amazarashiライブ『新言語秩序』、秋田ひろむの表現装置の凄まじさに感動した話(前編)
2018年11月16日、初の武道館ライブを行う一人のアーティストがいた。amazarashi、秋田ひろむ。私の敬愛するアーティストの一人であり、現在進行系で私の好みにビシバシ刺さり続けている人物だ。
彼のライブに参加するのは私はその日が初めてだった、どころかアーティストのライブに参戦すること自体ほとんど初めてに近かった。そのためライブ当日、友人と二人でライブ会場に向かった私はかなり浮足立っていた。
そして同日19:00、ライブが始まる。ここでは詳しいライブレポートは書かない。おそらく、かなり読みやすいライブレポートが有名音楽サイトに出ていた、ライブの様子を詳細に知りたい人はそちらを読めばいい。
ここでは私が”amazarashiのライブ"に関してもっていた、大きな認識違いのことを記したいと思う。
amazarashiのこれまでのテーマを背負った『新言語秩序』
このページに来ている人はおそらくamazarashi、そして『新言語秩序』についてすでに知っている人が大多数かもしれない。一応簡潔に概略を紹介する。『新言語秩序』とはamazarashiというバンドにおける初の武道館公演、そのライブの名称である。正式には『朗読演奏実験空間 新言語秩序 ―New logos order』とされている。
この『新言語秩序』では、公演に先立ってアプリ「新言語秩序」が配信され、ライブの内容と連動するコンテンツが配信されていた。コンセプトアートとボーカル秋田ひろむ執筆の物語の2つである。
その物語の中では”言葉のディストピア”社会が描かれていた。より望ましいとされる言葉「テンプレート言語」が規定された社会で、その社会を守ろうとする自警団・新言語秩序と、「言葉を取り戻せ」という旗印のもとで言語のテンプレート化に抵抗を続ける活動家。
これが現在の社会を揶揄する意図があるだろうということは、なんとなく想像がつく。ポリティカル・コレクトネスやネット言論空間乗の衆人監視のような状況が強まる中で、このテーマに私はかなり共感できた。もちろん抵抗する側として。
ともかくそんなストーリーが先にあって、そのストーリーをもとにセットリストが構成されていた。選ばれた曲はデビューまもないシングルから前回ツアーのアルバム「地方都市のメメントモリ」、最新アルバム「リビングデッド」まで。全17曲。
一見(というか本来)ばらばらの方向を向いていたはずのこれまでのamazarashiの曲たちが、「言葉を取り戻せ」という一つの言葉で語り直された。既存の馴染み深いそれらが一つの方向に集約されていく姿は、見ていて壮観だった。
そう、このライブは今までの曲が実はずっと同じことを語っていた、同じメッセージをずっと秋田さんは発していたんだということを再認識させる意図があった。これまでamazarashiがずっと言っていたこと、「言葉」「言葉のあり方」「語ること」。それらすべてを一ライブに懸けた、それがライブ、『新言語秩序』だった。
アプリ「新言語秩序」の裏切りと観客の道具化
アプリ「新言語秩序」は、ライブで”検閲解除(amazarashiの歌詞は暗い言葉や死にまつわる過激な言葉も多く検閲対象だった。よってライブ内で流れるmvは検閲されてしまう。これをライブ参加者がスマホ画面からコードを送信することで解除するという試みの演出だ)”を通して、ライブ参加者がライブに参加できる、という触れ込みで配信されていた。
しかしこれは嘘だ。いや正確には嘘ではないのだが、それは”過程”であって、ライブ企画者の求める”結果”は全く別のところにあった。
ライブが始まる前、”検閲解除”についての説明が会場内アナウンスで行われた。やり方は簡単。スマホをステージにかざして、”検閲解除”を押し続ける。これによってmvの検閲(伏せ字など)が解除される。そのような説明だった。
ライブが始まる前、一体どのような仕組みを想定しているのだろうと本当に不思議だった。参加者全員の送信情報を集めるのか?通信方法は?武道館全体にWi-Fiでも走らせるのか?良くはわからないが、とても複雑で巨大なシステムが必要な気がする。
しかしライブが始まって、一度目の”検閲解除”が来た。私は自分のスマホを秋田さんのステージにかざし、”検閲解除”を押す。どうやら”検閲解除”のタイミングはすべての人に一斉に来るようで(ずっとスマホを見ている必要はなく、その有無はバイブでわかる)、隣の友人もとなりの知らないお兄さんも、前の席の人も会場内の全員が一斉にスマホをステージに向けた。
その瞬間、私は「しまった、裏切られた」と思った。やられた、変に胸がすっとするほど衝撃だった。
アプリ「新言語秩序」は事前にライブ時の自分の席情報(西B-94など)とカメラのアクセス権限が求められていた。それがとても謎だった。てっきりスマホ越しにステージを見て、そのスマホの中で規制が解除されるものだと思っていた。しかし違った。前述の事も含め、すべて得心がいった。
その瞬間、武道館全てのスマホのカメラのフラッシュが光りだしたのだ。
やられた。新言語秩序のライブ運営側は決して私達にライブに参加してもらって、楽しんでもらおう!というところが第一義ではなかったのだ。それはあくまで結果のための手段だ。やられた。いくら武道館と言っても設置できる照明の数には限りがある。観客がいるのだから。しかしその瞬間、秋田さん含むライブ側はそこにいる観客のカメラを手に入れた。すべてのカメラにはフラッシュ機能がついている。ずるい。そう、ライブ『新言語秩序』はその瞬間、のべ一万数千もの自由に扱うことのできる照明を手に入れたのだ。
一斉に会場内すべてのスマホが光りだした。カメラの権限はアプリ「新言語秩序」に付与されているため、いつどのように点滅させようと自由だ。そして席情報の入力はそのためだった。アリーナから3階席まで、どこの照明を光らせようと自由にするため。
考えてみれば、これだけ多くの人間が一つの共通したデバイスを持っていることはそうない。スマートフォンがこれだけ普及した、この時代でなければ。DSiやガラケーではまずできなかっただろう。
会場のすべてのフラッシュが焚かれた瞬間、私のライブ前の謎が一気に解決して胸がすっとした。秋田ひろむは私達をライブに参加させるどころか、私達をライブの演出、舞台装置の一つにした。あまりに衝撃だった。
※記事内の写真はアプリ「新言語秩序」からの引用です。
大変長くなってしまったため、記事を分割しました。
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三鷹