見出し画像

3/18-24 ドタバタ日記

18日
予備校にて添削を受ける。ES的なものを書いていると、謎の手ごたえがある。これは、過度な自信からのものではなく、質量の重みからくるものである。何回か書いていると、それが定型文化になって、こうゆうときには下B攻撃だな。横Bからの上Bのコンボなんかを想像しながら文字に起こす。おかげで添削もスムーズに終えた。
こうして振り返ると、「過去の俺よ。ありがとう」と胸を張って伝えたい。その前提として、一次試験を通過しなければならない訳で、早々に頭が凍り付く。僕の頭上では、突風が吹いている。


19日
講義が夕方に終わると、その足で列車に乗り込む。2時間強の道のりだったから、思い切って列車に課金をした。無課金であれば、ラーメン二杯ほど頼める料金だが、課金したことによって、焼肉の食べ放題で一番低ランクのプラン並みの料金となった。

イタタタタ、、、

こうした長距離の列車での移動は、実に数十年ぶりであり、少しワクワクしている自分もいた。しかし、気づけば目的地の駅について期待していた以上にあっけなかったなというのが感想である。

アルコールが体内に入れば、多くの話がポロポロと出てくる。僕の知らない祖母の武勇伝を始めて聞いて、時代を感じる。今の社会で再現されてしまえば、インターネットのプラットフォームを荒らすことになり、テレビのキャスターはいいネタができて様々な議論を交わすことだろう。
斎場の宿泊所は、普通のホテルと差はなかった。しかし、身体を休ませるという目的からすれば、その性質上到達できないところにいる。


20日
斎場で多くの親戚と顔を合わす。このようなタイミングでなければ、なかなか会う機会はない。常に湿っている脳みその裏では、名前のデータ照会が行われていた。

式の一つひとつの行為になんの意味があるのだろうか。それは、「意味」なんてものはいらないのだと思う。何度もお辞儀をし、手を合わせ、お寺のお言葉に耳を傾ける。これらが、一日中行われている。きっと、あらゆる行為を通じて、悲しみや事実を僕たちに突き付けて、順応していくのだろう。だから、本質としてお辞儀でなくとも、お言葉がなくたっても別の行為であってもそれは達成することができる。
しかし、それが家系の一般化された形式が受け継がれて、様々な宗派やお寺が現に残っている。

僕は、この一連の事実を1日中突き付けられてもなお、順応はしていない。日常のふとした瞬間に思い出して、凍った脳みその裏が時おり熱く感じるんだろう。

__________追悼。


21日
2日間家を空けていただけというのに、自宅が懐かしく感じる。社会は動き続けるわけで、僕も作業を早急に再開しなければならない。明日をもって脳みそをカチンコチンに凍らせよう。溶けだした頃には、100年経ってることになりませんように。


22日
今日は、学校の卒業式だったらしい。こう他人事のように言うのは、間違いなく他人事であるのもそうだが、学校に行くまでそのことを知らなかったからだ。キャンパス内は、それっぽいBGMがリピート再生されていて、それを8時間以上聞いていた僕は、頭がおかしくなりそうだった。ところどころ、話し声や笑い声が聞こえていて僕も笑えるように頑張らなくてはと思う。


23日
試験の申し込みは、思った以上に労力を伴う。ただの個人情報を入力することでさえ、僕の右手は小刻みに震えていた。おいおい、試験本番では、一体どうなってしまうのだろうか。突然、筋肉が膨張して破壊神に成り果てるのか。手の震えによっていつの間にか螺旋丸を習得してしまうのか。はたまた、立派な公務員になっているのか。
この先の将来はどうなっているのだろうか。少なくとも、破壊神みたいなものにならないことを願う。



24日
いつもお世話になっている地元の人から一本の電話がきた。「LINE」の使い方を教えてくれと電話越しで言われた時には、僕は孫かなにかかな?とツッコンでしまいそうになる。けれども、断る理由もないし、何しろお世話になっているものだから、こんなことで還元できるのであればと了承した。しかし、その人にとっては、そんなことではなく、本当に分からなくて困っていると感じた。
集合してからものの数分で解決して、ひとつまみくらいの還元はできたのだと思う。
やはり、終始僕は孫なのかな?というツッコミが僕の声帯と脳みそを往復していた。



ドタバタ日記 2024年3月25日

Tune of the One weeks / 今週の一枚

・Be Alright / asian kung-fu generation

いいなと思ったら応援しよう!