『天晴!な日本人』 第119回 榎本武揚(8) 「有能な外交官としての武揚」
<新刊発売中です>
拙著、発売されました。
無私無欲に果敢に生きた男女10人の物語です。
志の尊さ、純粋さを味わい、自らの生き方の参考にして下さい。
アマゾンの書評欄に感想を書いてくれたらありがたいです!よろしく!
美達大和
<本文>
ペテルブルグは、ピョートル大帝にちなんで、一七〇三年から一九一八年まで、ロシアの首都でした。
大帝はロシアを大国にした皇帝で、自ら先進国を視察し、産業においても自分で働いてみて技術を修得する賢い人でした。この人、身長二メートル以上の巨漢です。
<ロシアで好遇された武揚>
武揚はペテルブルグ到着後、間もなく皇帝のアレクサンドル二世との謁見を許されています。
そうして、大いに好感を持たれ、以降、度々、会っては話に花を咲かせる仲となりました。
アレクサンドル二世は近代的思想を持った君主でした。
イギリス、フランスの立憲政治をモデルとし、国内では農奴解放を行っています。
司法の確立、裁判の広い範囲での実施、教育の普及、産業の振興などなど、ロシアの発展に貢献しましたが、一八六三年のポーランドの反乱以来、革命論者を弾圧し、一八八一年にユダヤ人革命家らに暗殺されます。
これを機に、ロシア国内にいるユダヤ人が迫害され、国外に追放、逃亡したのが「ポグロム」とされています。
このポグロム、ユダヤ人迫害に怒り、日露戦争時、貧乏な日本の外債(外国で売り出す、日本の国債)をどかんと買ってくれたのがユダヤ人のジェイコブ・シフでした。
武揚はよほどアレクサンドル二世に気に入られたようで、一緒にクロンシュタット軍港を視察、陪食(共に食事)も許され、同行の皇太子が武揚に酌をするという歓待ぶりでした。
語学に堪能だった他、武揚の人柄、見識の高さによるものです。
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無期懲役囚、美達大和のブックレビュー
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