母が亡くなったのは わたしがまだ大学生の頃で お葬式だけど 母が習っていた大好きなフラダンスの曲を かけてあげたくて自分で作ったCDを 斎場でかけてもらったっけ。 お葬式って故人との お別れの場なのはもちろんなんだけど わたしが感じてる違和感… その正体は《一方通行》 生きてる人が 別れや感謝を伝える 一方的な感じ いや、故人も伝えたいこと いっぱいあるんじゃないの? 悲しいのはわかるけど その重たい感じじゃなくて 最後に、みんなの笑った顔
そんなことを 幼い頃から、誰に教わったわけでもないけど 当たり前に思っていた。 悩みごとがあると、お風呂に浸かって 宇宙に想いを馳せる。 その瞬間、「わたし」という存在の周りに 広大無辺の宇宙がパッと現れ、一瞬のうちに包まれる。 自分や悩みが宇宙の中にスーーーっと吸い込まれ 点よりも小さくなっていく。 すると、何に悩んでいたのか忘れてしまうのだ。 どこまでも続く宇宙に圧倒され、安心して しばしその宇宙旅行を楽しむ。 「わたしは宇宙の一部だから大丈夫」 謎にそんな