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カメイ美術館 の蝶標本




私は年に1~2回
用事で仙台に通っているが
せっかくなので小旅行と称し
あちこち回るようにしている

そんな中でなんとなく気になっていた
カメイ美術館に今年3月訪れる事ができた


カメイは仙台を地元とする
一部上場の総合商社で
創業100年を超える

この創業者のこけしだの絵画だのの
コレクションが社会振興事業と称して
財団名義で保存されているのだが
ここの目玉はまさしく
世界中のありとあらゆる蝶を集めた標本展示だ

この美術館のすごいところは
雌雄一体型の標本や
ホロタイプと呼ばれる
種そのものを判別する基準標本が
(つまり種につき一つしかない)
保管されているところである

雌雄一体型

雌雄型の蝶は左右の模様が違う








ホロタイプ





金持ちの中には時折とてつもない
コレクター魂を持っている人がいるが
この創業者は分かりやすく
蝶のコレクターであり
その趣味が高じて
社会振興事業を立ち上げ
自分の趣味と自己顕示欲を
回覧料300円程度の収益化へと
つなげていったわけである

軽く特筆すべき標本をいくつかあげよう
あくまでも昆虫なのでグロ注意だ

ルビアヌス(異常型)

オーストラリアやパプアニューギニアに近い
ソロモン諸島に生息する絶滅危惧種
ビクトリアトリバネアゲハという種の
亜種(近似種)

発見されたのは20世紀に入ってからだが
この標本は「異常型」と呼ばれ
通常のルビアヌスとは違う紋様を持つ

早い話が「色違いポケモン」である
蝶の標本界におけるマスクドピカチュウ
それがルビアヌスだ

アロッティトリバネアゲハ


前述のビクトリアトリバネアゲハと
アオメガネトリバネアゲハの雑種として
ルビアヌス同様ソロモン諸島に生息する
大型の蝶だ

昆虫界ではわりと多様な種がそれなりに
交雑を繰り返しているらしい

しかし雑種が実際に成虫に至る確率は低い
ひとつには
生殖隔離と呼ばれるメカニズムがある
雑種が成虫になったとき
自身と同じ種ではなく親種との交配となる
確率が高いが、その際の交配行動の違い
生殖器の構造の違い
遺伝子の不一致など、
様々な要因が関与して交配に至らない

そんな中で
雑種として種の枝を保つ事に成功した
アロッティトリバネアゲハは
存在自体が珍しい

特に雌が希少らしく
カメイ美術館を含め
世界に3つしか標本がない



宇宙讃歌


さて、カメイ美術館だが
この蝶の標本展示の最たるものが
写真の通り宇宙賛歌だ

見た感じはどうみても曼荼羅で
ちょっと近づいただけでは
折り紙かなにかで出来ているようだが
この作品はすべて
採取した蝶の羽でできている

宇宙讃歌
宇宙讃歌の説明



人によって感想が分かれるはずだ
素直に美しいと思う人もいれば
やはり生理的に受け付けないという人もいるに違いない

私はここに
人間が避けて通れない現実を見た気がする


蝉の幼虫


昔、GRAVITYを始めたてのとき
ある壮年のアカウントが総叩きにあっていた

そのアカウントは
地面から出ようとしているセミの幼虫を
撮影した動画に対して
コメント欄で非難をしていた
彼は「セミを起こすのは可哀想だ」と
ずっと主張していた

考え方によっては正しい
例えば蛹から羽化しようとしている蝶を
無暗に触れてはいけない
羽化したての柔らかい身体は
触れることで
致命的な傷を与えてしまう事があるからだ

しかし投稿主は既に動画を削除しており
恐らく出てくるセミを助けようとして
枝を添えてはいたが
セミ自体に刺激を与えてはいなかったらしい

よってコメント欄は
賛否両論で大荒れの結果になった
まあ、よくあるGRAVITYの一コマだ

その中で、この壮年アカウントは
あまりにも元動画のアカウントに
粘着してしまったため
ブロックされてしまったらしい
そしてそのことを嘆いて
GRAVITYに投稿した内容が今度は
見つけるに乗って拡散され
賛否両論となるわけだ

