
黒人奴隷貿易に携わっていたイエズス会
「イエズス会と奴隷制」をテーマにして日本をカバーしている研究者と言うのがRômulo da Silva Ehalt博士ぐらいなので、大体その論文を調べることになる。Lucio de Sousa博士は、大航海時代のアジア史全般なので少し範囲が広い。イエズス会と奴隷制の研究者はそこそこいるのだが日本に限定すると少ない。そもそも日本人が居ない(先駆者に若干いるけど)
この分野、ポルトガル語とスペイン語とイタリア語とラテン語と日本語(古文)が分からないと行けない上に、テーマがニッチすぎるので研究者が少ない。古文はともかく廿が読めないのは論外。ついでに近世ヨーロッパ神学とアリストテレスの関係、中世ヨーロッパ史、ローマ法を理解していないと理解が及ばない分野なのである。要するに日本史より西洋史の範疇なのである。イエズス会の奴隷使役に関する記録の多くが南米の政府がイエズス会を追放したときに没収した資料や当時の裁判記録が中心になる。北米に関してはイエズス会系大学に隠蔽されていたりする。研究をするには、まずその資料にアクセス出来ないと意味が無い。イエズス会の大本営発表しか読まない研究は全て無意味。その性質上、論文はスペイン語かポルトガル語で公開されていることが多く、英語で公開されているものが少ない(六ヶ国語話せる研究者と言う高い敷居がある)
日本史専門家はポルトガル語やラテン語が理解できないし(筆者も出来ないけど)、それ以前の問題として世界史の知見が皆無なので昔からデタラメが多くアテにならないから信用していない。
日本語の資料は、ものみの塔やエホバの証人が首を突っ込んでいて信憑性が怪しいのもある。
そもそもスペイン語かポルトガル語の論文をGoogle翻訳に投げ込むぐらいで、イエズス会が奴隷制に反対していない事実ぐらいすぐ分かるのだけど、第二外国語ですらないから探すのが大変。
Ao contrário, compartilhava idéias de seu tempo, várias vezes expostas por pensadores, teólogos e juristas sobre a legalidade e a legitimidade da instituição e das situações especiais nas quais poderia ser acertadamente imposta. Não obstante haver vozes contrárias, a maioria dos letrados, dos estudiosos, dos populares e mesmo dos próprios escravos não a condenavam tampouco. Entre os jesuítas e religiosos de outras ordens esse pensamento não era diferente. Escreveu Alonso de Sandoval, convencido de que não havia qualquer irregularidade no fato de se vender e comprar escravos, contanto que fosse justo o cativeiro, nem constrangimento algum no fato dos próprios jesuítas os comprarem e os possuírem:
それどころか、当時の思想家、神学者、法学者たちが奴隷制度の合法性と正当性、そして奴隷制度が正当に課される特別な状況についてしばしば説いていた考え方を共有した。反対する声もあったが、大多数の識者、学者、民衆、そして奴隷自身さえも非難しなかった。イエズス会や他の修道会の修道士の間でも、この考え方は変わらなかった。アロンソ・デ・サンドバル(コロンビアのカルタヘナで宣教活動していたイエズス会士)は、捕囚が公正である限り、奴隷が売買されることに不都合はなく、イエズス会自身が奴隷を売買し所有することに恥じることはないと確信していたと記している:
Eduardo França Paiva, 2010
ここから《反対する声もあった》や《(不法な手段による)先住民の奴隷化に反対して居た》の部分だけをトリミングしてあたかもイエズス会全体が奴隷に反対していると言っているのがイエズス会擁護派。確かに16世紀のMiguel Garcia修道士や18世紀のAndré João Antonil神父やJorge Benci神父などは、黒人奴隷貿易を非難して居るがむしろイエズス会本体は積極的に奴隷貿易に積極的に携わっていたのである。このようなミスリードは完全にマスゴミの手口である。
そもそも西洋で奴隷制が悪いと言うのは18世紀ぐらいに出てきた考えで、当時の価値観で正しいとされていた事を現代の価値観で解釈し資料を捻じ曲げることの方が問題ある。16-17世紀のカソリック教会は正しい戦争の捕虜を奴隷にすることは問題無いとしていた時代である。16世紀後半にスペインのBartolome de Albornozと言う法学者が奴隷制そのものに疑問を突きつけたが、イエズス会もカソリック教会も耳を貸していない。ローマ法王もガレー船用の奴隷を所持していたのである。
日本では身売りしが行われていたが売る方も身売りする方も悪いとは思っていなかった様だ。それを見たイエズス会士は自らを奴隷として売る行為を不名誉と思わないことを不思議に思ったらしい。ただし、家臣の妻を掠奪したり、領民を奴隷化して売り飛ばしていたキリシタン大名大友宗麟は当時でも悪いと断じて良いかと。イエズス会が検討したとされる日本における奴隷化の10種類のパターンの半分ぐらいがキリシタン大名大友宗麟がやったことの気がするのだけど気のせいだろうか。
