【つぶやき#6】 ロックンロール・ベートーベン
久石譲と握手をしたことがある。私の右腕には神が宿っていると、時々考える。
母方の家族は音楽一家で、私からみて祖父はピアノ、母の姉はフルート、母はバイオリンを演奏していた。祖父の家は一日中オペラが流れていて、私も自然とクラシック音楽に夢中になった。
中学3年生の時、久石譲の演奏会に行った。
「久石譲 presents ミュージックフューチャー vol.4」。
ミニマルミュージックやポストクラシカルなど、現代音楽を演奏する公演だ。同じリズム、同じ音程を、少しずつ、繊細に組み合わせてだんだんと音楽が出来上がっていく様子が衝撃的だった。自分の好きなクラシック音楽の常識が、一気に砕けていった。
演奏会の後、先着5名が久石譲のサインをもらえることを知っていたので、CDを買ってすぐに並んだ。私は4番目に並ぶことに成功し、前には女性が2人と、スーツを着た男性がいたことを覚えている。
いざ自分の番がきて、久石譲の元へ歩いていく。制服姿の私を見てニコニコしながら待っていて、握手をしようと右手を差し出してくれた。
柔らかそうに見えた手は思ってよりかたくて、熱くて、おどろいた。
それと私はファンレターを渡し、「あの、あの、大好きです!」と言ったことも覚えている。よく本人の前で言えたな、中学3年生の頃の自分。1分だけ久石譲と私の時間がつながったのは、今でも信じられない大切な事実だ。サインや写真よりも価値があるな、と子どもながらに実感していた。
それから「久石譲 presents ミュージックフューチャー」に毎回行くことになるのだが、ある公演でベートーベンの交響曲第5番『運命』を演奏した回の衝撃が、初めてミニマルミュージックを聴いた衝撃を、はるかに超えた。
「ジャ・ジャ・ジャ・ジャーーーーーン♪」でお馴染みの『運命』のはずが、なぜかフェスでエレキベースを聴いているかのような感覚があり、自分が聴いているクラシック音楽からロックを感じたのだ。テンポはほぼ倍の速さで進行するし、弦楽器の弦と弦が擦れる音にはエッジが効いている。私の知っているベートーベンとは全く違うのに、ロックで、上品で、現代的で、ミニマルミュージックなのだ。
そうか、音楽の原点はロックなのか。そもそもクラシックだのロックだの、ジャンルなどあってないものなのだろう。そんなことを考えているうちにあっという間に倍速のベートーベンが終わった。
紀伊國屋ホールの帰り道、耳にはベートーベンがこびりついている。
退館し、駅に向かう人たちを抜かしながら、足早にホームに向かう。人と人をすり抜けるとよかったね、すごかったね、また行きたいね、という言葉が通り過ぎ、音が重なりながら一瞬で消えていく現象に「エッジが効いているな」と思う。音楽どころか、音の始まり自体がロックなのだろうか。