『眠り』 村上春樹
村上春樹の『眠り』のような状態になったことがある。
この主人公は17日間、一睡も眠れていない。
その変化に夫と子供も気づいておらず、主人公も何事も起こっていないかのように過ごしている。しだいに彼女は自分を見つめ直していく時間が与えられたように感じ、むしろ若返ったようにも感じていく。眠れないことで忘れていた感覚が覚醒していくお話。
私の場合はそんなに長い不眠ではないけれど、ある時から眠れず、微睡んでいると朝が来るというサイクルを3日ほど繰り返した。
『眠り』の主人公のトリガーになったものは金縛り。
私のトリガーは失恋。片思いの相手からの結婚報告だった。
その時の私は只々、体と心がびっくりしていたんだと思う。しっかり、『わたし全体』で3日ほど驚いてしまった。
悲しい感情はもっと遅れて、そのうち時差みたいにやってくるのだけれど、その時は失恋以外の周りの物事に対する五感がビシビシ働きすぎてへとへとになっていた。
…にも関わらず、眠れない!
不思議なことに眠りの主人公のように、それを悟られないくらい淡々と自分の仕事をこなし、眠れない夜を迎えるというサイクルが続いた。
眠りの主人公は最後、ひとりで夜のドライブに出掛け、二人の男に車をゆさぶられるというところで終わりを迎える。主人公がどうなったかは書かれていないので、推測になってしまうが、ドライブに出掛けたあたりで既に眠っていた、というか昏睡状態になっていたのではないかと私は考えている。望んだ眠りが本人の自覚していない隙間からやってきて知らぬ間に主人公を連れ去って行くイメージ。
私の『眠り』の終わりは、こんなに複雑なものではなく、ただ単純にみんなにむき出しの感情を聞いてもらい、自分をしっかりさらけ出してから、一時間、夜のピリッと冷えた道を散歩し、帰宅する事で不眠はすっかり解消されてしまった。
ただ失恋する前と後では違う私になった感覚がある。
大袈裟にいうと20代の頃の無敵な感覚を取り戻した感じ。
失恋する前はどんよりとした『いつもの朝』を迎えていたのに、今は妙に何でも刺激的に感じられて、『爽やかな朝』を迎えられているから不思議だ。
主人公が眠れないことで、忘れていた感覚が覚醒するという現象に近い。
完全に届くことがなくなった想いはまだ心に留まっていて、たまにキリキリと痛むけれど、そう感じた時は創作のエネルギーがもりもりっと産まれる時間なのだ、と捉えられるようになれた。(岡本太郎の本にでてくる『もりもりっ』という表現が頭からずっと離れず居座っている…)
『眠り』という物語に私を重ね、今こうしてこの文章を書くことで大分救われている自分がいる。
望んではいない出来事から引き起こされた不眠だったけれども、そのおかげで結果、『眠り』は他の誰とも違う特別な読書体験となった。