見出し画像

第8回 成績評価とGPAについて

大学あるある話(エピソード)

 一つの学期を終えて束の間の休息を取り、新しい学期を迎えるなと気づく頃に大抵の場合は前の学期の成績結果が手元に届く。基本的に単位を取得していさえすれば進級条件であろうと卒業要件であろうと支障はない。しかしながら、一部の大学においては単位修得と卒業要件の基準を別建てしている。例えば「単位修得は可でも構わないが、卒業するためには通算のGPAが2.0以上でなければならない」というようにである。
 一方、成績評価は「秀、優、良、可、不可」や「A、B+、B、C、F(不可)」というふうに表記されることが一般である。可よりは良が、良よりは優の方が、将来見直すときに気持ちが良い事は言うまでもない。今ではどうか判断しかねるが、就職活動における面談でガクチカを質問されるため良い成績評価を求める学修者と一定の頻度で遭遇していたことがある。
 いずれも成績評価とGPAに関わる話である。前者については、その要件を念頭において期末試験前になって相談にやってきたPくんに、後者については来学期の間に行政書士の試験に合格するから憲法講義の評価をAにして欲しいと要求してきたQさんに登場してもらうことにする。

Pくんの場合「このままでは卒業できないので…」

 Pくんは、第15回目の講義が終わった後、教壇に残る私の下に、出席票を携えてやってきた。その講義は平常点60点のうち出欠席と授業態度で30点分、15回の講義内の特定の回を利用して実施する教場レポートという名の筆記試験2回で30点分を採点し、第16回目に当たる期末試験で40点分を採点することをガイダンス時に受講生へ説明し、周知していた。Pくんは2回出席しては1回欠席することをリズム良く繰り返したうえ、2回の教場レポートの合計点が18点と振るわなかったため、平常点が42点であった。とはいえ教場レポートでも半分程度は獲得できているので合計点で60点を超えるだろうと想定してたグループの一人であった。
 出席票を私に渡すや否や、Pくんは自分が単位を取得できるかどうかを質問してきた。私はガイダンス時に説明済みの成績評価の仕方を一通り述べてPくんが同じ理解であることを確認したうえで「普通にやっていれば60点を超えるでしょう」と伝えたところ、それではダメなのだという。曰く「通算のGPAが1.8しかなくて、御蔵先生以外に4科目で70点以上の評価を獲得しないと卒業できないと担任のキヨタカオル(仮名)先生が言ってました。」というのである。
 キヨタさんの、愛のある教育指導だなと直感したので「じゃあ頑張るしかないよね。試験を頑張ってください」とそっけなく塩対応することにした。Pくんはキヨタ先生の指導から何を学ばなければならなかったのだろうか。

Qさんの場合「行政書士として働くときにアピールしたい」

 Qさんは喜怒哀楽の激しい人で、時に同級生に優しく接することのできる社会人学生さんだなという一面を見せたかと思うと、時にその同級生についてフーゾクでお金を稼いでいるに違いないとか、世間知らずの子どもだ等と激しく糾弾する一面を見せることがあった。私の講義でも「すごく良く分かる内容でした」と言ったかと思うと、「正しい憲法の授業をやって下さい」と怒った顔をして迫り「正しい憲法って何ですか?」と問うと「そんなことも知らないで教員ができるなんて信じられない!」と教室内で罵倒できる胆力の持ち主であった。
 そんなQさんが教場レポートの答案返却後に私に詰め寄ってきた。その講義では一定の書き方を教示し、授業態度の査定を行なうことを事前に繰り返し伝えていたため、普通に受講した学修者はその形式で答案を作成しているのでその分だけ減点にならなかった。しかしながら、Qさんは形式を無視したうえ、ダメだと念押ししていたはずの感想文を提出したため、20点中0点を取ってしまうという失敗をしていた。正確に説明しておくと減点式で私は採点しているので、Qさんは減点が20点を超えてしまったということである。同級生の答案を見比べれば一目瞭然なのだが、開口一番に言ったのが「今年つまり来学期の行政書士の試験で私は合格し、その後行政書士として仕事をします。その際に、この法律については専門であるとアピールできるようにしたいので『秀』をください」である。
 Pくんの場合と同じように、ガイダンス時に説明済みの成績評価の仕方を一通り述べてQさんが成績評価の仕方について同じ理解であることを確認しようとしたところ、話の途中でQさんは「それは分かっています。でも、成績評価なんて担当教員が勝手に変更できるはずです。だから、私は『秀』が欲しいとお願いしているんです」という。
 Qさんは、大いに何かを勘違いしていることは言うまでもないところだが、教師教員全般の役割について考えさせてもらう機会になった。

