「お先にどうぞ」のほんとうの姿。
※少し前に書いて、下書きに放置されていたものです。
世の中の不条理を感じ、それに対策を講じる私の姿です。
わたしは平和主義者だ。
と言っても大それたことを論ずる人ではなく、
ただ単にいさかいや争いをできるだけ避けたい人、である。
ネガティブな言い方だと、気が小さいとも言える。
とにかくあまり人とぶつかりたくないし、人を怒らせたくない。
他人に対して直接的に怒るのは滅多になく、家族に愚痴るか1人の時にブチブチとごちる。
典型的なのは公共の道路。
車の運転が荒い・ルールを守らない・自分優位主義な運転者がいる。
わたしはほぼ毎日運転するから、そんな場面に頻繁に出くわす。
とくに嫌だなぁと思うのは、ウィンカーを出さずに車線変更することと、狭い道をすれ違う時にスピードも落とさずに向かってくること。
どちらも取り敢えず、危ないんですよ。
そして、どちらも自分本位。
要は「周りが退けよ」という身勝手さを感じるのだ。
そんな時、気が小さいわたしは安全を優先して譲る。ブレーキをかける。
だって、事故りたくないし死にたくないもん。
「お先にどうぞ」です。
でもその真意は「譲ってあげる」。
「わたしが譲ってあげてるから、あなた方は事故しないで済んでるんですよ」
という皮肉です。
ネコ被り?腹黒い?偽善者?
こんな裏腹な性格は、自分でも長所なのか短所なのか分からないけど、
でも分かるのは、こういう「お先にどうぞ」があるから、日本はある程度治安が良いということ。
「お先にどうぞ」をいつもいつも良心だけで行うことができたらどれだけステキな世の中だろう。
実際は心の内で舌打ちしながら譲っている人・我慢している人がいるだろう。
日本人は単純に譲り合い精神があるのではなく、他人に対する厳しさが裏にあると、すこし前のニュースで聞いた。
わたしだってそう。
ただの平和主義者で、マナーが悪いことに対する正義感を抑えているだけだと気づいた。
運転マナーに特に厳しい人間だ。
でも、でもね。
わたしも大抵ルーズで気が短くなるところがあるし、人を不快にさせたことはないとはとても言えない。
人の運転に難癖つけていても、わたし自身だって慌てたり急いでいる時には落ち着きない運転をしているだろう。
運転シーンだけでなく、わたしが放った言葉で今まで傷ついた人がいただろう。
子供たちはきっとこんな母親に傷ついてきている。
だから近頃は「人の振り見て我が振り直せ」を唱えるようにしている。
怒りを覚える相手がいたとして、
「自分はどうなの?」と「自分はそれを言える立場なのか」と問うと、怒りは少しでもとどまるような気がするのだ。
わたしがいい気にならないようにして、
でも自分の裏腹な性格を常に自己チェックをしているんだよという虚勢とアピールをしつつ。
「お先にどうぞ」は、引き続きそんな心の揺れで行っています。
_終わり