【後編】二大受験マンガ『ドラゴン桜』vs.『二月の勝者』〜国が投資(インベスト)すべきはトップ層か中間層か恵まれない層か?〜
こちらの記事は後編です。前編の記事は下のリンクからご覧ください。
改革に翻弄される読者へ
おおた:
大学入試改革が混迷を極めています。英語の民間試験導入は延期に追い込まれましたね。国語と数学の記述式問題も見送りが発表されました。
高瀬:
個人的には、当事者である高校生が気の毒だと思います。今、少子化が進む中で中学受験が再過熱しているのは、安全志向の高まりが影響しているのでは。数年ほど前までは、大学附属校よりも進学校に行って国公立大を目指すという志向が強かったのですが、ここ 2, 3年は附属校の倍率が上昇しています。国の施策の混乱ぶりを見ると、親御さんの気持ちも理解できます。
今回の入試改革は見直されることになりましたが当初、地方の優秀な子にとっては有利だとも聞きました。一方で、先ほど三田さんがおっしゃったような偏差値50〜60台の大多数の子は、それまでなら受かるはずだった大学に入れない可能性が高まるわけですから、非常に気の毒です。とくに勉強に専念しにくい家庭環境にいる子にとってはつらい改革でしょう。
おおた:
『二月の勝者』には今回の改革も盛り込んでいますか。
高瀬:
改革に伴う混乱をビジネスチャンスと捉える塾が、保護者への説明会を行うシーンを描いたりはしましたね。
三田:
プレテスト(試行調査)をバーンと出していましたよね。(笑)
高瀬:
ええ。今から準備しなくちゃ、と思う親もいる。
おおた:
『ドラゴン桜』パート2の冒頭では、2020年の大学入試改革について主人公の桜木建二がアジテーションしていますね。
三田:
パート2は、そもそも始めた理由が2020年度の入試改革でした。せっかくパート1を読んで受験対策をしていたのに、10年後に「入試自体を変えます」と言われたら、どうしたらいいのかわからない。そういう読者に新しい情報を提供するために、パート2を始めることになったのです。
でも2018年の連載開始当初、わかっていたのは入試制度を「変える」ということだけ。改革の中身は一切わかりませんでした。週刊誌の連載は一年間で3〜4年の歳月を描くので、とりあえず単行本一巻目で「入試が変わるんだ」と叫んでおけば、一年続けるうちに何か情報が出てくるのではないかと気楽に構えていましたが。(笑)
入試改革は周期的に起きる
おおた:
この一年で様々な状況が見えてきました。改革の動きをどうご覧になっていますか。
三田:
僕は、文部科学省に同情的です。大学入試はこれまでも周期的に改革されてきました。共通一次試験(1979年)、大学入試センター試験(1990年)、今回の改革(2020年)……。システムが古ぼけてきた頃、国民からクレームが来る前に何かしらのマイナーチェンジを図る。今回は、その中身に関してのアイデアがなかったのではないでしょうか。大臣は「変える」と宣言したけれど、現場はどう変えていいかわからない。そんなお役所事情を感じます。
おおた:
そうですね。役人がどうにか帳尻を合わせようと奔走している感があります。そもそも大学入試改革はトップダウンのお仕着せでガラッと変えようとするところが誤りです。
中学入試の場合には、現場の試行錯誤があります。個々の学校が旧来のモノサシを残しつつ、社会の要請をとらえて新しいモノサシを取り入れているのです。大学入試は中学入試から学ぶべきだと私は思います。
三田:
今から四十数年前、僕が高校三年生のときにも大改革がありました。当時の国立大学受験は一期校・二期校制度で、旧帝国大学が中心の一期校に落ちた場合は二期校も受けられた。僕が受験する翌年にあたる1978年にこの制度は廃止されることが決まった。先生方は「とりあえずどこでもいいから入れ」と指導していました(笑)。来年からは大変なことになるから、ランクを落としてもいい、今年のうちに入ってしまえ、と。
目下の混乱もそうですが、ルール変更の年に当たってしまう子たちは、本当に気の毒です。
おおた:
2020年の大学入試改革は、その全体像が見えるにつれ、内容は反比例してしぼんでいきました。マンガを描かれる上で困ったのではないでしょうか。
三田:
僕の場合は経験があったので、ある程度予想できました。「変えた体裁」をとらないと世間が納得しないから文科省の役人たちは右往左往しているのだろうな、と。同情的というのはそういう意味です。
おおた:
