美魂MITAMAの原点。
母が亡くなったのは
わたしがまだ大学生の頃で
お葬式だけど
母が習っていた大好きなフラダンスの曲を
かけてあげたくて自分で作ったCDを
斎場でかけてもらったっけ。
お葬式って故人との
お別れの場なのはもちろんなんだけど
わたしが感じてる違和感…
その正体は《一方通行》
生きてる人が
別れや感謝を伝える
一方的な感じ
いや、故人も伝えたいこと
いっぱいあるんじゃないの?
悲しいのはわかるけど
その重たい感じじゃなくて
最後に、みんなの笑った顔見たいって
思ってるんじゃない??
そんなことを
祖母や母を始め
いろんな方の葬儀に
参列する中で感じてた
わたしのお葬式デビュー?は
確か幼稚園生の時。
祖母のお友達が亡くなって一緒に参列した。
幼心に
「おばあちゃんの友達って
どんな人だったんだろう?」
って思ったのを覚えてる。
だって、手がかりは飾られている遺影
ただ1つだったから。
もっとその人が
どんな人生を歩んだのかを知りたい
親族の言葉じゃなくて
故人、本人の言葉で聴きたい
何を考え
何を感じていたのか
そして
遺された人たちに
何を伝えたいのか
できることなら
紙面上ではなくて
動いている姿で
肉声で
聴きたい
もう一度声が聴きたい
生きて動いている姿を見たい
棺桶の中で
静かに横たわる姿じゃなくて
肉体を抜ける前の
動いている姿を見たい
もう一度
もう一度だけ
声を聴かせて
どんな人生だった?
幸せだった?
伝え忘れたことはない?
自分の言葉で
遺したいことはない?
一歳の雛祭り 母と
今でこそ終活という
言葉があるけれど
生きているうちから
自分の死について
考えることって
不謹慎でもなんでもなくて
死を考えることが
生きることそのもの
だと思うから
だから、生きているうちから
準備をしていい
むしろ、そうすることで
より自分の命と向き合える
そう思ってるんだ。
寿命は人それぞれ違うけど
「死」は全員平等に
与えられたこと
誰にでも訪れる
死という瞬間
それなのに
不思議と
自分だけは死なない
と思っている人が多い
不死身じゃないよ?
生まれた時から
死に向かって
生きてるんだよ
余命宣告を受けてから
自分を省みる人もいる
それも、また生き方
だけどさ
せっかく今
この瞬間
元気に生きているのなら
命があるのなら
なんとなく
惰性で過ごすのは
今この瞬間
終わりにしない?
と、言っても
すぐにスイッチが
切り替わる人は
少ないよね
だって
自分は死なない
まだまだ先
って思ってるから
だから、わたしは
自分の生まれた日に
お葬式をやることに決めたんだ。
(実は、決めてたのは2年前の2019年)
誕生日が
いのちの誕生を祝う日
ならば
いのちの終わりを考える日
であってもいい。
死を通して
自分のいのちと向き合う
魂の時間
一方通行ではない
魂が通い合う時間
そんなお葬式を創りたい。
それが
美魂MITAMAセレモニーの原点。
KAMUI
SATOKO
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