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『るろうに剣心 明治剣客浪漫譚』 第三十九話「生と死の間で」/第四十話「十本刀集結」

 ついに比古清十郎から奥義を伝授されることになった剣心。しかし教えられた「九頭龍閃」は、奥義「天翔龍閃」の前段階に過ぎなかった。奥義を身につけられなければ死あるのみ。既に死を覚悟した剣心に対して、清十郎が語る言葉は……。一方、志々雄真実の下にはついに十本刀が集結、志々雄は京都大火を宣言する……

前回・前々回の紹介記事はこちら。

 今回も二話まとめて紹介の『るろうに剣心』第二期。内容的には今回も原作ほぼそのままでしたが、細部に光るものがありました。


第三十九話「生と死の間で」

 まず第三十九話は、ここのところちょっと出番がなかった飛天御剣流師弟が出ずっぱりとなっての特訓&過去回。剣心と清十郎の出会い――つまり剣心が剣客の道を歩み始めた発端が描かれますが、ここで師弟の絆――というより清十郎の想い入れ的なものが印象に残りました。
原作初読の時は特に意識しませんでしたが、剣心と出会った時点の清十郎のモノローグを聞いていると、彼の疲れや諦念といったものがあるように感じられます。超人的な剣技を持ちながらも、時代の巨大なうねりの前には、目の前のほんの僅かの人間しか救えない。そんなジレンマを感じていたであろう清十郎にとって、親しい人間の仇であっても死ねば弔う心を持つ剣心の存在は、一つの救いになったのでは――というのは、ちょっと考えすぎかもしれません。
 それでも、小屋の中で酒を飲みながら、外で剣心が薪を割る音を聞いただけで、不足を指摘してみせる清十郎の姿(ここはアニメオリジナル)からは、剣心との深い絆というものが感じられるではありませんか。

 そしてメインである奥義伝授シーンですが、九頭龍閃の描写はアニメだとこうなるのね、という感じではあります。確かに八箇所を斬る+突きという技の性質から考えると、突進要素が強く出ているアニメの方が正しいのかもしれませんが、どう見ても飛び道具九回撃ってる原作の方も捨てがたいなあ、という気もします。
(というか、アニメの描写だと二十七頭龍閃はどういう斬り方になるのでしょう)
 逆に「天翔龍閃」(みたいなもの)は、アニメの方が「一閃」という感じがありましたが――いや、あれそういう技でしたっけ?

 それはさておき、生と死の間で生きようとする意思で一歩を踏み出した剣心の姿に、口元で笑みを見せる清十郎(これもオリジナル)の姿には、やはり師匠なのだな、と再確認させられるのです。

第四十話「十本刀集結」

 やりすぎちゃってオロオロする剣心はさておき、この回のメインはタイトル通りに十本刀の集結。といっても色々な媒体で見すぎてしまって、なんかもうみんなお馴染みの皆さんという気もしますが、新しく声がついてみるとやはり新鮮ではあります。
(特に才槌と鎌足は声優さんの力を感じます)
 しかしその後の劇中での扱いを見ると、あの場面で才槌と蝙也が戦ったらどういうことになったのか、すごく気になるのですが……

 もちろん、今回も内容は原作通りなのですが、色々とオリジナルの描写が追加されているのも楽しいところで、鎌足が「あいつ(張)と組んで戦ったら楽できたのになあ」と言うくだりは、後々の北海道編を思えばニヤリとさせられるところでしょう。
(まあ君たち、自分を上回る悪党に大苦戦してるけどな)
 また、不二のデカさに驚いていた志々雄配下の皆さんにも、色々と思うところはあるのだなあ――と思わされます。いやまあ、この人たちも命じられたら新月村みたいなことするんですが。

 また葵屋の方では、原作では居ない人だった恵が、うまい感じで薫と操を繋いでいて――と、重箱の角を突くのもこのくらいにしておきましょう。

 しかしこの回のラスト、清十郎と剣心が初めて出会った場面で地面に書かれた「剣心」の文字(しつこいですがこれもオリジナル)を見ると、やはり「心」あってこその剣心なのよな、と改めて感じさせられるのです。

 にしても十本刀集結シーン、張がいないからとはいえ、由美さんが途中に出てくるので、十本刀の一員と勘違いする方が出るのでは……
(まさか30年前と同じような疑いがまたかけられるとは)

前回・前々回の紹介記事はこちら。


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