できない広告営業マンがクライアントから無理なタイアップ企画を受注してしまい、民間業者という名の下請け編集プロダクションに丸投げする、みたいな。(笑)
三田:
おそらくは2010年代に経済界のお偉方が「日本にGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)のような企業が生まれないのは、教育が悪いからだ」とか言い出して、自民党に圧力をかけたのでしょう。財界がうるさいから手直しすることになったけれど、どこをどう変えるかのアイデアはない。仕方がないのでとりあえず記述式を入れて英語も変えようと。大人が自分たちの言い出したことに収拾をつけられず、しわ寄せがすべて受験生たちに行くというのは非常に理不尽です。
とはいえ、僕の時代の一期校・二期校廃止にしても、特別な理由はなかったと思います。そんなものですよね。システムを変えたいというのは政治家の野心ですから。ただ、そこに引きずられてばかりいる行政はだらしない気がします。
「できない子を生まない」ことこそ公教育の目的
おおた:
そのように誰のメリットにもならない改革が今進んでいますが、大学入試改革の今後はどうあるべきとお考えですか。
三田:
今の改革は、教育本来の目的を見失っていると感じますね。産業界はビル・ゲイツやザッカーバーグのような天才型の人材が生まれるような教育にしろと考えているわけですが、僕はそれは逆だと思います。大多数が学ぶ公教育の目的とは本来、できない子をなくすことです。どの子どもも等しく学力が身につく状況をつくるべきであって、天才をつくることが目的ではない。少なくとも公教育においては。
昔から日本には天才がいないと言われますが、若くて優秀な経営者はたくさんいます。なぜ彼らの企業がGAFAにならないかといえば、人々が投資しないからです。個人に10億ドル規模の投資をする人が、アメリカにはごろごろいる。投資環境がアメリカと日本では違うのです。彼らに多額の投資をすれば、きっととてつもない企業に成長するはずですよ。
子どもたちが等しく一定の学力を持っているほうが、国としては絶対に強いのです。「グループ学習」だ「アクティブラーニング」だと思考力を鍛える教育システムに変えていこうとする動きには反対ですね。画一的と言われようが、没個性と言われようが、基礎学力をしっかりつけさせる従来の教育方針を文科省は貫くべきだし、国民に「自分たちは正しいことをしている」とアピールすべきです。
文科省が2000年前後から唱え始めた「生きる力」という言葉も、最近では国際社会で勝ち抜く力であるかのように使われてしまっていますが、それは違う。今回も、もっと毅然とした態度で国民に伝えていれば、ここまでの混乱にはならなかったのではないでしょうか。
おおた:
日本教育の悪しき減点主義的なところが、今回の混乱にも影響してしまっていますね。日本の教育は国際的にも評価が高いのに、細かいマイナス点を気にするあまり、すべてを否定してしまう。
三田:
明治維新から約150年、日本は教育の力で国力を高めてきたのですから、相当うまくいっていると思いますよ。世界的にも小中学生の学力がこれほど高い国は、そうありません。
そしてそれはやはり、できない子を生まない教育だったからです。できる子にもっと投資しろという意見もありますが、できる子は勝手に伸びていくものです。教育は平等が大原則だと思います。
なぜ"天才教育"を一律に導入するのか
高瀬:
全く同感です。日本の教育の強みは全体のベースを底上げしてきたことなのに、その長所を捨てて一部の天才たちしかついていけないような教育を目指しているようにも見えます。
アクティブラーニングの導入自体はよいと思うのですが、それを全国一律のフォーマットにすることに対しては疑問です。公立の学校は、基礎学力をしっかりと身につけさせる場所であってほしいと思います。
親が教育に関心がなかったり、勉強する環境になかったりする子、あるいは勉強に慣れていない子には、思考力を鍛えるために必要なベース自体がありません。( )内を埋めるドリル的な勉強をひたすら泥臭くやり続け、小テストで「できた」経験を積み重ねて自己肯定感を確立することがまずは必要だという子どもたちがいるのも一つの現実だと思うのです。
あくまで基礎学力を大切にした上で、それ以上を望む生徒には発展的な学習を選び取れるようにする、というのがよいと思います。
