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11/13-19

13日
去年は、誕生日プレゼントをもらえなかったから、もらえたことにとても嬉しく思う。僕自身がプレゼントしたものは大したものではないから、それ相応のものをもらった。それなのに、その商品につけられた価格以上に手渡されたことによる付加価値があった。こうした気が楽になるような関係性は作れるようで作れない。
気分はオーガニック。



14日  
裁判所に向かった。もちろん関係者ではなく、傍観者として顔を見せる。
前々から、興味はあって行く機会を伺っていた。その時友人が行きたいと言ったもんだから一緒に行くことにした。
傍聴席は、満員になる程に注目された事案であった。罪状は、比較的重いものであったが、事実の概要を聞けば、関係者の苦労が垣間見れた。傍観者であるためには、自身が傍観者であることを自覚し、ガヤガヤ騒ぎ立てても何の効力も持たないことを知る必要がある。ここでは、表現者の地位を捨て、空気の籠った空間へ溶け出す。
酸素が少ない代わりに、ぬるい暖房がそれを埋める。



15日
朝起きると喉の調子が悪い。調子が悪いどころが、声が出なかった。
最悪のことを見越して、病院に連絡し、見てもらうことにした。
結果は、ウイルス性のものではなく、炎症であった。この先、予定が積み重なっているからその結果を聞いて安心はした。しかし、声が出ないのはとても不便。精神的に来るものがある。帰りに龍角散を買って帰る。
度々お世話になっている病院は、ノリがあるお父さん世代の人だ。何らかを患った時には、若いから治るっしょと声をかけてくる。そのスタンスは嫌いではない。

健康は、それを失った時にそのありがたさを想う。

何とも強欲で勝手な考え方だ。しかし、それが当たり前だと認識している。
信仰心が足りない。自身に対する信仰心。祈りを捧げる。


16日
喉の調子は、多少マシになったが喉の細胞たちは、まだまだ安静が必要だと訴えている。安静とは何かを考える。家でゴロゴロするのが安静であるのか。それとも軽度な活動は許されるのか。それは、自身の細胞らと脳みそとの要相談ではあるが、、
何もしないことが常習化してしまうのが、1番の恐怖だと思う。外に出て、光と風を感じるのが心地いい。喋りにくいのは、想像以上に疲れる。


17日
本来は、朝から外に出て活動している予定だったが、念のため自宅での作業に切り替える。意外にも時間が経つのが早いと感じた。お昼は何を食べようか。夜はどうしようか。家や自身の維持管理を考えるとやることは多くある。
手にしたものが多すぎると、全てを磨き上げることはできない。
手のひらに収まって、包めるくらいがちょうどいい。


18日
準備期間は、約6ヶ月。ついにこの日がやってきた。消防の技術を競う訓練会にプレイヤーとして参加した。毎週、練習場に通ってそれなりの時間と苦労を注いできたつもりだ。その過程の中にも笑えるネタや重たい話などがあり、振り返るのには十分な時間が経っている。
プレイヤーとしてこの場に立てたことに最大限の感謝を告げる。
全体的に見ればほどほどだろうが、僕たち当事者からすれば、素晴らしいものを見せることができたと思っている。

地域には様々なコミュニティが存在して、それは介護支援だったり、町内会だったりがある。他にも見えないところに〜〜教会や〜〜会だったりがある。
その中でも、消防団は特段に特別な地位にあるのだと思う。


19日
喉の調子はじわじわと回復に向かっている。それでもクリアな声は、十分には出すことができていない。所々で支障をきたしているから、早期回復を願うばかりだ。
この時代、咳払いで疑いの視線が向けられる。正直なところ、その視線を辿れば、僕の目があることなんかはよくある。だから気持ちはよくわかるし、申し訳ないと思う。
なかなか外に出て行きにくい。

ドタバタ日記 2023年11月20日


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