【社会】「こっち側」の生きづらさを図で考えてみた
日テレ『おかえり、こっち側の集い』が終了してしまった
春の番組改変期で、日テレの『午前0時の森 おかえり、こっち側の集い』が終了してしまった。
『おかえり、こっち側の集い』は、キラキラした芸能界で活動しているにも関わらず、実は『こっち側』の人間であることをゲストの芸能人が告白し、悲しくも笑えるエピソードとともに語り合うトーク番組であった。
MCは、オードリーの若林正添と日本テレビアナウンサーの水卜麻美で、2人とも『こっち側』の人間であることを自認している。番組でも語っていたが、2人は長い付き合いがあるそうで、気心知れた者同士の緊張感のないほんわかした語らいも観ていて楽しかった。
若林の場合は、実は『こっち側』の人間だと言われても、「あーなるほど」と頷ける部分もあったが、いつも元気なイメージの水卜アナが『こっち側』というのは、ちょっと意外でもありつつ、若林相手に素でしゃべる姿を見たら妙な納得感もあった。
毎回、「うん。うん。わかる。わかるよ。」とうなずきながら、時に笑いながらも、ほっこりと楽しく観させてもらっていた番組なので、まだ誰にも言えていないが、実は今ちょっとした『こっち側の集い』ロスに陥っていたりもする自分であった。
番組では、世の中の人間を『あっち側』と『こっち側』の2つに分類して語っていた。
むろん、世の中は単純な二元論で語れるほど単純にはできていないが、あえて、世の中の人間を『あっち側』と『こっち側』の2つに分類することによって、見えてくることがあるのも事実だ。
番組では、『こっち側』の視点での生きづらさが笑いを交えながら語られていたが、『こっち側』が『あっち側』と比べて、生きづらさを感じやすいのには、わけがあると思う。
この記事では、『こっち側』の生きづらさの要因について考えてみたい。
『あっち側』と『こっち側』の違い
『あっち側』とは、何であろうか?
『あっち側』を表すキーワードを並べると、以下のようになるだろう。
アグレッシブ
ポジティブ
タフ
押しが強い
ノリがいい
陽キャ
人に厳しい
コミュ力無双
にぎやか
大胆
対して、『こっち側』を表すキーワードを並べると、以下のようになる。
パッシブ
ネガティブ
ナイーブ
押しが弱い
ノリが悪い
陰キャ
人に優しい
コミュ障
おとなしい
慎重
要するに、『こっち側』から見た『あっち側』の人間は、グイグイ来る人を意味しており、逆に、『あっち側』から見た『こっち側』の人間は、ノリの悪い人を意味している。
ノリの悪い人は、「つまんねえ奴だ」と思うだけで人畜無害である。無視するだけで関わらなくてもよい。
それに対して、グイグイ来る人は厄介だ。無視しようにも相手の方からお構いなしにグイグイ来るから、逃げるわけにもいかない。そして、うまく対応できない結果、ストレスを感じるのだ。
言葉は悪いが、グイグイ来る人はストレッサーとも言える。
その結果、世の中は『あっち側』の人間には生きやすく、『こっち側』の人間には生きづらく感じられるのだ。
図で考えてみる
しかし、先に書いたように、実際の世の中は、『あっち側』と『こっち側』の二元論で語れるほど単純ではない。
『あっち側』や『こっち側』の程度にもグラデーションがあると思うのだ。
つまり、比較的軽度の『あっち側』や『こっち側』から、けっこう重度の『あっち側』や『こっち側』まで、この世には様々な人間が存在する。
厳密な数値化は難しいが、ここでは、『アグレッシブ度』という尺度を導入してみる。
と定義する。
この定義によれば、『あっち側』の人間は『アグレッシブ度』が高い人間であり、『こっち側』の人間は『アグレッシブ度』が低い人間ということになる。
これを図に表してみる。
図の横軸が『アグレッシブ度』を、縦軸が人数の分布を示している。
グラフは左右対称のベル型をしており、平均的な『アグレッシブ度』:Bの人数が最も多い。そして、Bから左右に離れるに従い、人数も減っていく。
平均のBより『アグレッシブ度』が高い人が『あっち側』の人間であり、低い人が『こっち側』の人間ということになる。
グラフのベル型関数は、正規分布関数であり、ここでは厳密な数値化はしていないが、多くの方の実体験でも、こんな分布のイメージではないだろうか。
次に、なぜ世の中は、『こっち側』の人間には生きづらく感じられるのかを図で考えてみる。
ここでは、『アグレッシブ度』が異なる3人の人物を想定する。
A:『アグレッシブ度』が低い人=『こっち側』
B:『アグレッシブ度』が平均の人=中間
C:『アグレッシブ度』が高い人=『あっち側』
人間は、自分より『アグレッシブ度』が高い人からストレスを感じ、『アグレッシブ度』が低い人からはストレスを感じないと仮定すると、各属性の人物の感じるストレス量(グイグイ来る人の人数)は、下記色付け部分の面積に相当する。
高校で習った数学で表現すると、自分の位置から∞までの範囲で積分した値が、ストレス量になる。
図からわかるとおり、『こっち側』の人物:Aが受けるストレス量は、『あっち側』の人物:Cが受けるストレス量に比べて、圧倒的に大きいのだ!
これこそが、『こっち側』の人間には生きづらく感じられる要因の正体だ。
自分は『どっち側』なのか?
このような評価軸で考えた場合、自分はどこに位置するだろうか?
それを考えた時、ふと思ったことがある。それは、同じ人間でも、場面によって『アグレッシブ度』は変わるのではないかという事実だ。
例えば、漫才でツッコミをしているときの若林は『あっち側』であり、ヒルナンデスやZIPに出演しているときの水卜アナも明らかに『あっち側』である。
しかし、『こっち側の集い』に出演しているときの彼らは、まごうことなき『こっち側』であった。
自分の場合でも、『こっち側の集い』を観ながら「うん。うん。わかる。わかるよ。」と頷いているような人間だから、『こっち側』だと思っているが、仕事をバリバリこなしていた頃の自分は、もっと『アグレッシブ度』を上げていたかもしれない。
中間管理職を経験した方には理解されると思うが、仕事というものはある程度アグレッシブに攻めていかないと回らない側面がある。
立場上、人前で偉そうなことを喋らなければならないこともあったし、関係部門との折衝でも、協力関係は築きつつも舐められたらアカンという基本スタンスは必須であった。
そのため、仕事中の自分は、受け止め方によっては、『あっち側』であったようにも思う。
結局のところ、行動心理学よろしく、人間は場面や立場によって、キャラを使い分けている存在なのだ。
同じ人間でも、場面によって『アグレッシブ度』は変わるのだとすれば、たとえ『こっち側』を自認する自分であったとしても、知らないところで、誰かのストレッサーになってしまっている可能性があることになる。
そのことに思い至ることが、『こっち側』の人間が生きやすい優しい世界実現への第一歩なのかもしれない。
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