宣教修道会がどのように資金ぐりをしていたのだろうか?寄進や国王からの資金援助もあったが自前でまかなっていた部分も多い。その中で大きな位置を占めていたのが奴隷が関わる商売でイエズス会の最大の資金源は奴隷貿易の仲介や奴隷を使ったプランテーションだったと考えられる。奴隷貿易の片棒だからこそ信仰と奴隷商の利害が一致しない場合、イエズス会は奴隷商人の肩を持つしかないのである。
これはイタリア語のサイトで見つけた。ナイジェリアのカソリック神父ピウス・アディエレ・オニエメシが書いた『The Popes, the Catholic Church and the Transatlantic Enslavement of Black Africans 1418-1839』という本らしい。イタリア語ではなく英語の本である。英語ではWokeのスパムで埋め尽くされているからこういう情報になかなか辿り漬けない。
Dallo schiavismo la Chiesa ha avuto un concreto ritorno economico. Attivissimi i missionari portoghesi e soprattutto i gesuiti, che compravano gli schiavi per impiegarli nelle loro piantagioni in Brasile e nel Maryland. Oppure li rivendevano con la loro nave negriera «privata», che trasportava la merce umana da Congo, Luanda e São Tomé verso il Brasile. Don Onyemechi cita il contratto con cui nel 1838 il Provinciale dei Gesuiti del Maryland, Thomas Mulledy, vendette 272 schiavi africani. Prezzo: 115.000 dollari al «pezzo». L’evangelizzazione consisteva per lo più nel battezzare in fretta e furia gli schiavi prima di imbarcarli. Anzi, tutto il meccanismo faceva sì che essi venissero tenuti ben lontani dalla parola di Cristo. I profitti venivano reinvestiti in nuove campagne di aggressione e deportazione.
奴隷制から教会は具体的な経済的見返りを得た。ポルトガルの宣教師たち、特にイエズス会士たちは非常に積極的で、奴隷を買ってブラジルとメリーランドの農園で雇用した。あるいは、コンゴ、ルアンダ、サントメからブラジルに人身売買品を運ぶ「私設」奴隷船で奴隷を売った。ドン・オニェメチは、メリーランド州のイエズス会管区長トーマス・マレディが1838年に272人のアフリカ人奴隷を売った契約を挙げている。価格は1人115,000ドル。伝道のほとんどは、奴隷を乗船させる前に急いで洗礼を施すことから成っていた。実際、この仕組み全体によって、奴隷たちはキリストの言葉から遠ざけられていた。その利益は、新たな侵略と国外追放のキャンペーンに再投資された。
さすがにイエズス会は奴隷船までは持っていなかったと思うので要調査かな。
全文公開されているらしい。
https://library.oapen.org/bitstream/id/8aa95306-9256-443f-9e89-de5871874288/external_content.pdf
Portuguese missionaries especially the members of the Jesuits Order sent by the Church to evangelize the pagan natives of the West African Atlantic did not only take active part in this slave trade but also lived from it, gravely profited from it and depended heavily on it for their sustenance.
ポルトガルの宣教師たち、特に西アフリカの異教徒である原住民を伝道するために教会から派遣されたイエズス会の会員たちは、この奴隷貿易に積極的に参加しただけでなく、奴隷貿易によって生活し、奴隷貿易から多大な利益を得て、奴隷貿易に大きく依存していた。
イエズス会はまごうことなき奴隷商人でしたと。
Antonio Vieira was convinced that the blood and the sufferings of the Black African slaves in Brazil were indispensable for the development of Portuguese establishments in Brazil.
