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第6回 リアクションペーパーの書き方


大学あるある話(エピソード)

 毎回の講義後に、B6サイズ程度の小さな紙に今日の講義の感想を書くように指示されることがある。こんな指示を出す担当教員の意図は授業参加の促しであったり、自分の講話に対する理解度の把握であったり、単なる出欠確認であったりである。「リアクションペーパーは感想を書くものではない」という警告は有り難いことにほぼ周知されたようであるが、そのレベルに留まっているように思われる。今回は無駄なリアクションペーパーの提出を繰り返してしまって平常点で0点を取ってしまった留学生のLくんとFラン大学教育をなめてかかったMくんに登場してもらうことにしよう。

Lくんの場合「授業内容をしっかり書いたのに何故ですか!?」

 Lくんは、ある講義において毎回配布されるリアクションペーパーに、その日の講義で板書されていることを書いて提出していたが、あるとき退室時に呼び止められて「これでは意味がない」と言われたために私の下にやってきた。なぜカマダナオキ(仮名)先生が警告を与えたかは推測できた。そのため、Lくんに、その講義の授業ノートを見せて欲しいとお願いした。
 Lくんが私に示してくれたのはA4サイズの市販されている一般のノートであった。予め申し添えておくと、市販のノートがダメだというわけではないし、1冊のノートで全ての講義を書き留めることがダメだというわけでもない(推奨はしないが)。案の定、日付とタイトルのみが書き留められていた。試しに目に留まった回を指さして「この日はどんな講義でしたか?」と質問してみる。Lくんの回答は「民法の講義でした」という。なるほどね。
 Lくんの、どこがダメなのだろうか。

Mくんの場合「出欠確認のためだと言ってたじゃないですか!」

 Mくんはセキオタツ(仮名)先生から、気まぐれに配布するリアクションペーパーがピ逃げ対策であること、出欠確認のために行なっていることを確認していた。そのためセキオ先生が配布するサイズのリアクションペーパーを、どこからか複数枚入手していた。そして、全部のリアクションペーパーに「講義名」「自分の名前」および「今回の講義も興味深い内容でした」と予め書いて、同じく履修登録している友人に渡し、代わりに提出しておいて欲しいと頼んでいたそうである。お察しのとおりセキオ先生にバレた。
 Mくんが私の下を尋ねて来たのはセキオ先生に弁明して欲しかったようだが、開口一番の台詞が「出欠確認のためだと言ってたじゃないですか。なのに出席点をくれないって言うんです。おかしい!」云々であった。そもそもズルをしようとしたMくん本人に問題があることは間違いないのだが、リアクションペーパーの提出を点呼のように理解していたようである。おかしいのはMくん、君の方でした。
 一見すると、Mくんのいけないところだらけのように思われるが、特に致命的なところがある。それは何だろうか。

所見

 リアクションペーパーとは、その回の講義を通じて考えた事や疑問に感じた事を自由に書いて提出する用紙をいう。感想や意見を書くものと紹介される事もあるが、厳密に言うと受講生一人ひとりに求められている内容は、感想でも意見でもない。そもそも感想を書くのであれば、事前にシラバスを提示したり、指定する文献の読み込みを指示したりする必要はなく、その瞬間の本人の気持ちを告げてくれさえすれば感想であると十分に評価できる。また、意見を書くのであれば、先行研究や従来のやり方なり反応なりを把握した上での意見かどうかを評価する必要があるので学士号未取得者に求める内容としては重すぎるし、この要求に応えられる受講生は僅かだろうから、リアクションペーパーを書かせる意味がほぼ皆無になってしまう。
 前述したとおり、リアクションペーパー(リアペ)はその回の講義を通じて考えた事や疑問に感じた事を書くための用紙である。単なる感想を書き留めるのではない。ゆえに、担当教員が確認したい点の第一は〈その回の講義内容を受講生がどこまで理解できたか〉である。そのためリアクションペーパーの上に書かれる内容の一部はその回の講義内容が具体的に述べられていなければ話にならない。その第二は、それぞれが〈理解した内容に基づいてたどり着いた考えや疑問までを説明する〉部分を担当教員は確認したい。これは論理的文章をどの程度まで書けるのか。言わば受講生の文章力の水準を含む国語力の程度を把握しようとしている。勿論これは期末試験の出題に向けての探索として、である。そして、第三に確認したいこととして(特に私自身がリアクションペーパーを止揚する場合がそうであるが)〈面白い受講生がいないか〉を探している。当然のことだが、世代が違えば受け止め方も同じではない。その違いを把握することによって新たな知見が生まれることが少なくないからである。
 要するに、リアクションペーパーの提出が求められる場合に受講生が処理しなければならない事は以上の3つ。すなわち、その回の内容について自分が理解した事を書き(ゆえに板書されたものをそのまま書くだけでは不十分であり)、そこから帰着した自分の感覚までを説明し(ゆえに感想だけ書くのは不十分であり)、自分の世代の受け止め方を紹介すること(古い世代に昭和だな、平成だなとレッテルを貼ってあげるため)なのである。だからこそ、リアクションペーパーの提出を求められる事は、実は受講生にって自然と眉間にシワが寄るぐらい面倒くさい課題のはずである。少なくとも私が受講生ならば面倒くさいと今でも思う。

