![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/171608259/rectangle_large_type_2_60663e43f39d797f9c453df35dbb9c8c.png?width=1200)
じせデジリーダーで岡本綺堂の『水滸伝』を見つけた話
いま、面白いアプリに、国会図書館デジタルコレクションの次世代デジタルライブラリーを検索・閲覧・共有できる「じせデジリーダー」があります。今ではもう読めない本が読めるということで、大好きな「水滸伝」で検索してみたところ、見つかったのが岡本綺堂の戯曲。あの綺堂が水滸伝を!? と思いきや……
じせデジリーダー(Android版)
じせデジリーダー(iOS版)
これが昭和三年に上演された歌舞伎の台本だったのですが、内容的には梁山泊一の暴れん坊・黒旋風李逵を主人公とした三幕もの。
梁山泊に加わった李逵が故郷の母を迎えに行き、自分の偽物に出くわしたり、兄と喧嘩したりと騒動を繰り広げた末、母を連れ出すも、結果として虎四匹と大立ち回りを演じることに。
その挙げ句、役人に捕らえられた李逵を救い出すため、梁山泊から彼を追ってきた朱貴と地元で酒屋を営んでいた弟の朱富が一計を案じて……
というあらすじを見れば水滸伝ファンにはすぐおわかりだと思いますが、この内容は原典の第四十三回「仮李鬼 剪径して単人を劫かし 黒旋風 沂嶺に四虎を殺す」ほぼそのままとなっています。
李逵は水滸伝の原型の一つである雑劇(中国の古典演劇)でも主人公として顔を出している人気キャラですが、私の乏しい知識で知る限りでは、このエピソードを題材としたものはないようです。
そんなわけで思わぬ希少価値がある(?)この戯曲ですが、こうして見ると立ち回りあり、愁嘆場あり、人情噺あり、もちろん笑いありと様々な要素があるのを、李逵という破天荒なキャラによって繋ぎ止められ、一つの物語になっているのは、よく出来ていると感心させられます。
私は綺堂の戯曲については語れるほどの知識はないのですが、原典のいかにも中国古典らしい荒っぽさ――というより粗っぽさを、うまく研ぎ上げているのが印象に残りました。
例えば李逵と兄の李達の描写ですが、無法者の弟と、弟の行動に散々迷惑をかけられてきた良民の兄という関係性自体は原典と変わるものではありません。しかし原典の李達が、李逵の残していった金を見て母と弟を追いかけるのをやめるという、妙にドライなキャラだったのが、こちらでは変わっているのが印象に残ります。
その末に、本作最大の悲劇を超えたところで兄と弟の一種の和解の姿を描いてみせるのは、これはやはり綺堂の筆の力、人間描写の妙によるものではないかと感じます。
(その一方で、本作オリジナルの李逵の妹・秋芳というキャラが登場するのですが、これがほとんど必然性がないキャラで、これは役者に合わせて配置したものかな、と邪推したり……)
ちなみに水滸伝ファン的に見ても楽しいところは色々あって、特に朱富のキャラが印象に残ります。原典では渾名の笑面虎要素はほとんどなかったのですが、本作では登場シーンでにやにやした薄っ気味の悪い男と描写され、なるほどと思ったらそれは序の口。
終盤で李逵救出のために兄弟一芝居打つくだりでは、ほとんど笑い上戸並みにバカ笑いしまくり、さらには白楽天の詩を吟じ始めるという、一体どうした!? と言いたくなるようなキャラ立ちっぷりに驚かされ、大いに愉快になった次第です。
なお原典では、この救出劇のくだりで朱富の師匠の青眼虎李雲が登場するのですが、本作ではオリジナルの曹俊というキャラに変わっており、李雲の出番が省かれているのは、これはまあ仕方のないところでしょう。
そんなわけで、原典をしっかり踏まえつつも、本作ならではの味付けもしっかりなされた本作。今では見る手段も全く無い(そして再演されるとも思えない)幻の舞台ですが、せめて戯曲を読むことができただけでも良かったと、水滸伝ファン・綺堂ファンとしては感じます。
ちなみに演者を見ると、主役の李逵は市川猿之助(この時期であれば二代目でしょう)で、猿之助という名と水滸伝の思わぬ縁を感じてしまった――というのは、もちろんこじつけではあります。
次世代デジタルライブラリーではこちらから
じせデジリーダー(Android版)
じせデジリーダー(iOS版)