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山城の石をたずねて ~徳川ゆかりの城 大給(おぎゅう)城址へ~
物語をさがして vol.25
こんにちは。ニシハマカオリです。
またの名を、石が大好き、イシハマカオリです。
磨かれたり光ったりしていなくて、大き目のが好みです。
これまでには、豊田市の鶏石(鶏の声がしたという石)、名東区の猪子石(猪の形の石)、長久手市の床几石(家康が腰かけたと伝わる石)、など、ユニークな石を訪ねてきました。
すると、記事を読んでくださった知人が
「豊田市大内町の、大給(おぎゅう)城址の巨石もぜひ訪れてみて」
と薦めてくれました。
面白そうです!
大給城は、徳川家の租、松平家の城のうちの一つ。
さて、城址の巨石とは、どんな姿をしているのでしょう。
豊田にある大給城址へ!
(愛知県豊田市大内町城下3)
グーグルマップで「大給城駐車場」を指定し、山道を行くと、6台ほどのスペースの駐車場に到着。一番のり、誰もいません。
どこが登り口か分かりませんが、おそらく上だろうと坂道を登って行きます。
少し歩くと巨大な石の壁!これは大きい!!
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いや、近づいてよく見ると、ところどころ塩化ビニルのパイプの穴が。
排水の穴のようです。
これは自然の石ではなくて、コンクリートで固められたものでした。
すぐそばに入り口を発見。
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看板の注意書きにこうあります。
大給城は国の指定史跡に指定されています。
山城の景観をそのまま残しているため
案内看板はなるべく控えています
山歩きに慣れていない方、位置関係が把握できない方、
道に迷いそうになったとき不安な時は無理して進まず
すぐ引き返すようお願いいたします。
さて。毎日ウォーキングはするものの、山歩きなど久しぶりの私。トレッキングシューズのゴム底は経年劣化で粉々になってしまったので、普通の運動靴で、いつものようにふらっと一人でやってきてしまいました。大丈夫でしょうか。
駐車場には他の車がいなかった・・もし迷子になったら・・と、ふと思いましたが、階段もしっかりコンクリートで固められているし、大丈夫だろうと意を決します。
でこぼこ道ですが、しっかりとした道が続いています。
松平乗元墓所
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案内が見えてきました。右に松平乗元の墓所があります。
大給城は、もともとは長坂新左衛門という土豪の居城だったものを、松平親忠が攻め落とし、次男の松平乗元がここを受け継ぎます。
その後徳川家康の関東移封に伴い、廃城となるまでの間、ここは軍事的に重要な役割を果たした場所だったようです。
大給松平家の租、松平乗元の墓所へ、ごあいさつに行ってみます。
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墓の周りは囲われており、石造りの重々しい扉がついています。
丸い模様は、徳川の葵の御紋。
見えますか?
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広い敷地内はきれいに掃き清められています。
先の分岐に戻り、城址へ向かいます。
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「国指定史跡 松平氏遺跡」とあります。
この表示の石の右手にある「堀切」(ほりきり)から攻めていきましょうか。
堀切は山の尾根を断ち切る堀。尾根伝いにやってくる敵の攻撃から城を守ります。
それとももう少し上の「虎口」(こぐち)から行きましょうか。
「虎口」(こぐち)は城の入り口。こちらのほうが入りやすそうに見えるので、誘い込まれて討たれてしまいそうです。今日は「堀切コース」で行くことにします。
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堀切から足を一歩踏み入れると・・・
城址の石たち
石がどん! 土の壁に埋もれた大きな姿。
たくさんの石が、ゴロゴロ。これらは花こう岩なのだとか。
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そして、入城してから、とたんに道らしい道がなくなりました。
地面は落ち葉に覆われていますが、わずかに見える人の踏んだ跡をたよりに歩いてきます。
斜面が多いので、トレッキングシューズの方が安心でしょう。
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苔むした石の連なり。
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鬼の形相のような石。丸くあいた穴は浸食なのか加工なのか何か埋まっていたのか・・・不思議な表情を見せています。
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斜面に斜めに置かれた石。
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平たい石のステージ。上はすっかり植物に覆われています。
周りは土塁らしい土の高まりや、急斜面、不思議な石たちがいっぱい。
意外と、石が個性的なので道迷いしにくいかもしれません。
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不意に不自然に平たい開けた場所に出ました。
城の一番南にあたる場所で、日当たり良好です。
こちらは館跡で、居館とされています。
ここにはゴロゴロした石は見当たらず、住まいやすそうです。
草や木が払われてとてもきれいに整備されています。
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斜面を見上げます。山頂の主郭部分を遮るかのように大きな石。
どれくらい大きいかというと、これくらいです。
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そのすぐ左にも、こんな大きな石が2つ重なっています。
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手を振って合図をしていますが、見えますか?
山頂に続く平らな道が見つからないので、石の間の急斜面を登ります。
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山頂に出ました。
写真の左、三角の石は物見岩。物見岩に上がって景色を眺めます。
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尾張方面を広く見渡せます。
山頂の主郭部分にはほかにもかっこいい石が。
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「大給城址」の石碑は石の上に。石の上の石。
なんともこの城らしい。
見晴らしのいい東屋もあります。この日は風が強くてビュービューと音がにぎやかでしたが、ここでのランチタイムはかなり楽しそう。
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主郭部分は石塁で区切られていて、ほんとうに石づくし。
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明治天皇もハイキングにいらっしゃったのでしょうか?
三脚を組み立てて石と記念撮影をしていると、他にも登城している方がちらほらといらっしゃることに気づきました。
カメラを持って石垣や土塁を写真に収めている人のほかに、岩を登るボルダリングをしに来たと思われる人も。なるほど、面白そうです!
とにかく人の気配がして、安心しました。遭難せずにすみそうです。
来た道を戻りながら、主郭方面を見上げます。
本当にかっこいい土の高まりですね。
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駐車場は、来た時にはガラガラでしたが、帰りに車が8台も停車していました。平日の午前ですから、なかなかの人気スポットなのではないでしょうか。
最初は入り口の看板にちょっと焦りましたが、行ってみればとても周遊しやすく、一度行けば何度でも回りたくなるような面白いつくりをしています。
大給城址の素晴らしいところ
そして、大給城の何が素晴らしいかって、お城の遺構が開発されずに自然とともにそのままずっと時を経てきているという点です。記念館や詳細な案内、展示物といったものはまったくありませんが、立ち入っていけないところや触ってはいけないものもありません。
さらには、記録や遺構から分かる史実は限られており、この石のワンダーランドのような場所が、長い時間の流れの中でどういう形で始まり、活用され、何をしながらどう姿を変えていったのか?ということははっきりとは分っていません。
戦国時代よりずっと前、古代から石はあったのだろうか?廃城になった後はどうなっていったのか?いろいろと不思議は尽きませんが、答えは風の中。知る由もなく、訪れる人の想像にお任せといったところです。
楽しいと思いませんか?
今度行くときは虎口方面から、北回りで登ってみようかと考えています。
また違う石の表情が楽しめるかもしれません。
ではではまた、お会イシましょう!
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参考
『日本城郭大系 第9巻 静岡・愛知・岐阜』 新人物往来社 平井 聖
『愛知の山城ベスト50を歩く』 愛知中世城郭研究会 中井 均
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