所見

 前述したように、単位の修得要件と卒業要件を別建てにする大学がある。その理由は様々であろうが、基本的には、大学4年間の後半部分になればなるほどゼミ等の少人数制の科目が多くなるため担当する教員の成績評価が若干下方修正されるだろうという期待が生まれる。逆に、大学4年間の前半部分は一般教養や語学科目等の比較的優しい内容が多いため、その成績評価が上方に位置する傾向がある。要するに、入学当初に好成績を獲得し、そのストックを減らしながら4年間を過ごすか。それとも卒業に近づくにつれて好成績を獲得して不足分を補っていくかのいずれかのパターンを経る。なお、某御大の話によれば、それでも高い評価を維持しようとする受講生のモチベーションを維持したいところに、この別建ての意図があるらしい。
 このような枠組みを念頭において、自分がアカデミックアドバイザーを務める学修者の成績表を分析する際は、本人が好成績を獲得した科目をリスト化したうえで、それが本人の得意分野ではないかと促して指導するようにしている。もちろん外れる場合もないわけではないが、好成績を獲得できた理由が何かあるのは間違いないので、次の学期ではその科目の周辺に位置する科目で履修可能なものを紹介するようにしている。
 ちなみに、GPAの計算方法については「秀4点、優3点、良2点、可1点、不可0点」というふうに配点するのが一般的であり、その学期毎に平均点を算出するだけである。仮に卒業要件として通算の平均点が2.0以上でなければならないと示されたならば、以上の説明から<平均の仕組み・原理>に照らして自分はどのように行動すべきかを判断できなければ思考力が無いと指摘されても文句は言えないだろう。Pくんの例で言えば、Pくんは成績良を5科目で獲得するしか方法がないわけではない。合計10点を獲得すれば良いだけのことである。したがって、どう組み合わせるかで正解は複数個あることに気づくはずなのである。つまり、キヨタ先生の愛のある指導とは、Pくんの思考力の無さを本人の問題点として間接的に指摘し、「どうすれば良いかを他人任せではなく自分で考えなさい」という指導だったのである。
 一方、そもそも成績評価とは、その科目を担当する教員がその科目を受講する学修者の理解度を評価することであると同時に、その学修者の理解度を他者に対して証明することである。したがって、自らが付与した成績評価については、後日何らかの形で諮問を受けても応答できる必要があるし、その応答が同じ科目を履修した他の学修者の成績評価とも矛盾がないこと、すなわち学修者間の成績評価の整合性を保障するものでなければならない。ゆえに、極端な例を挙げれば、60点であると評価した学修者と61点であると評価した学修者は1点しか違わないし、成績評価上は可・Cという評価であるが、この1点の差を説明する責任が担当教員にはある
 確かに、成績評価を行なう際に、教員の感情が絶対に入らないとは言い切れないことがあることも事実である。どんなに講義や課題に取り組んでも、提示している目標に到達できない学修者はいる。その中には必死に食らいつこうと努力や工夫を重ねている人も観察できるから、そのような学修者に対して人間として感情が揺れ動かないほど冷徹ではいられない。一方、中途半端に講義や課題に取り組んでも高得点を易々と獲得できる学修者がいる。その中には教師教員を馬鹿にする態度を平気でとる人も観察できるから、そのような学修者に対しては人間として怒りの感情から客観的事実を度外視して悪い評価を与えたくなる時に遭遇しないこともない。しかしながら、このような感情が優先してしまうと担当教員として成績評価の説明責任を果たせなくなる。したがって、成績評価は担当教員が勝手に変更できるものではないことを肝に銘じて向き合う必要がある。

ポイント

 Pくんの場合のポイントは既に所見の中で述べてしまったので、GAPの一般的な算出方法のみを以下に数式で示しておき、令和の大学生になる皆さんへの教示とすることにしたい。

GPA=〔(GP×単位)+(GP×単位)+(GP×単位)+ ・・・〕÷前履修単位数

注:大学によっては不合格単位について再履修した場合にGPA評価の対象から除外する事がある。

 Qさんの場合、そのポイントは本人が謙虚な気持ちを常に持つことだろうと私は考える。一方で、平然と教員を見下す言動を繰り返せるQさんを育てあげてしまった同業者がいることに申し訳ないと思う気持ちもある。早い段階で教員の職業倫理に接するというか、教員の亀鑑たるべきアドバイザーに出会えていればアプローチも変わっただろうと感じるからである。
 ちなみに、Qさんはアカデミックハラスメント委員会に私を訴えたという後日談がある。私がQさんに対して過度な課題提出の要求をして自分の成績をわざを落そうとしたというのである。また、その間の指導の中で暴言を吐いたとか、プライベートを暴露されてプライバシーを侵害された等と訴えられた。Qさんが主張する全ての項目について、それを否定する反論と手持ちの録画ファイル、メールのやり取りの文面を同委員会に提出・共有して審議に臨んだ体験をさせてもらった。ついでに言うと、大人げなかったかもと今では思うが、Qさんがアカデミックハラスメント委員会へ訴えた旨を私に報告した最後のメールも提出した。報告の最後に「これでアンタはおしまいですね。いい気味。」と書かれていたので。
 アカデミックハラスメント委員会の裁定は、Qさんの主張は成立しないという結論となり、Qさんに私が与えた「F評価」は覆ることはなかったことを申し添えておきたい。

タスク・課題

 GPAの評価については、結局のところ算数の問題であるから、学期毎に自分が履修する科目に対して全力で取り組み、その結果・成績評価を淡々と計算するだけのことである。ゆえに、学期の最中にPくんのようにGPAを気にするぐらいならば、学期が始まる前にその学期に取得したい成績評価の目標、その最低ラインを自分で作っておくべきである。もちろんこれは、大学1年生の春学期には不可能なことであるが、不可・F評価のGPAを「0点」とするのは共通するから、<履修登録した科目を落とさないこと>を最低ラインにすることは可能である。
 成績評価については、前述したように全ての評価に根拠となる理由・論理がある。そのためその評価となる理由・論理を時系列で順序立てて整理することが重要である。次の学期が始まる前に送られてくる成績評価の結果を、ガイダンス時に受けた成績評価の仕方に照らして分析し、その評価結果になる理由・論理を自分で確認しておこう。なぜ好成績になったのか、またなぜ予想した評価よりも低かったのかの原因を探求しておくことは、次の学期で同じ失敗を繰り返さないために大切であるし、好成績を維持するためのコツにもなる。したがって、学期が終了する毎にその全部を処分してしまうことは自分の成長を放棄する行為であると自覚しておこう。


いいなと思ったら応援しよう!