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那須の道(①那須塩原駅~千本松牧場・那須野が原公園)

5月の那須

 那須は避暑と紅葉で有名だが、新緑の季節も美しい。木々の鮮やかな緑が目に痛いくらいで、その若々しさは枝を伸ばして広げてゆこうとする力強さがある。

 東北新幹線、那須塩原駅で下車をすると、東京と違う空気の冷たと清々しさがあって、ほんのり牧場(まきば)のにおいがする。

 駅前で車を借りて、千本松牧場へ向かう。途中、水が張られたばかりの田んぼが目の前に広がり、水面が日の光を反射して鏡のようになっている。田んぼでゆっくり進む赤い田植え機のあとには黄緑の苗が列を揃えて水面にささっている。

 この辺りは今でこそ米どころと言われているが、かつては「水も通わぬ那須野が原」と言われるほどの荒れ地だった。石だらけで、木もなく雑草ばかりの野っ原。この地は水はけがよすぎて、水がなかったのだ。

 転機は明治に入ってからで、この広大な土地を何とか利用しようと開発がはじまった。荒れ地から岩をどかし、土から小石を取り除き、北方を流れる那珂川から水を引いた那須疎水が作られて、ようやく耕作ができるようになった。開拓は苦難の道で、その苦労は書籍のほか「那須野の大地」という市民劇で語り継がれている。

 一方で当時、明治貴族たちの間で西洋風の農園と邸宅を所有することが一種の流行りになっており、開拓途上の那須野が原はその格好の地で、彼らもこぞって開墾と農場運営にあたった。現在も山縣有朋、松方正義、青木周蔵らの邸宅が保存されている。こうした開拓のキラキラした部分は数年前に「明治貴族が描いた未来~那須野が原開拓 浪漫譚(ろまんたん)~」として日本遺産に登録され、歴史的な観光資源として活用されている。

 道路を走る車は、蛇尾川(さびがわ)にかかる遅沢橋を通る。窓からは大小の石に占められ、ところどころ雑草の生えた河原が見えるが、水の流れはみえない。この川は「水も通わぬ」と言われていた風景を遺していて、普段は地中を流れて、雨が降った時だけ地表に姿を見せる。晴天が続いたこの日の蛇尾川は遠くにそびえる那須の山にむかって礫の道を伸ばしていた。

千本松牧場

 駅から車で20分ほど北西に進むと千本松牧場がある。千本松牧場のつくるヨーグルトやバターは、東京でも紀ノ国屋や成城石井などの高級スーパーでもみることができる那須地方随一のブランド牧場だ。牧場は東北自動車道の西那須野・塩原インターチェンジから数分の所にあり、車からのアクセスもいい。観光牧場でもあるので乗馬や、動物と触れ合ったりすることができ、ドッグランもある。

 ここでの隠れた優良コンテンツは貸し自転車で、その自転車で敷地内を一周することができる。自転車に乗れるようになった7歳の娘が張り切ってこぎ始め、牧場内の観光客でにぎわっているゾーンを離れ、牛が放し飼いになっている牧草地の脇を通って松林に入る。林は少し暗いくらい松がうっそうとして、苔が蒸れたような独特の香りと湿度の高いひんやりとした空気が素晴らしく、東京では味わえない清涼感がある。

蜂の子ご飯は開拓者の味

 千本松の林は名前の通り、赤松ばかり生えている。松は栄養素の乏しい土地で育つというから、こういう貧しい大地から、関東有数の米どころに育てあげた先人たちは偉大だ。周遊コースのはずれに小道ほどの那須疎水の分水路があり、水が涼しい音を立てながら豊かに流れていた。

 那須野が原の開拓は、もともとこの地に住む者がなかったため、移住者によって成し遂げられた。長野や富山から来たものが割合多かったようだ。
 この地域に住むある家庭で、蜂の子ご飯をごちそうになったことがある。米に醤油などの調味料、蜂の幼虫を加えて炊き込んだこの郷土料理は、ほんのり甘くておいしい。「蜂の子」ご飯といいつつ、蜂のさなぎも成虫も入っている。甘い蜂たちは、花の蜜を餌とするミツバチだと思っていたのだが、実は土の中に巣を作るジバチ(クロスズメバチ)で、虫を捕らえて食べる蜂だという。

 蜂の子を食べる習慣は長野県で聞くが、栃木県内では珍しい。これは那須野が原の開拓で長野から来た開拓民が食習慣ごと移り住んで、那須にその子孫とともに残したものだ。

那須野が原公園と首都移転

 千本松牧場の隣には県立の那須野が原公園がある。この手入れの行き届いた巨大な公園は、県外の観光客にはあまり知られない、地元民で賑わう場所だ。アスレチックや、夏のプールは混み合うが、園内をただ歩くだけで楽しいし、一緒にきた子ども達は芝生の丘から駆けくだって笑っている。大人が滑っても怖いくらいの大型の滑り台があって、こちらも子ども達は悲鳴をあげながら滑っている。

 この公園の小高い丘の上に展望台がある。展望台に登ると周囲を一望でき、北は青空のもとに深緑の木々に覆われた那須連山が映え、南側には西那須野の街並みが広がっている。展望台から見ると足元に大きな池と牧場があることに気づく。土地改良区の赤田調整池と栃木県の農業試験場だ。展望台のあるこの公園、そしてこの周辺の地は30年ほど前に大きな注目を集めた。

 平成の初め頃、災害リスクや東京一極集中是正のため、国会を地方に移転しようという話があった。この首都移転の話はただのヨタ話ではなく、国会が決議し、移転に向けた法律まで制定した本気の話で、全国から我こそはと候補地があがり、その中で栃木・福島地域は最も高い評価を得た。地元の構想ではこの公園、農業試験場に国会議事堂を建てることを考えていた。地盤が強く、新幹線の駅と高速道路ICのすぐ近くで交通アクセス良好。
 そして最大の売りは、土地買収の手間のない公有地で賄えるという点だった。いまでも当地を縦断する国道4号線を車で走ると「那須野が原に国会を!」と書かれた古い大きな看板を見ることができ、当時の雰囲気をうかがわせる。

 その後、国会誘致の構想は話がしぼんで永遠の棚上げ状態になっているが、当時は青田買いの土地売買など、ずいぶん盛り上がっていたという。那須は別荘地ブームやバブル期の温泉地の大規模投資に続いて、社会経済情勢に振り回された土地でもある。

 千本松牧場で自転車に乗って、那須野が原公園で走り回ればさすがに三人の子らもヘトヘトになったようだ。と思ったのは束の間で、またすぐはしゃぎだすそのパワーを少し分けてほしい。

都内でも那須のアンテナショップがたまにある

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