アントニオ・ヴィエイラ(を初めとする多くのイエズス会士)は、ブラジルの黒人アフリカ人奴隷の血と苦しみが、ブラジルにおけるポルトガルの施設の発展に不可欠であると確信していた。
(イエズス会はブラジル先住民のインディオの奴隷化に反対していたため代わりの労働力として積極的に奴隷貿易をすべきだと主張していた)
Charles Boxer also observed that the Jesuits owned plantations in different places in the New World with Black slaves working in them. Thus according to him: “Negro slaves were employed on Jesuit sugar plantations in Spanish and Portuguese America, as well as in domestic servitude there and in the Philippines, and in Portuguese Asia and Africa.
チャールズ・ボクサー(イギリスの歴史学者)はまた、イエズス会が新世界のさまざまな場所にプランテーションを所有し、そこで黒人奴隷が働いていることを観察した。彼によれば 「黒人奴隷はスペインとポルトガルのアメリカのイエズス会の砂糖プランテーションで、またそこやフィリピン、ポルトガルのアジアやアフリカで家庭内奴隷として従事していた。」
An example of such historical evidences was the one given by a member of the Capuchin religious Order friar Lourenco de Lucques who wrote in 1705 as follows: “Although the Jesuits treated their slaves well, but at the same time, they were not reluctant to sell undesirable subjects to the slave traders due to fraud or bad behaviours.”
そのような歴史的証拠の一例として、カプチン会修道士ルーレンコ・デ・ルケスが1705年に次のように書いている: 「イエズス会は奴隷を大切に扱ったが、同時に、詐欺や素行の悪さによって、好ましくない奴隷を奴隷商人に売ることも厭わなかった。」
Guiseppe among other things observed that it was for him: “An impossible task to eliminate the abuse of selling and buying slaves because here, the religious are engaged in it, particularly the Jesuits, who have a boat which every year sails to Brazil laden with slaves, hence only your Eminence together with His Holiness can remove such an abuse by writing to the king of Portugal concerning this affair
(アンゴラとコンゴの奴隷貿易に関する回答)
ギゼッペ修道士は、特に次のように述べた: 「奴隷の売買という濫用をなくすことは不可能なことです。なぜなら、ここでは修道者、特にイエズス会がこれに従事しており、彼らは毎年奴隷を積んでブラジルに航海する船を持っているからです。」
――と、まぁこんな感じである。この本はイエズス会と言うよりカソリック教会全体が黒人奴隷貿易に直接関与していたと書いているのであるが、イエズス会についてのみピックアップしてみた。この辺りは、近世に神学と融合したアリストテレスの思想が絡んでいると考えられている。アリストテレスは「奴隷が奴隷である理由はその生まれの卑しさである」と奴隷制に肯定的なのである。それゆえトマス・アクィナスも奴隷制を肯定した。その人文知により近世ヨーロッパで近代奴隷制が創造されたのである。
そしてポルトガルの宣教師達はコンゴで後の日本で行われたのと似たようなシステムで奴隷貿易を既に行っていた様である。コンゴ王などの友好的な勢力に武器弾薬などを提供し戦争捕虜を奴隷として輸入していた様である。ポルトガルとは比較的距離が近いため、早い時代に遣欧使節が送られてコンゴ人を神父にする教育も行われていたらしい。しかしポルトガル王からの資金援助が途絶えると修道士達は宣教より熱心に奴隷貿易を行ったようだ。ポルトガル王にコンゴ王から苦情が来るほど違法な奴隷狩りを熱心に行っていた様だ。ちなみ、この時代にイエズス会は存在しない(イエズス会がコンゴ入りするのは1548年でフランシスコ・ザビエルが日本に来る1年前なのである)から中心になっていたのはフランチェスコ会やドミニコ会だったが、コンゴにおいては修道士が活動すればするほど奴隷貿易が活発になったのだ。そうするとイエズス会はコンゴの奴隷貿易スキームを日本に持ち込んだと考えられないだろうか?
The white man is very clever. He came quietly and peaceably with his religion. We were amused at his foolishness and allowed him to stay. Now he has won our brothers, and our clan can no longer act as one. He has put a knife on the things that held us together and we have fallen apart.
白人はとても賢い。彼は静かに、平和的に宗教を持ってやってきた。我々は彼の愚かさを面白がり、彼の滞在を許した。今、彼は私たちの兄弟を手中に収め、私たちの一族はもはや一丸となって行動することができなくなった。彼は私たちを結びつけていたものにナイフを突きつけ、私たちはバラバラになってしまった。