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4日
性格診断は恐ろしい。数個の質問に答えただけで、16個の性別に分別される。それぞれが、様々なフィーリングを感じて生きてきたというのに、「あなたは○○家です。」と言われる。僕は、どんな奴なのかと解説を覗くと、納得してしまうのがそれもまた恐ろしい。ただ、非常に面白いものだった。どちらかというと人の診断結果を聞く方がおもしろい。
5日
たまに無性に食べたくなるのが、カップラーメンである。なにかやばいものが入っているのではないかと思うほど、脳みそがカップ麺を求めることがある。押し入れの中にあったカップ麺を取り出して持っていく。弁当を作る手間もなくなり、それなりに経済的にやさしい。ひょっとして、コイツいい奴なのか?
しかし、問題がある。外ではお湯の確保が難しい。バーナーを持っていく訳にもいかない。水筒に入れてもいいが、荷物が増えてしまう。食堂の人のいない時間を見計らって、給水機のお湯のボタンを押す。600円の学食を優雅に食べている人の横で、カップ麺をすする僕。こんなに虚しい姿はないだろう。無人の食堂ですする音だけを聞く。塩分過多によって、脳みそはしわしわになっていく。
6日
今日はやたらと警備員に声をかけられる日だった。いつもは閉館時間が迫ると巡回中の警備員が一人声をかけてくるか来ないかの頻度である。しかし、今日は5分おきに別の人から声をかけられた。常識的には、閉館時間に余裕をもって出口に向かうが、僕みたいな滑り込む奴がいれば目を付けられる理由は揃っている。こう連続して声をかけられると本来的には大丈夫なんだろうけど、不安な気持ちになってくる。一方で、終わりの合図がなければ、ずっと作業してしまうし、その点ブレーキーみたいな役割がある。それでも僕は、延長を希望している。
7日
話をしていると気づけば脱線をしている。あるいは、逆走していることは多々見られる。僕もその指令者側に立ってしまうときがこれまで何回かあったに違いない。決して、それは無駄なものではないが、あらゆるものが有限である社会の中では、今じゃないという場面が多く存在する。だが、その人は息を付かないで話しているのだから対話をする隙間がない。「個人面談」という名称で用意していただいた空間は、「個人単談」とでも呼称しようか。
8日
両親が帰ってくるということで、急遽自宅の原状回復が始まった。といっても、生活エリアは限定的で、水回りと僕の部屋をチャチャチャッと片づけるに済んだ。よく考えると、家で過ごす時間より、外での作業時間が多いし、自宅にいても部屋に引き籠っている。ずっと住み続けている家だが、安心感はあるものの、これといった固執する感情は少なく思える。最近では、引っ越しを考えているから、僕の脳みそは完全に思考が新居にシフトしてしまっている。
しかし、帰れる場所があるのは想像以上に素敵なことだ。よく気がついたら家の玄関を開けていることがよくあったりする。脳みそが勝手にこの家を帰る場所だと認定している。目を瞑るとたどり着けはしないが、神経は戻ってこれるのだと思う。
9日
今日は、多くの人の節目となる日であろう。3月9日が卒業という認識は、ある地域から見ればフライングだったりもする。しかし、未来ある子供たちが一つの垣根を掻き分けて進んでいくのは素晴らしいことだ。ふと、今までの学校生活を思い返すと、真っ黒に黒塗りされた記憶や馬鹿みたいに笑い合ったことを思い出す。そう考えると、今の生活は随分と無色になった気がする。僕も垣根を掻き分けて光を探している。
今いる子供たち、これからの子どもたちに光を照らしていかなくてはならない。僕たちにとって子供らは誇らしいものだが、反対に子供たちにとって僕たちは誇らしくあれているだろうか。常に疑問に思う。
10日
久しぶりに日曜日であることを感じられた。模試続きの最近は、その対応と振り返りで追われていた。また次の日曜からはこのループが何度か再開されることになるが、今日はその中日となった。といっても、お祝いにケーキでも食べるわけでもいつもより高い肉を買いに行く訳でもない。通常に箱アイスを買うし、牛肉の横にあるやっすい豚肉を手に取る。しかし、これが悪いわけではない。味付けや調理によっては、美味いと思える一品が生み出せるし、それで満足する。それ以上に余ったヘソクリを何に使おうかと考えることが一番の高揚だったりもする。
ドタバタ日記2024年3月13日
Tune of the One weeks / 今週の一枚
・Perspective / 坂本龍一
作業中の合間や最中によく聞く音楽の一つとして、この曲を掲げる。ピアノ単体の音にも関わらず、何層にも重なりつつ、それでいて柔らかいフィーリングを感じる。脳みその思考を最下層にまで持っていかれて、作業への集中に変換されている。
影響を受けがちの僕だが、こればっかりは真似しようとも思わない。それは現実味がないからではなく、完成されてしまったからだ。僕は、坂本「教授」のオーディエンスの一人として。