不確かなものと確かなもの
今日はずっと死について考えた。
大好きな産業組織心理学の授業。
今週のテーマは過労死について。
これがきっかけになり、今日はずっと死について考えた。
授業のテーマはどうしてここまでと思うほど毎回タイムリーなコンテンツだ。
というのもちょうど最近、死について考えそうになることがあったのだ。
考えそうになったけれど思い出したくなくて必死で引き返した。
私にはもう戻りたくない過去、
死にたくて仕方がなかった季節があった。
初めて死にたいと思ったのは14歳のこと。
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と今最もしたくない過去を振り返るということを
今日は残さないことにした。(笑)
ただひとつだけ書きたいのは
私が当時を生き抜き、今幸せに生きられているのは
”言葉”のおかげだということ。
”いつの時代も確かなものは言葉だけだなと。”
今でも気分が暗い時はたまに感じることもある。
本当は人との繋がりに支えられたなんて言いたいけれど
当時は周りが全て敵なのかと、感じるほどで
孤独と不安定をこよなく愛していた。
今でこそ、人との繋がりに感謝の毎日だけれど、
孤独と不安定をこよなく愛しているのは変わらない。
(イイイミデ)
私はどこまでもずっとずっとひとりだ。
何にも縛られない自由の中で感じるまま
心地の良い不安定の中で
物事に依存や執着をしない
そして穏やかなポジティブさを秘めている
そんな不確かさを愛する流れ雲のような私は
確かな”言葉”が武器で味方で大切だ。
もっともっと磨きたい。
言葉を磨いて、そして暗い過去も人に話せるようになったら
いつか思いっきり書こう。
授業の過労死でも感じたことだけど、
誰かに痛みを話せる、
SOSを出せることは難しくて勇気のいること。
自ら命を絶ってしまう人は大概誰にも話せず
一人で抱え込んでしまったのではないかと思う。
人に話せた時点ですでに半分救われている。
もしもそんな人に出会えたならばすごく幸運で
絶対に手放したらダメだよっと。
自戒を込めてここに記すことにする。
こんなこと書くなんて
ポジティブな私らしくないかな?笑
だけど無理して前向きに書く自分より
無理せず等身大で書く私の方がずっとずっと好き。
呆れるくらいわがままな自由の中で過ごせた今日に
感謝。