人に向けるまなざしは、いつも優しいものでありたい。例えそれが綺麗事に聞こえたとしても。
いろんな世界が目に映る。いろんな感情が流れてくる。
私も人間だから、その見えたものに対して過敏に反応してしまったり、聞こえるもの、受け取った感情に心地悪さを感じることだってある。
だけど、自分の世界はどこまでも「主観」でしかなくて。大抵心地悪さを感じる時には、自分のなかの触れられたくなかった琴線に触れたり、自分の体験から来る「近しい感情」と照らし合わせて(こうだろうな…)と思い込みが入ることで「そう見えてしまう」ことも少なくはない。
逆も然り。
相手に自分の伝えたかった通りに伝わらず誤解を与えるケースだって、コミュニケーションのバグとしてはよく起こる。
感情的になることは悪いことではないし、むしろそう感じた時に「知らなかった自分の存在」や「言葉を変換しない本音」に気付けるチャンスにもなると思う。
だけど、ぶつけ合うことだけで、伝えるという一方通行だけでは相入れることはない。大切なのは「今を知り合い続けること」と「じゃあどうする?」と最善を考え合う姿勢を忘れないこと。せめて、片一方だけでも。
その目に映るものは、本当に自分のその解釈で合っているのか?
その受け取った感情は、相手の本当に伝えたかったことなのか?
その出来事が、その人が教えたがっている「大切にしたいもの」はなんなのか?
人に向けるまなざしはいつも、「あなたとわたし」と大切に思える優しいものでありたい。綺麗事に聞こえるかもしれないけれど、心からそう思う。
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