取材で進学校の生徒さんと話すと、非常にクリエイティブでおもしろい子たちが多い。選抜された生徒たちに対して、それこそアクティブラーニングで思考力を鍛え、天才を育てていくといったように、私学が独自の教育を展開していくことは、素晴らしいと思います。ただ、繰り返しになりますが、その役割をすべての公立の学校が行うことには疑問を感じます。一律に“天才教育”を導入しようとするのは、国際競争力の点で負けられないという焦りがあるからなのでしょうか。
三田:
日本人は「競争」という言葉に弱く、欧米がやっているのならわが国も、となりがちです。産業界は「勝ち組」が増えれば「負け組」を引っ張り上げてくれて、みんなが豊かになれると考えているのでしょうが、それは論理的にありえません。中間層が豊かにならなければ経済は循環せず、国全体が豊かになることはない。金持ちが自分たちの利益だけを守ろうとすると、全体のバランスが崩れて国は必ず滅びる。フランスなどヨーロッパの歴史を見ればわかることです。
おおた:
金持ちやトップ層重視というアベノミクス的手法を教育に当てはめてしまったとも言えますね。できる子は自力で伸びてもらい、大人になったらノブレス・オブリージュを発揮してもらえばいいのに。
三田:
国民全員が無理して大学に行く必要などないのです。行く人は行けばいいし、高校卒業後に就職する人もいたほうが社会のバランスは整う。何事にせよ無理はよくありませんよね。
子どもたちが進む道は一つではない
高瀬:
本当にそうです。みんなが必ずどこそこ以上に入らなきゃ、と定員のあるところに集中するのは無理がありますよね。
それに中学受験というと世間ではいまだに「御三家(男子は開成・麻布・武蔵、女子は桜蔭・女子学院・雙葉)」を目指しているというイメージが強いですが、実は中学受験とは、早いうちに「この子は勉強以外で頑張らせたほうがいいのかも」と気づける機会でもあると思います。高校受験で中断されることなく好きな習い事に打ち込みたいとか、のびのびと生活したいから中高一貫校に入る、という手もあると思うのです。
子どもによって適性は違うし、大学に行くことだけが幸せではない。でも親御さんとしては不安感から、わが子に自分が歩んできたのと同じ道を勧めたくなりますよね。
でも時代って変わるんです。食べていける道はその時々で変わっていく。今の親御さんはユーチューバーになりたいというわが子に頭を抱えるかもしれませんが、親の理解を超えた道がその子の将来を切り開くかもしれません。
その子が幸せに暮らすためにはどうすればいいのかを考えれば、道は一つではない。勉強が得意な子は頑張ればいいし、そうじゃない子は別の道を選んでもいいと思える社会になったらよいなと思います。
おおた:
イノベーションが求められるこれからの時代には、何と何が結びつくかわかりませんよね。多くのことが万遍なくできるよりも、自分にしかできないことを一つ持っていることのほうが、ずっと大きな武器になる可能性がある。
子どもたちは私たちとは違う生存戦略を自ら見つけていかなくてはなりません。一部の上位の子だけでなく、すべての子どもが自分の特性に気づいて伸ばしていくこと。それが公教育の役割として、今後ますます重要になりそうですね。
構成◉高松夕佳
三田紀房(みたのりふさ)
1958年生まれ、岩手県北上市出身。『ドラゴン桜』で2005年第29回講談社漫画賞、平成17年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。
現在「モーニング」にて『ドラゴン桜2』、「ヤングマガジン」にて『アルキメデスの大戦』を連載中。
高瀬志帆(たかせしほ)
1995年デビュー。現在週刊『ビッグコミックスピリッツ』にて連載中の『二月の勝者─絶対合格の教室』がNHKなど各種メディアで反響を呼ぶ。著書に『中学受験をしようかなと思ったら読むマンガ』(日経DUAL)、『おとりよせ王子飯田好実』(同作品は2013年にテレビドラマ化)など。
おおたとしまさ
1973年東京都生まれ。麻布中学校・高等学校卒業、東京外国語大学中退、上智大学外国語学部卒業。リクルート入社。独立後、育児・教育をテーマに活躍。『中学受験「必笑法」』『大学入試改革後の中学受験』など著書多数。
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☆この記事は、中央公論「2月号」に掲載された記事です。note掲載にあたり、一部表記や構成の変更をしております。
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