ポイント

 私はまず、Lくんに対しては、授業前までにシラバスを再読し、その回に何を学ぶのかを確認し、概要に書いてある単語のいくつかの意味を調べておくようにと指導した。そして、毎回のリアクションペーパーの中に必ず自分が確認した単語を加えて作文しなさいと指示した。ここまでの宿題ならば日本語を母語としない受講生でもできるからである(もし以上の宿題が難しいようであれば、別途集中的に日本語の補習やサポートを用意する必要がある)。
 効果は直ぐに現れたようで、リアクションペーパーに点数が付くようになったとLくんは喜んでいた。そこでLくんには残りの回のリアクションペーパーにおいては、その単語をカマダ先生がどのように使っていたかを説明しながら作文してみなさいと追加の指示をしてみた。留学生にとってはひょっとすると要求が高すぎたかもしれないが、最終的に「上手く言えないが、カマダ先生の言葉の使い方と自分のその言葉の使い方が違う気がする」ところまで気づけるようになってくれた。これで十分だろう。ポイントは世代間の感覚・価値観の違いを体験し、それを表現できるように努力したところにある。
 Mくんに対しては、おそらく私がアドバイザーであれば、ぶち怒っていたと思うし、勝手に退学勧告していたかもしれないと今でも思う。時々思い出したように連絡してきて世間話に花を咲かせることがあるのだが、その時にも思い出してMくんに伝えるようにしている。セキオ先生は不可の烙印を押して済ませたが、実は他の講義でも同じ事をやっていたらしい(どうして単位をもらえたのだろうか?詮索はしないが)。翌年の講義ではリアクションペーパーを要求しない講義を優先して履修していたが、それでも不可となる講義がチラホラとあった。M君には自分の問題から安易に逃げようとせず、勇気を持って取り組むことが将来のM君の役に立つと思うよとアドバイスをしておいたが、さてどうなったかというと…
 彼の場合、自分の国語力に問題がある事を自覚できていないところが不幸であった。4年次を迎える前にようやく焦りを覚えたようで、何とかしたいと私のところに再度相談に来た。そこでMくんに対しては毎日1回必ず私宛にその日の出来事を1つ報告する事、同時にもしその出来事が今後起きた場合に自分がどのように対応するかを説明する事という言わばメール日記の提出を課題として与えた。ポイントは論理的文章を書けるかどうかだったからである。ちなみに後日談だが、Mくんはその後教職大学院へ進学、卒業後に地元の私立中学校で国語の先生として教鞭をとっている。教え子には隠しておきたい苦い思い出だったかもしれないと思いつつ(本人には確認、承諾済みの為ご安心のほどを)、自分の体験談を通じて生徒たちの国語力を高める努力をしているそうである。セキオ先生のお陰であろう。

タスク・課題

 リアクションペーパーを書くことに慣れている大学生とそうでない大学生とで決定的な違いを生む要因は、実は①面倒くさがるかどうかと②自分の言葉で伝えられるかどうかにあると私は感じている。それぞれ具体的に判断基準・目安を示しておくと、①については30分程度何事にも集中して取り組めるかどうか。②については順序立てて話せるかどうかである。また、これらが今回のタスクということにもなる。
 実は、30分間の集中というのは、その処理レベルが高くなければ遂行できない。今回のLくんの例で言えば、シラバス所定の該当回の内容と、シラバス所定の講義概要等を関連させたうえで何を学ぶのかを(講義前に)整理するのであるから、その背景知識を学習するまでは留学生にとって2時間作業になるだろうし、実際Lくんはそれを繰り返し私の研究室で取り組んだ。慣れ始めると、この背景知識なるものが日常生活の中で、自分の周囲から流れてくる情報(ニュースや遭遇する経験など)にほかならないことに気づく。それらを担当教員の言葉や担当教員が専門とする分野の先行研究に照らして整理するだけの作業なのである。
 一方、順序立てて話せるようになるためには、少なくとも3つの要素を意識する必要があり、それを正確に伝えるために1つの要素を加える意識が必要となる。3つの要素とは「主張」「理由」「(理由を正当化する)事例」であり、正確に伝えるための要素とは「再確認(結論)」である。ひょっとすると小学校の頃に感想文の書き方として習ったであろう起承転結を思い出した人にいるかもしれないが、少し違う。起承転結の場合は1通りの順序しかないが、順序立てて話せるようになるということは、上記4つの要素をどのように並べ替えようが基本的に自由である(算数的に言えば24通りある)。同時に、並べた前後をつなぐ接続詞の使い方が重要になる。
 令和の大学生の皆さんの書く文章を読んだり、話す内容を聞いたりして気づくことは、背景知識の無い文章と接続詞を使わない話し方が多い点である。私はこれらを国語力と総括してよいと勝手に考えているのだが、それをふまえれば、皆さんに対する今回の課題は明確である。自分の周囲の出来事に関心を持って文字として書き留め続けること接続詞を使いながら話すことである。ひょっとすると友人知人から嫌われるかもしれないし、そうでなくとも疎遠にされるかもしれないが。嫌われる勇気を持ちましょう。


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