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田んぼテーマパーク、3年目の挑戦!地域活性化の新たな一歩

黒川温泉に学ぶ!田んぼテーマパークの成功戦略

田んぼテーマパークプロジェクトの
”分岐点”

令和5年4月から始めた田んぼテーマパークプロジェクトは令和7年4月から3年目に突入します。

このプロジェクトは、7年かけて地元の炭山地域に米づくりをする担い手を作るのが最終ゴールでした。

過去3年間で田んぼが子どもから大人まで集い、楽しめる場所ということは分かりました。
しかし、3年目からは本格的に米づくりをする担い手育成と炭山地域以外も含めた連携した取り組みが必要と感じています。

そんな中で私が参考にしているのが「黒川温泉」です。
20歳の頃から休日は入湯手形を買って、温泉のはしごを楽しんだほど大好きな場所です。

入湯手形
イルミネーション


20代は、佐賀市内に住んでいたため下道でよく行ったのを覚えています。

黒川温泉の統一感、各温泉宿が工夫を凝らしたお風呂など何度行っても飽きない場所です。

この雰囲気が落ち着きます

私が通っていた頃は、そこまで有名ではなく平日であればゆっくり温泉が楽しめました。
今は・・・観光客でごった返しでしょうかね

田んぼテーマパークプロジェクトもそうですが、地域住民は地元への愛着があり「自分たちの地域はなんとかせんば!」という気持ちをで行動する方はいます。
しかし、地元だけでは、やることも、人も、アイデアも限られてきます。

少し範囲を広げた取り組みが必要かなと感じています。
とは言っても黒川温泉街もそんなに広くありませんが、温泉宿を数十件まとめて一つのブランドとしているところは棚田などの中山間地域は参考になるはずです。

棚田などの中間山間地域が、同じような棚田地域の取り組みだけから学んでも変化は生まれません。
温泉街というテーマパークを生み出している「黒川温泉」は学ぶ価値あり。
と個人的には感じています。

最後に黒川温泉の消滅危機から再生の取り組みをご紹介します。

黒川温泉の1980年代の復活

黒川温泉は、1980年代に顕著な変化を遂げ、観光地としての再生を果たしました。

元々は静かな温泉地でしたが、1980年代に入り、最初に発展を遂げた由布院に対抗する形で、独自の観光戦略が採用されました。

この時期、黒川温泉においては、地元の宿泊施設経営者たちが協力し合いながら、温泉地全体の景観作りと観光資源の開発に取り組みました。

「露天風呂を集めた温泉街」をテーマにし、宿房間の露天風呂建設を加速させ、観光客を呼び込むための施策が実施されました。

新明館の洞窟風呂は
宿の主人がコツコツ掘ったとか
この洞窟風呂は有名ですね

特に1986年には、すべての旅館の露天風呂に自由に入れる「入湯手形」が導入され、これにより観光客は複数の旅館の温泉を楽しめるようになりました。

この手法は、観光地としての黒川温泉の知名度を飛躍的に向上させ、1985年には年間100万人以上の観光客が訪れる人気スポットへと成長しました。

また、資源の活用だけでなく、1990年代以降は、地元の若手が経営に携わるようになり、さらに地域振興を含めた新しい視点からの観光開発が進められています。これにより、現在も黒川温泉は日本の代表的な温泉地として親しまれています。

1980年代の黒川温泉復活の背景には、地域全体での取り組みや独自の理念があります。1975年頃からは、若手の経営者が集まり、彼らの経験を活かして新しい温泉観光の振興策を模索しました。

その結果、1986年に入湯手形の導入が進められ、黒川温泉全体が「一つの宿」として機能するという新たなコンセプトが確立されました。

さらに、当時の旅館経営者たちは共同で看板や景観の統一を図り、観光地としての一体感を高める工夫を行なっています。

このように、黒川温泉は一人一人の旅館が独自で動くのではなく、全体の利益を見据えた協調により成長することができたのです。

地域に対する愛情や地元の需要を理解し、環境保護の視点を取り入れてきたことが、今日の人気温泉地としての黒川を形成する土台となっています。

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