見出し画像

人物メモ―Annie Riley Hale

アニー・ライリー・ヘイル(1859年5月1日―1944年12月26日)は、アメリカの教師、作家、社会批評家である。生前はセオドア・ルーズベルトを批判し、反選挙権活動・反ワクチン活動で知られた。

家族構成

アニー・ライリー・ヘイルは、1859年にテネシー州ロジャースヴィルで生まれた。弁護士のジェームズ・リチャーズ・ヘイルと結婚し、ジェームズは1897年に死去。彼女には3人の子供を持ち、その内の一人はフェミニストのルース・ヘイルで、成人して母の見解の多くに反対した。従兄弟がテネシー州最高裁判判事で米国上院議員のジョン・K・シールズでもある。

生涯と業績

テネシー州とワシントンD.Cで高校の数学教師として勤務し、後に国会議員と研究者として活躍した。彼女は声高な社会批判家として最も知られており、生涯を通じて様々な問題について執筆と講演を行った。長年に亘り、反戦、反選挙権、反男女同権、反ワクチンなどの立場をとってきた。ヘイルは、人種問題について白人至上主義と反混血主義を主張する記事を幾つか発表し、人種差別的な見解を持つ科学者のロバート・ウィルソン・シュフェルトと文通していた。記事の内の一つは1899年のニューヨークタイムズに掲載された。

セオドア・ルーズベルトに関する書籍「Rooseveltian Fact and Fable」には、彼の大統領2期目の1908年に出版された。この本は、社会主義労働党の週刊新聞「The People」にて、ダニエル・デ・レオンによって肯定的に評価された。共和党全国委員会のチャールズ・D・ヒレスは、全国の党委員長に彼女の本を4000部以上コピーして配布するよう命じた。ルーズベルトを厳しく批判した彼女の本は、数年後、それに続く「Bull Moose Trails」によって補完されることになる。ジャーナリストのニコラス・グリーリー・スミスによって書かれたヘイルのプロフィールでは、ヘイルは"我々が合衆国大統領にした男のスクールボーイ英語、無知な傲慢さ、恐るべき喧しさ"と批判している。

1917年、ヘイルは、ハートフォードの反戦集会で演説した後、治安妨害罪の罪で逮捕された。ヘイルは1932年のカリフォルニア上院選挙に、最終的に当選したウィリアム・ギブス・マカードーに対抗馬で出馬したが、民主党予備選挙では最下位だった。1944年に死去した。

反選挙権活動

1913年12月、ヘイルは、米国下院の女性選挙権委員会で、他の賛成派・反対派と共に演説し、女性の投票権に反対を唱えた。1916年、ヘイルは「The Eden Sphinx」を出版し、女性の政治力の欠如は母親として男性に適切な影響を与えることが出来なかったためだとし、米国の女性はそれ以外の法的、経済的権利の全てを既に獲得済みだと主張した。本のレビューはニューヨークタイムズに掲載された。翌年、ヘイルは「婦人参政権:女性問題の生物学的、社会学的側面に関する記事」と題した小冊子を出版した。

反ワクチン主義と自然健康学

1920年に息子のシェルトンが、脳の外科手術ミスにより亡くなってから、ヘイルは医学界に反感を持つようになる。1926年、ヘイルはホメオパシーを擁護し、モーリス・フィッシュバインの「Medical Follies」に応戦する形で「These Cuts」を著した。

1935年、彼女の反ワクチン的見解を推した"The Medical Voodoo"を出版した。この本で、「自然治癒」の理論に基づくワクチン接種反対の議論と、社会の下流層と脆弱区画に対する「医学実験」に対する批評を行った。アメリカンマーキュリーには酷評されたが、代替医療提唱者のハーバート・シェルトンからは肯定的に評価された。

サポートで生き長らえます。。。!!