白川紺子『花菱夫妻の退魔帖』 華族から家族へ、「歪み」を乗り越える二人
既に続編が刊行されたのに今ごろで恐縮ですが、大正時代を舞台に、幽霊を見る力を持つ侯爵令嬢・鈴子と、彼女に求婚してきた男爵・孝冬の二人が、華族と幽霊にまつわる奇怪な事件に挑む連作シリーズの第一弾であります。ある日、鈴子が目撃した幽霊を食う幽霊。その正体とは……
瀧川侯爵の令嬢ながら、故あって浅草で生まれ育ち、怪談蒐集を趣味としている鈴子。ある日、怪奇現象に悩まされているという室辻子爵夫人の話を聞いていた鈴子は、そこで夫人の人工宝石の指輪に執着を示す芸妓の幽霊を目撃するのですが――しかしその直後、十二単をまとった謎の幽霊が現れ、芸妓の幽霊を呑み込んでしまったではありませんか。
十二単の幽霊を連れていたのは、神職華族であり、現在は香水商としても知られる花菱男爵家の当主・孝冬――そして鈴子が十二単の幽霊を見たことを知った孝冬は、出会ったばかりにもかかわらず、鈴子に求婚してくるのでした。
慇懃無礼で捉えどころのない孝冬を薄気味悪く思い、反発するものの、彼女のある過去を持ち出され、婚約を余儀なくされた鈴子。婚礼の準備が進む中、芸妓の幽霊の正体が気になった鈴子はその正体を追うのですが、行く先々で孝冬につきまとわれ……
ライトノベルやヤングアダルトのジャンルで最近しばしば目にする大正時代を舞台とした作品、そしてこれまた人気の題材である、わけあり結婚もの(と呼んでよいのかしら)である本作。つまりは、大正時代の華族の令嬢が、よくわからないままに意に染まぬ結婚を強いられたと思えば、相手にはとんでもない理由が――というシチュエーションですが、その「とんでもない理由」というのが、本当にとんでもない作品であります。
淡路島で、伊弉諾尊を祀ってきたという、まことに由緒ある花菱家。しかしある時代の花菱家の巫女が怨霊――淡路の君と化し、以来、花菱家の者は、彼女の食事として、他の霊を与えるという役目を背負っているというのです。そしてそんな花菱家の花嫁となるのは、淡路の君に気に入られた娘であり――それが今度は鈴子だったのです。
しかし鈴子の方も実は訳ありです。瀧川侯爵の女中であった母親に浅草で育てられた鈴子は、生まれついて幽霊を見る力を持つ力の持ち主。それを活かして千里眼の少女として食っていた過去を持つ鈴子ですが、ある事件が原因で浅草を離れた彼女は、瀧川家で暮らしながら、事件の真相を追っていたのです。
というわけで本作は、それぞれにわけあり曰く付きの二人が出会う幽霊絡みの物語、全三話で構成されています。
上に述べた芸妓の幽霊を追った鈴子と孝冬が、彼女が指輪に執着する理由を知る「虚飾のエメラダ」
孝冬の縁で、かつて街で殺された金山寺味噌売りの幽霊と出会った鈴子が、彼にまつわる悲しみの連鎖を目撃する「花嫁簪」
孝冬の別荘の近くの屋敷で不審死を遂げた子爵夫人が幽霊となって出没する理由を二人が追う「魔女の灯火」
いずれのエピソードも、二人が幽霊が出現する理由を解き明かし、幽霊の執着をほどいていくという内容ですが、それはすなわち幽霊にまつわる謎解きということでもあります。事件の内容も個性的であり、一種のホラーミステリとしてもレベルの高い作品といえるでしょう。
しかし本作が描くのは、幽霊にまつわる謎だけではありません。本作が力を入れて描くものは、その幽霊が現れる場であり原因でもある、華族という世界なのですから。
本作で力を入れて描かれる華族たちの優雅な姿。それにはまさに「いいご身分で……」と言いたくなってしまうほどですが、しかし本作が描くのはそれに留まりません。
それは一言で表せば、華族が抱える/生み出す「歪み」。身分に寄りかかった行いの放埒さ、身分に縛られたが故の生き方の不自然さ――そして自分だけでなく、配偶者や子孫をも苦しめるその「歪み」を象徴したものが、本作における幽霊なのであります。
そしてその「歪み」は、鈴子を、さらには孝冬をも苦しめてきたものでもあります。そんな二人が、幽霊を通じて他者の「歪み」と対峙し、そしてその中で互いの抱えた「歪み」に気付く。その先に描かれる二人の姿――初めて互いを理解し、打算や義務でなく求め合い、結ばれる二人の姿には、思わず胸が(頬も)熱くなります。
華族から家族へ、「歪み」を乗り越えてタイトル通りの「夫妻」となった二人。しかし二人が正すべき「歪み」は、そして挑むべき謎はいまだ存在し続けます。そんな二人の向かう先は――続編も必見であります。