見出し画像

葬リストの野望

ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル著『ショパンの響き』より「リストによるショパンの演奏会批評 ショパンを葬り去ったリスト、その見事な一撃―証拠資料から」への反撃

恐る恐る手にした書物……

 2018年某日、筆者は今回取り上げる論文が掲載された書籍、「ショパンの響き」を買おうか迷っていた。
著者のジャン=ジャック・エーゲルディンゲル氏といえばショパンファンにとっては欠かせない存在で、彼の著作「弟子からみたショパン(2005年初版)」や今回のテーマとなる文章が含まれる「ショパンの響き(2007年初版)」などは日本語訳もされていて購入することが出来る。伝記ではない角度から更にショパンを知りたくなった時には非常に頼もしく、ありがたい。

 ハードカバーでそこそこ厚みのある「ショパンの響き」を楽器店で手に取り、目次を見た時にすっと血の気が引いたのがこの論文のタイトルだった。動悸も心なしか激しくなる。
「リストがショパンを葬り去っただなんて……私信じない!!!」
これが当時の素直な感想だった。そして買わずに逃げ出した。
(恥ずかしくて言えたものではないが、お金もなかった。)

ショパンとリストコンビが愛される理由

 個人的にはショパンが一番好きだが、リストも大好きだ。というか、このコンビが好きだ。リストとショパンをセットで好きだという方も少なくないのでは?このコンビについて説明する前に、皆様はそのフランツ・リストをご存知だろうか。ショパンを語る上で、リストはまぁまぁ重要な存在なのだが、音楽室に肖像画があったりなかったりする微妙な知名度だ。(悪口ではない)
 なぜ有名かと言えば、クラシック音楽界きっての美しい容姿を持ち、モテ過ぎていくつか伝説を持つ男、ということかもしれない。もちろん、超絶技巧の持ち主で、曲も難曲が多い、という知識を持っている方も多いだろう。
リストについてここで詳しく述べるのはやめておく。紙面が足りなくなる。いずれ詳しくご紹介するとして、今はショパンとリストのコンビについて知っていただきたい。ショパンにもリストにも詳しくない方にも伝わるよう、簡単にこの二人がセットで愛される理由を私なりに説明しよう。

・年が近い。ショパン1810年生まれ、リスト1811年生まれ。

・面識もないうちからライバル設定される。1823年の演奏会でのショパンの演奏を、新聞では「ポーランドにはショパンがいるから、リストがいるウィーンを羨ましがることないよ!」(意訳)というような内容が掲載される。

・20代前半パリで出会い、親交を深める。二人はサロンで大人気のアイドル的存在だった。ショパンはリストに自身のエチュードop.10(「別れの曲」や「革命のエチュード」など人気曲含む難曲名曲揃いの12曲!)を献呈している。度々演奏会で共演。連弾なども史実として記録に残っている。

・とにかく色々と正反対。現代でもプレイボーイというイメージは消えずに残っているほどのリストと、奥手で、生涯で愛した女性は3人ほど(うち1人はプラトニックに終わる)というショパン。演奏でも、リストは力強く、ショパンは繊細。愛用ピアノもリストはエラール、ショパンはプレイエル(この2つのピアノメーカーも結構対照的なのだ)……などなど。
 
 バルザックに「リストは悪魔で、ショパンは天使」というようなことを言われるくらい。(これは演奏についてであってリストの性格がものすごく悪いとかいう意味ではない。たぶん。)とりあえずこの辺で止めておくことにしよう。上に挙げた要素だけでもお分かりいただけると思う。それぞれ人気者で、正反対の二人、ライバルであり友人…これだけ揃えばどんなマンガのキャラクターとしても立派にやっていける気がする。

ここから先は

5,310字

¥ 100

よろしければサポートお願い致します!皆様に楽しいショパンタイムを提供できる記事を書くため、書籍等々に使わせていただきます!