私が見たのは、その投稿である



私はそのとき
GRAVITYをはじめたてだったので
見つけるに乗ったこの壮年アカウントに
コメントをした
今ならスルーすると思う

そのアカウントは私にこう言った
「セミをそのままそっとしておいて
やってほしいと思うのは
そんなに間違ったことか」

だから私はこう言った
「善悪で考える事がズレてるのではないか」
「多分、あなたがバッシングを受ける
理由を私は簡単に説明できると思う」

どうやって説明したか
おぼろげだが
思い返す限りで書いてみる




人間は傲慢なのか


人間はどういうわけか、セミの生にも蝶の生にも
簡単に介入できてしまう力を持っていて
そしてどういうわけか、それが許されてしまう

僕たちは一人の赤ん坊の命を奪えば
重罪になるが、蝶の命を奪っても重罪にはならない

目の前にいる虫をみたとき
僕らはそれを
“生理的に気持ち悪いから”
排除する権利を持っていて
それはセミだろうが同じだ

僕らは蝶やセミを見たとき
それを美しいと思う権利もあり
気持ち悪いと思う権利も
両方持っていて

それが生態系のバランスを崩して
人間に害を及ぼすという前提さえ
崩さなければ
どういう風にしてもいい


地域によっては
昆虫を食べるところもあれば
犬や猫を食用とするところもあり
僕らはそのひとつひとつの文化を
狂っているという権利はなにひとつない


だとすれば
恐らく「セミがかわいそうだ」と思う事は
多分、宗教に近い


何を良いと自分で信じているかと
本質的には変わらない
そして宗教は古今東西
あらゆる争いの元になってきた


「あなたは今、異なる宗教の間で
信仰の話をしようとしている
それを押し付けて善悪の話をする限り
永遠に平行線だから
あなたも納得しないし
相手も納得しないし
宗教の話なので、炎上をする
起きているのはそういう事と思う」
私はそういう風に説明をした
そして最後にこう綴じた


「セミをかわいそうだと思った
その感性を恥じることはないと思う
結果はどうあれ、そう感じた事に
正しいも間違いもない
ただ同じくらい、相手の信じる所にも
正しさがあって、この議論はそこが不毛だ
あなたは誰を非難することもなく
これからも昆虫をあなたのやり方で
愛して大切にすればいいし
そこに他人なんか関係ないのではないか」



共感が必要で意見は要らない時代


やがて私は彼にブロックをされた事に気づく
祝 はじめてのブロック、実績解除だ
意見というやつはなんとも取り扱いが難しい
共感こそが重要で
意見というものはSNSで一切需要がないと
このときぼんやり悟った
間違っていたのはどうやら私の方だった



カメイ美術館の話に戻ろう
宇宙賛歌は蝶の種類として100種
羽の数は7000枚使われている

とある長崎のカトリック神父が
一週間かけて制作し
亀井氏に寄贈したものだそうだが

これを7000の蝶の大虐殺と見るか
薄気味悪い昆虫の死骸の塊と見るか
あるいは恐ろしくも美しいアートと見るか
生物学への偉大な貢献と見るか

いろんな考え方があるはずだ

一方で
蝶そのものの短い一生を考えれば
生物学にこの収集された標本が貢献した事で
明らかに前進した学問と理解がある
曖昧に生命の尊さを
抽象的に提唱するよりも遥かに建設的だ

カメイ美術館の壁一面に飾られた
蝶の標本は、孫うことなき
数千の蝶の死体であり
採取という名の虐殺であり
それを飾ってしげしげと眺める僕らは
薄気味悪い死体愛好家だ

僕らはその事実から逃げられないんだと思う
どう足掻いても、この生物界の頂点に
望まざるとも遺伝子の闘争の結果として
立ってしまった僕らの業 Karmaなんだろう

どれほど動物愛護や生命保全を唱えても
本質的にそれは人間の存続を前提としていて
不都合ならばマラリアを媒介する蚊を
ビルゲイツが撲滅しようとしているように
種そのものを根絶やしにする事を
僕らは一切厭わない

電灯を太陽と勘違いして群がる虫に
どれだけ心を感情移入しようが
そんなものは安い自己陶酔で
僕らが遺伝子に抱えた業は消えない

犬や猫や鳥のような愛玩動物に対するように
食育動物に対して感情移入できないし
愛玩動物を護ろうとすること自体が
人間の意識は恣意的に
区切られている事の証明だ




だからどれだけ仏教的世界観で
あらゆる命の尊さを唱えても
あるいはヴィーガン論争も
あるいは世界平和すらも

どこか偽善的に思えてしまうのではないか
結局、最後は自分が持っている力や
引きずって行くことになる業そのものに
正直に向き合って
その責任を引き受け、自覚する事でしか
僕らはあらゆる生物に対して
真正面に立つことはできないのではないか

そういう傲慢な人間自身を
自覚して責任を持つ事ではじめて
愛玩する事を許されるのではないか

そう自分は信じていて
それが私のおそらく宗教なのだ

そんなことを正面から突きつけるのが
このカメイ美術館なのだと思った




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