結婚3ヶ月、夫に内緒で整形してみた話
コンプレックス歴
私にはずっとコンプレックスがあった。
かと言ってそのせいでいじめられたとかフラれたとか特にそういう嫌な思いをしたわけでもない。
ただただ自分の中で勝手に嫌っていて絶対治したいと勝手に思い続けてきた。
そんなことしなくても生きていける。しぬわけじゃないし。
私の悩みは365日ずっと私の悩みであり続けるわけではない。
容姿で勝負しなければいけない環境にいたことがあるわけでもないのでコンプレックスのせいに生きづらさが…という人生ではなく人並みの人生を生きてきた。
ただ、なぜか異常にコンプレックスを治したい時期が数年おきに波のようにやってくるのだ。
初めては思春期真っ只中の中学生のとき。
次に大学生のときで、実際に手術方式を調べてたりした。
そして、てんやわんやな20代は容姿を気にかけることもなく忙しなく時が過ぎ、
いろいろと落ち着いてきた30手前でまた気になり出した。
SNSも普及しているのでリアルな情報収集をし始めたり美容クリニックへカウンセリングに行ったりした。
要するに暇になると気になり出す、程度のコンプレックスだったので人生をかけて美容整形に挑む人とはまた違ったタイプ。
それでも、整形界隈の人の思考はとても共感できる。
人前に出る職業でなくても
不思議に思うかもしれない。
人前に出る職業でもなければ、容姿で生きづらさも感じてきたわけでもない。
ではなぜ大金をかけてまで、リスクを負ってまで美容整形するのか?
私の場合、理由は2つある。
ひとつめは、おしゃれに興味がないから。
特に女性だとメイクやファッションを楽しむ人が多いかもしれないけれど、
幸か不幸かそういったものに興味がない。
服は着れればなんでもいいし、
でかでかとロゴが描かれたバッグや財布を持つ習慣もない。
メイクのニュアンスなどもよくわからない。
そのあたりのセンスや風情に欠けていて、言い方が時代にそぐわないかもしれないけれど、「男っぽい」のだと思う。
私は着脱可能なものを装飾するよりも、替えのきかない自分自身をより良くする方が見た目にこだわるという意味でも効率が良いように思える。
おしゃれを楽しめる感性が乏しい代わりに、そういった思考になってしまっている。
ふたつめは究極に自分のことが好きで大事だから。
自分の容姿が良くないと気分良く生きられないし、自分を満たせていないと他人のことも大事にできない。
かと言って自分の容姿に満足していなくても自分自身のことも周囲のことも幸せにできる人もたくさんいる。
きっと彼らとの違いは、自己愛が強すぎるかどうかかもしれない。
でも、自分のことばかり考えていて容姿に執着しているとは言え他人のことをジャッジすることはなく、厳しい目で見るのは自分自身だけだ。
世の中大事なのは見た目じゃなく中身だと心から思っている。
それでも自分の容姿を大金をかけリスクを追ってまで改善しようとするのはやはり自分がいちばん可愛いからなんだと思う。
誰に評価されるわけでもない生活を送っていてもただただ自分自身のために、自分を好きになるためなら健康体にメスを入れることも厭わないのだ。
美容好きでは、多分ない
友達にはスキンケア知識や習慣について驚かれることがある。
でも、SNSでよく目にする美容系インフルエンサーの人たちを見ていて
自分も同じように普通よりもこだわりや執着があるのになぜ同志だと感じられないのだろう?
