あけっぱなしにした扉を”わざわざ”閉めにいくよりも、毎回閉めた方が選択肢が広がる話
毎週月曜日と木曜日は可燃ごみの日で、いつもなら週に一度どちらかに行けば良いくらい捨てる量は少ないのだけれど、夏はどうもそうはいかない。
決められたごみ捨て場所まで行くのに、扉は4つ。ひとつは玄関。これはもちろん開けたら締めて、鍵までする。問題はのこりの3つ。どちらも地続きで敷地と外を隔てるためのものだけれど、どちらも手動。目的地までは片道歩いて30秒というところか。
この30秒後には、もちろん来た道を帰るという時間が待っているのだが、たった一分の間に開けて、閉めてを計6回繰り返すのか、はたまた片道は開けっぱなしにして、帰りに閉める計3回にするのかを悩む瞬間があった。で、気分的に(慌てている時は特に)めんどくさがり屋の私は後者の選択をすることが度々あった。
でもある日。ごみを置いた後にふと見上げた空が気持ち良くて「このまま散歩に行こうかな」と思ったことがある。ただ、この日に限って「あけっぱなし」を選んでしまった私は”しまった”と心の中で小さく呟く。
戻って全部の扉を閉めて散歩に行くか?いや、でもそれだとめんどくさい…来た道を戻るよりこのままの気分で散歩に行きたいのだ。(あけっぱなしにしておいて、防犯とか、風で煽られてバーン!と閉まって騒音にならないかとかは気になっているので、閉めない選択をした時は心なしかいつも速足になっていたと思う)
結局その日、私は散歩には行かず、扉を閉めに帰るという選択をした。
それから私は、毎回扉を開けては閉めてを繰り返すようになった。あの日の小さな後悔から、始めたことはちゃんと「終わらせる」ことで新しい選択を心地よく選び取ることができるのだろうなと思ったから。
仕事もプライベートも、はじめたのに優先順位が高いものから進めてしまうと、気付いたら「未完」で終わっているものが少なくない。そうすると、ものすごく心地が悪い。
それが例え途中だったとしても「ここまで」と、ちゃんと開けたものを閉じておくことで、また自分のタイミングで開けることができるようになる。
(『本当に行きたかったら、閉めた後にまた行けばいいじゃん』という声も聞こえてきそうだが、突発的な気分なので”わざわざ”閉めに帰った後に行くほどでもなかったのだ)
数秒後に自分の気持ちがどうなるかなんて分からない。
その時湧いてきた確かに生まれた感情を「それいいね!やろう!」と即決できる自分でいるためには、本当に些細かもしれないけれど(そして大袈裟かもしれないけれど)こうした小さな心地悪さとの向き合った先にあるのかもしれない。
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