい。そのためにはわしらが京都を知らなあかんし、好きやということが大事やねん。」
「京都の街と学生はんは持ちつ持たれつやねん。京都の人だけやと守りに入るけど、外からきている若い学生はんたちはいろんなアイデア持ってきてくれはる。何をこの街に求めているか教えてくれる。それを活かして街を育てていくし、その過程に学生はんが参加することでええ経験してほしい思うわ。」
もちろんあの、京都ですからプライドも高い。すべてを受け入れてくれるわけではないし、だけど、くらいついていけばいくほどだんだん信用してくれて仲間にしてくれて、いろんな世界を見せてくれました。当時30代後半から40代にかけた若手経営者の皆さんや行政マンは、この京都を何とかしたいという想いが溢れていて格好良かったのです。
そんな京都のおっちゃんたちと何かする、というのが楽しくて休学までしてしまった僕です。古い町屋を改装させてもらったり、着物のイベントをしたり、選挙にかかわっていろんな企画をしたり、企業訪問もたくさんしたり、街を舞台に楽しいことをたくさんして、今日とのことをたくさん知って、いい経験して「第二の故郷」として自慢したくなる。帰ってきたくなる。地元の人もそんな京都を自慢しはる。
今風に言うと、だから、京都が好きやねん!と言わせる自信とそれを支えるシビックプライドが、引力のようにいろいろな人や機会を引きつけている…それが面白い地域を作るすべての原点!と思わせてくれた時間でした。
外に出てみるとやっぱり地元が気になってくる
そうなってくると当然、自分たちの地元が気になってくるわけです。たしかに茨城には海があって、山があって、美味しいものがたくさんあって素晴らしい。それでいて京都ほどではないけれど、水戸には歴史があって街の真ん中に美しい湖があって素敵な気がしないでもない。
なのに誰も自慢はしないし、「どうせ田舎だから」「なにもないし」みたいな空気…というか自信なさと意地の葛藤みたいな感覚だけがあって、「帰らないから」ということがカッコいいみたいな。
このギャップはどこから来るんだろう、京都が特別とはいえ、なんかもったいないな…地方の時代っていうけれど、それってつまり自慢したくなる気持ちを大事にすることなのではないかな。なぜ自慢できないのかな。どうしたら時間できるのだろう。何が違うんだろう。悔しいな…。帰りたくなる故郷をどうやって作ったらいいのだろう…。誰もやっていないなら、なんとかしてみたい―――。それが僕の最初の一歩、そして自分のやりたいことが定まった瞬間でした。25歳で地元に帰って議員になる、そのシンプルな動機はこれです。
そこからです、地元を調べ始めたのは。
何も知らなかったですから。
この街、気になる。
なぜなら故郷だから。好きだった街だから。仲間がいるから。
風景が好きだから。憧れていた街だから。忘れられない味があるから。
だから、なんとかしたい。だから、知りたい。
これです。
シビックプライドを背景とした「なんとかしたい。」これこそがパワーベースです。
「宿命的土着民」と「選択的土着民」と
以前、何かの本で見かけた「宿命的土着民」と「選択的土着民」という話が印象に残っています。
地方から都市へ多くの憧れをもった若者たちがどんどん出ていってしまう。都市には地方にはないものがたくさんあるから、それはそれで仕方がないことなのだろう。しかしながらその結果、地元に残っている人々が、自分の意思に反して家業の都合や親の束縛や経済的都合やいろいろな理由で半ばあきらめがちに、どうせ仕方がないことと宿命的に土着をしているものたちだけになってしまったのでは、その地域の未来は描けない。
そうではなくて、この地域が好きでやりたいことがあって、あるいは使命があって、それを実現するために街に残ったり、帰ってきたりする、選択的土着民の数を増やしていくということ。そして選択的土着民と宿命的土着民がまじりあって、地域の再構築をしていく、そんな時代を作っていく必要がある―――。
そんな話だったと思います。
その通りだなぁ、だから自分は選択して戻ってきたのだなぁ。そうやって戻ってきて、この街を動かす人を増やすかだなぁ、そんなことを思っていた頃があります。それを意識して、ストップ人材流出!なんてキャッチフレーズを掲げたこともありました。
DNAで繋がる経済圏こそが
この時代の新しい「地域」の定義
でも今は、土着という言葉にちょっと違和感を感じます。