という疑問がある日解消された。
私にとっての美容は「プラスを得るもの」ではなく「マイナスをなるべく減らす」ことだったのだ。
キレイになるために音符マークをつけて楽しむものではなく、普通にたどり着けるようにただ淡々とこななさければいけないものなのだ。
私が美容という大きな括りの中で関心が高いものはスキンケアと輪郭(イメージしやすく言うとフェイスライン)に関するものだけ。
両者とも自分にとっては大きなコンプレックスだからだ。
そのコンプレックスが大きいあまりに、最新コスメも来季のコレクションもネイルも髪のツヤもまつ毛の長さも鼻の高さも脚の細さも体重も微塵も関心がなく楽しむことができない。
私に知識や関心が多くあっても、美容好きや美容オタクと名乗れない理由がここにあった。
平和すぎる悩み
世界情勢を見ていると、日々生死の境目をぎりぎりで生きている人や、まるで社会に見捨てられたような状況で息も絶え絶えになっている人がたくさんいる。
一方で同じ球体の遠い遠い延長線上にあるこの国では私のような人がいっぱいいる。
幼い頃はこの丸い地球がひとつの世界だなんて思っていた。
ただ無数の世界がひとつの地球にバラバラにぷかぷかと浮かべられているだけだった。
五体満足で家族との関係も良好、食べ物に飢える予定もない私の悩みは、
誰も気づいていないような頬の毛穴や赤みだったり、顔面のたった数ミリの微調整がどうのこうのというもの。
SNSで界隈の人や美容クリニックの投稿を延々と見続けてあーでもないこーでもないとひとり会議したのちに、ふとニュースを見ると文字通り「別世界」に生きる数えきれない人たちが地獄みたいなところで必死に息をしていたりしている。
私のささやかでくだらない願いも地球の裏側では夢のまた夢ようなことだったりする。
でも自分の苦しみは自分だけのものなはずだ。きっとそのはずだ。
顕微鏡で自分の細胞内を観察しつづけたのちに、いっきに世界の裏側まで世界の裏側までズームアウトする。
虚無に陥ってしばらくしてするとまた自分や半径3メートルほどまでズームインする。鏡とにらめっこする。
ピントを変えるごとになんだか何かが疲れるのを感じる。
虚しくなるけれど、このぬるりとした繰り返しが生ぬるいこの国で生きる私の人生なんだと思う。
夫にカミングアウト
有象無象の情報の中で信頼できるクリニックとドクターを見つけたから不安はあまりなかった。
けれど、人の手による医療行為。
失敗が0なんてことはないく、死ぬ人だっている。
私には守るものがあるけれど、それでも死ぬ可能性がゼロじゃないことを自らやった。
守るものがあるからやめておくこともできたけれど、そうはしなかった。
大丈夫だろうとは思っていたけれど、本当に大事に至ったことを思うと私は無責任な人間だと思った。そこまでして、私はやっぱり自分がいちばんなのか。
日帰りのオペだった。
術後は麻酔の影響で少しフラフラとしたし、患部は包帯でぐるぐる巻きになっていたけれど、幸い服を着ると露出しない場所だったおかげでバレずに済んだ。
このまま黙っていてもきっとバレないけれど、隠し事をしながら一緒に過ごすのは得意ではなかった。そして彼が寛容なことも知っている。
「実は昨日整形してきました!どこでしょーか」
目、鼻、口、眉毛(?)
回答はいじっていない場所ばかりだった。
正解を言うと「あ、ほんとだ!!」と。
頬のこけた部分に自分の腹部から採取した脂肪を移植した。
私はよくニコニコしているのはこのこけた部分を人前にいる時は埋めておくためって理由もある。
こんなに近くで見てもバレない程度の変化だけれど、自分としては10代から抱えていたコンプレックスを解消できたので激変したと思っているし大満足だった。
成功して本当によかった。
これで今まではできなかった髪型やメイク、服装もできそうだ。
人生で初めての整形。
人はメイク自分をより良く見せられるけれど、私はこの顔に何を施しても何にもならないと思っていた。
顔自体を変えることが自分にとってのメイクだった。
贅沢な悩み?
今の時代(人によっては)整形してても驚かないし特別なことでもないと思っているから隠したりするつもりもない。
健康上問題がないけれど見た目を良くしたくて身体にメスを入れるというなんともあまりに平和ボケした話に聞こえるかもしれない。
だけれど、どういうわけか実際にこの国では見た目が生死に関わってくる人も大勢いる。
一方で、容姿が生きづらさや収入にそこまで関わらなくても美容整形をする私のような人もいる。
国の治安、医療技術の発達、生活レベルの向上、SNSの普及、ルッキズム。
いろんな要因で美容整形をするのが特別なことでなくなった。
ここ数十年で時代はこんなに変わるものなのかと驚かされる。
美容整形をした私でも人間本当に大事なのは見た目ではなく中身だと思う。
でも、社会を生き抜くために容姿が思っているよりも重要になることがあるのも事実。
目的は綺麗になることではなく幸せ生きることだということ、
情報に溢れた今、間違った知識や思想に飲み込まれてはいけないということを心に留めておきたい。
きっと最初で最後の美容整形だけれど、アンチエイジングとしても肌質改善などのお手軽な美容医療はこれからも大好きな自分のために続けていく。
(マニアックな話。ヒアルロン酸でもよかったんだけど、数ヶ月〜1年後とかに吸収されて元に戻るのとかまた入れ直さなきゃいけないのが嫌で自分の脂肪にしました。痩せない限り半永久的に定着するらしいのと、腕の良い信頼できるところを見つけたから脂肪注入にしました。けど脂肪吸引は美容整形の中でもリスク大きめ。ヒアルロン酸にも場合によっては定着しやすいし気に入らなかったら溶かせる、施術に時間かからないなどメリットもたくさん!)
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