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持論、夢と目標のちがい
私の中で「夢」と「目標」の考え方に明確な違いがある。持続する気があるかどうかだ。
今までもってきた目標には
志望校に入学する
英語を話せるようになる
グラフィックデザイナーになる
リーダーポジションに就く
留学する
お花屋さんになる
などで、ステップアップしていくために必要な工程であったりステップアップの先のゴールであったり、自分の中で道筋を立てて進んでいくような感覚。小さい目標の積み重ねで大きな目標を達成するという、典型的な考え方だ。
一方で、「夢」という魔法の言葉に当てはまる
のは
くだらない何かでギネス世界記録をとる
世界中のお祭りに参加する
自転車を改造してお花の移動販売をする
パンをいっぱい食べる
ショートムービーを撮る
スウェーデンで夏至祭をみる
友達をいっっぱい集めて山奥でパーティーを開催する
宮崎駿に会う
自宅にミニ映画館をつくる
ブランドか何か立ち上げてグッズを作る
身体をバキバキに鍛えて友達とヌードを撮りあう
別に叶わないのならそれでもいいし、お金にならなくてもいい。一回限り、一瞬でもいいけど実現させてみたいこと。これが私の中で「夢」と呼べることだ。
不思議と「夢」の方が思い浮かべるのが簡単で、「いつかこんなことをやってみたいな〜」と妄想しているだけなので純度1000%のやりたい欲が詰まっている。あふれてあふれてしょうがない。
ただ、大人になったり色んな経験をすることで、「目標」と「夢」の区別もつかない何かを思い浮かべては忘れ思い浮かべては諦め、知らないうちに本当の「好き」とは何かを見失ってしまう。
そんな時は、妄想に浸ればいいと思うのだ。
空を飛びたい、有名になりたい、お金持ちになりたい、ディズニーランドを貸し切りにしたい。そんな妄想をしているうちに現実的な頭で考えた「目標」のハードルがどんどん下がって、
空を飛ぶより留学に行く方が簡単か、と目標を達成できる気がしてくる。いざ実行したらしたで、
なんだ留学に行けたんだから、今度はスウェーデン旅行の計画を立てて夏至祭に行ってみよう、と「夢」を叶えるための成功体験を作ることができる。
そうやって日々生活すれば、衝動的に動き出せれば、心を平和を保つだろう。
いつか満足いける身体を手に入れてヌードを撮って写真集を作ることなんかがあったら、どなたか買ってくれる方はいるのでしょうか。