令和の時代になって、コロナウイルスとの戦いの中でテクノロジーの進化とコミュニケーションの可能性をリアルに感じられるようになった今、時間と距離を超えて人と人はつながりあえる、人と地域は関わりあえるということがわかりました。
こうなってくると、地域という概念が変わってきます。物理的距離を超えてつながっている人すべてが「地域」と言えるようになります。
すなわち土着ならぬ「宿命的愛着民」「選択的愛着民」までをも含んで地域のプレイヤーとして巻き込んでいくことが大事だなと感じます。
ふるさと納税も二拠点居住政策も、この「選択的愛着民」を地域と結び直す仕掛けと言えるでしょう。JリーグやBリーグの地域密着施策もその一つでしょう。故郷だから、思い出の場所だから、ルーツの田舎だから、学生時代を過ごした街だから…様々な理由をもった一人ひとりが、その琴線に触れる物語を大切に、気になるまちと関わりつづけるという、その仕掛けです。
「琴線に触れる」ということを「DNAレベルで反応する」という言葉に仮に置き換えることが許されるのであれば、その中で人が動き、ことが動き、ビジネスの力で地域が動き続けることができるその生態系を、僕は勝手に「DNA経済圏」と名付けています。関係人口という言葉が出てくるずっと前、東日本大震災直後から言い続けてきました。
その広義の生態系、経済圏、すなわち「地域」をベースに、中の人も外の人も関わり合いながら、大好きな地域を何とかしてまわしていく。そのためにビジネスをつくりながら、稼ぐことから逃げずタブー視せず、地元の営みを継続していく、ということが大事なことなのではないかなと思います。
DNA経済圏についてはものすごく長くなるので、いつか、きちんと話をしますね。
僕たちが今、水戸の地でやっていること。
地方創生の魁モデルをつくる…って?
僕が部下であるYと一緒に汗をかいているコト、経営大学院の地域の小さなキャンパスをつくり、プロスポーツチームの運営をし、ラジオでしゃべり、それらのブランド力やネットワークを活かして新しいビジネスとコミュニティと空間を生み…というこの営みは、何のためにやっているのか。
これは、地方創生の基礎力となる「シビックプライド」を育む仕掛けをつくる取り組みであり、地域を取り巻く新しい経済圏を構築する営みであり、そしてその環境の中で、継続的に、刺激のある何かが生まれていくプラットフォームとして孵卵器の機能を果たしていくことなのではないかなと思います。
そしてこのことを、政治的アプローチや行政の税金で行うのではなく、民間の力で様々なプロジェクトが純粋にビジネスとしてランニングできるように作っていく、ということにこだわっています。
地域には地域の特性があり、打ち手にはタイミングがあり、変化の激しい時代に必要に応じてピボットさせていくことが重要です。がんじがらめの補助金頼み、カンフル剤を打ちまくった施策や単発のイベントだけでは意味がありません。地元の本物のニーズに触れることなく鈍感な打ち手となると考えるからです。補助金がカットされてはなくなってしまう事業にニーズはありません。
行政がもつ力と信頼性を十分に活用しパートナーシップを大切にしながらビジネスの力で地域を牽引をし、生態系をつくり、自走できる仕掛としていく。種を蒔いて水を上げて芽を育んで成長をする背中を押すということ、これが僕たちの仕事です。
ビジネスをつくりながら、稼ぎながら、地元の営みを継続していく…そのための仕掛けを0⇒1でつくっていく。これが僕らの踏ん張りどころだし、やるべきことだし、できる最も面白いこと。
僕らは毎日、冒険の航海に出るような感覚でワクワクしながら、ときには戸惑いながらも、地元に根を張って汗をかいて、お互いの違いを活かした議論を重ねながら、気丈に堂々と取り組んでいきたいと思っています。
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部下 Y へ
今回は地方創生って何だという問いに対して、「シビックプライド」をテーマに話をしてみました。故郷を何とかしたい、地方創生に興味があるそのきっかけは、これまでの人生の中で何か印象的な出来事や出会いがあったのかもしれないね。何かそういうエピソードはあるかな?
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