かたちのないやりとり。
お墓参りに行くと時々、不思議な体験をする。
雨の降る日。少し小止みになったタイミングで、お彼岸参りにと家族でお墓参りに出かけた。
仕事の都合でなかなか土日祝にお休みが取れない私にとって、この日は半年ぶりのお墓参り。
天気予報ではこの日、この地域を台風が直撃する、と数日前から言われていて。前日夜に、”雨が酷ければ行くのやめようね”と家族と話していた。
いつもなら朝の6時ごろ、道路が混み始める前に家を出発するのだけど、この日は予報通り前夜から強い雨が続いていて、外の様子を見ながらいつも通りの朝を過ごしていたのだけど。
”小雨になったら外出するつもり”だった姉と、”雨が完全に止んでから外出するつもり”だった母とで、ちょっとした喧嘩が発生。
我が家では昔からよくあることなので、私は然程気に留めず、静観。
物事のとらえ方の違いだよな。”時間”の重さの違いもあるよな。お互いにその日の予定を共有させとくべきだったな。なんて考えながら。
私自身も、この日を逃すと次にいつお墓参りに行けるかわからなかったこともあり、小雨程度なら行こう、と母を説得。
朝からひと騒動あったけれど、なんとか予定通り午前中にお墓参りに向かうことが出来た。
我が家のお墓に眠るのは、父。
父に会いに行くことは、家族にとってもすごく大切なことなのだ。
だから喧嘩をしようとも、どちらかが折れたり説得したりして、家族揃ってお墓に行く。
小雨の降る中、姉と私で掃除し花を供え。母が読経を始めた。
経本を片手に傘を差しながら読経する母。掃除を終え桶を先に片づける私。供花の包みを片す姉。
徐々に雨足も強くなっていく中、墓前に戻り母の手にあった傘を私が差し掛け、姉が数珠を手にしたとき。
私たちの背後に、父が立ったのがわかった。
パチ、パチッ、と落ち葉を踏んだ音。傘を揺らすように、ぶわっと一瞬後ろから吹いた風。私の雨に濡れた片側の肩に、そっと乗った手の重み。
読経が終わり、傘を母に渡して、改めて墓前に手を合わせると、
自然と涙がこぼれる。
だって、
「また、ぎゃーぎゃーやってきたのか」
って父が笑いながら話しかけてきたから。
そうだね、いまだに毎日の様にやってるよ。騒がしくてゆっくり眠ってもいられないでしょ?
なんて声に出さず返事をすると、ふふって笑った。
こんなふうに、お墓参りに行くと思ってもみない体験をすることがある。
いつもではない。時々。
父の墓石は山の上の方にあるから、夏は暑いし、冬はとっても寒い。
そんな場所で空を眺めながら、家族がお墓参りに来るのを楽しみにしてくれているのかな。なんて。
すがたなき父とのそんなやり取りが、
ちょっぴりせつなくも、ほっとする、ときでもある。