2/19-25
19日
もしかしたら、その人と今日で会うのが最後になるのかもしれない。
それが今日になって知らせを聞く。あまりにもあっけなさ過ぎて、まだTo Be Continueという字幕が左下辺りにあるのではないかと探してみる。見えてしまったら、それはそれで眼科行きなんだろうが。。
もちろん連絡先も知っているし、地元にいるとのこと。それでも、これまでの日常のように何かのコミュニティに自然と溶け込んで、自然と出会うような一種の必然性が失われることになる。そうなってしまったら、わざわざアポとって時間合わせて場所決める作業を全てオンライン上で済ましてしまう。便利なのだが、見えない電子の交信は一定の質量がある。
しかし、こうした社会的な境目で失うのには、あまりにも惜しい。たまにはスタンプでも送ってやろうか。
20日
講義が入ってしまうと、その日の活動時間にゆとりがなくなってしまう。14時~17時という僕にとっては、作業時間のゴールデンタイムであり、あっという間に過ぎ去ってしまう期間でもある。次に時計の針を見れば、長針と短針が入れ替わったんじゃないかと思わせられる。その度に、僕は僕自身を呪い始める。右手にトンカチを掴んで、左手には釘を持つ。打ち込んでいくと、ポロポロとシャー芯が折れていく。
21日
最近、人と話すことがストレスの解放区になっていると実感する。決してそれは、悪態ついたりだとか愚痴をつらつら垂れているわけではない。(自覚している範囲内では。)相手の話を聞いて思考することが、一時的に凍った脳みそを活性化させる。普段、自分自身の内部に向かって思考をしているから、それが外部に放出させるのにちょうど良かったのだと思う。だから、人と話すことは、一種の麻薬に近いものがある。それを実感してしまっていることに身体と精神の分離を感じざる得ない。常に僕は、僕のことを見ているし、見られてもいる。
22日
作業中に、友人と偶然会える距離にいて、そのまま昼食を食べに行く。僕が最近よく行くうどん屋を紹介するような形になった。うどんを嫌いな人は果たして地球上に存在するのだろうか。日本人のように「吸い込む」という所作が存在するのかどうかは疑問に残るが、決してネガティブな結果にはならないはずだ。あらゆる食のジャンルから考えれば、うどんの立ち位置は、「ベンチでアップはするが試合には出れないタイプ」なのだろう。それでも、某亀製麺や某まるうどんといった全国チェーン店が存在する。そして、田舎に行けば、その地名を使ったうどんが所々で紹介されている。うどんの勢力は、水面下で動いてる。
その友人は、どうやら満足した様子で解散した。その後、作業に戻ると原因不明のゾーン状態に陥った。
23日
作業するのに自宅や図書館の頻度が増えてきたが、今日は祝日ということもあり、久しぶりに喫茶店に行く。天気が悪いのも関わらず、朝から7組待ちという数字がディスプレイに映し出されていた。この戦いは、しばらく待って、自分の番号が呼ばれるまでが終わりではない。席を確保してからも続々とやってくるお客とのセカンドステージが始まるのだ。基本、店員の方から退席を催促されることはないが、この時間が続くとどうも居心地が悪化する。僕も僕で7時間以上、その席を占拠しているから店側と客側の見えない信頼関係に反するのに十分な因子だ。店内が騒がしくなったところで早々に退出した。
24日
図書館に向かうまでの移動時間と自宅での作業時間を天秤にかけてしまう。ベットから起き上がった瞬間に脳みその中で、判定がされてしまえばほとんどの確率で、自宅での作業時間に傾いてしまう。といっても、自宅だから不都合なことは、コンセントを気にせずに使えるか程度の話しかない。しかし、ずっと家の中にいることにヘルシーさに疑問に思う。それは、身体的にも内面的にもである。せめて、身体的だけでもと思い、野菜ジュースを1L用意する。
ここで、気づくだろうか。
固形の草物を食べていないことが、そもそもの健康思考にヘルシーさがないことに。
25日
ここ2週連続に模試があって、すでに息切れを引き起こしている。このスケジュールを組んだのは、紛れもなく僕自身なのだが。。しかもこの周期が3月末まで続くということに少しめまいがした。しかし、良くも悪くも緊張状態が僕の脳みそを引き締めている。ただ、同時に血液も止まってしまっている気がする。血液の代わりに、ラーメンの汁を凍った脳みそに注いでいく。血糖値と共に、僕の呼吸が上がっていく。
ドタバタ日記 2024年2月26日
Tune of the One weeks / 今週の一枚
•RIP SLYME / STAIRS