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ロマンチックコメディ! 飼い猫はエジプトの女神さま? 波津彬子『女神さまと私』

 彼岸と此岸が触れ合う美しく儚い世界を描くのを得意としてきた作者の、もう一つの魅力であるコミカルな側面をクローズアップした作品が本作です。大学の考古学研究室を舞台に、思わぬ形で女神バステトの加護を得た美女と周囲の人々が騒動を繰り広げる姿が、コミカルかつキュートに描かれます。

 富豪の家に生まれた美人ながら、婚約者がとんでもない下心の男だと分かり、破談となったイーディス。自分は世間知らずだったと反省した彼女は、祖父が寄贈し、兄が研究を行っている大学のエジプト研究棟で資料整理の仕事を始めるのでした。
 しかし、子供の頃に祖父に何度もエジプトに連れて行かれたためか、イーディス自身は大の考古学嫌い・エジプト嫌い。研究室で知り合った洒脱な青年・グレイ教授ともギクシャクが続きます。

 そんな中、研究棟ではイーディスやグレイをはじめとする人々が妖しげな幻覚を見る羽目になったり、彼女自身も奇妙な夢を何度も見たりと、不思議な出来事が続きます。
 実は少し前にイーディスが引き取った子猫・ライラこそ、古代エジプトはブバスティスの女神バステトの化身。巫女と見込んだイーディスのために結婚を破談に追い込んだのも彼女の仕業だったのです。

 以降もイーディスのため、そして自分が力を取り戻すため、様々な行動に出るライラですが、そのたびに騒動が起きる羽目に……


 古代エジプトの女神の加護を受けた美女――といえば、非常にロマンチックな響きがあります。しかし本作のメインカラーはコメディ、それもドタバタの度合いが強いというのが非常にユニークなところです。

 何しろ、主人公であるイーディスともかく、彼女の周囲はユニークな人間揃い。彼女の兄のマーカスは祖父の影響をもろに受けたエジプト狂で浮世離れした青年。イケメンの(波津作品のメインを張りそうな顔立ちの)グレイ教授も基本はエジプト狂で、冗談好きな性格が状況を悪化させがち。そしてグレイの学友のマグダカートは、ミイラを科学的に分析しようとする一見理知的な超美人ながら、オシリス似の男性が好みで、ミイラに似ていない男は眼中にないという、実は作中一の危険人物だったり……

 そもそも陰の(?)主役たるライラからして、女神バステトの化身という字面からは程遠い、けそけそのミイラ似の貧相な猫なのですから、一筋縄ではいきません(それでも何となく可愛く見えてしまうのは、猫好きの作者ならではでしょうか)。

 そんな変人・変神たちに、唯一のツッコミ役であるイーディスが散々翻弄される姿が何とも気の毒かつ可笑しい。作者の作品は元々、時折クスリとさせられるようなコミカルなシーンがフッと挿入されることがありますが、本作はその度合いが非常に高い、何とも楽しい作品です。

 しかし本作はそんな中で、同時にイーディスの変化を描いていくことになります。
 先に述べた通り、大の考古学嫌いだったイーディス。そんな彼女の態度は、当然ながらというべきか、考古学に携わる人々に対しても向けられていました。しかし、そんな人々と触れ合ううちに、そしてライラのおかげで不思議な事件に巻き込まれるうちに、そんな彼女の内面にも少しずつ変化が生まれていくのです。
(そしてそれは同時に、グレイ教授への気持ちに素直になるということでもあるのですが……)

 それはあくまでもほんの少しの変化ではあります。しかし物語の結末で彼女が選択した道は、以前の彼女であれば考えられないものであったはずです。
 冒頭では世間知らずで、財産目当ての男に騙されていた彼女が、奇妙な世界とはいえ、外の世界に触れるうちに、他者のことを受け入れ、理解するようになっていく――本作はそんな物語でもあります。

 とはいえ、結末がちょっと早いように感じられるのも確かで、もう少し彼女の、彼女とグレイの関係のその先を見たかった――という気持ちはあるのですが、しかしそれは野暮というものかもしれません。
 何しろ、彼女には女神の加護がついているのですから。そんな彼女の未来が順風満帆でないはずは――いや、ちょっと不安かな……


 ちなみに本作、作中で「最近『ミイラ再生』っていうハリウッド映画が作られたよね」というセリフがあることを考えると、1932年頃の物語と考えてよいでしょう(グレイの過去話で、ツタンカーメンの呪いがほぼリアルタイムで語られていることもあり)。
 つまり、エジプトという土地が、好奇心と幾ばくかの恐怖を持って語られていた時代――そんな背景も頭に入れておくと、より楽しめるかと思います。


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